花は折りたし梢は高し

とにかくいろいろうまくいかねーなってことを書いていこうと思います。

呪いのように何年も片想いをしていることを書いてみる

その人のことが、私はもう何年も好きだ。

それはもう、呪いのように好きだ。

 

どうしてそんなに好きなのか、といざ聞かれると困るけれど。

うちにいる愛しい小さな生き物たちが、リアルに口に入れてしまいそうになるほど可愛いのだって、目が丸いから?とか、口角が上がってて笑ってるように見えるから?とか

なんだかハッキリした理由にならないようなものばかりだ。

 

ちなみにこの食べちゃいたいくらい可愛いだいすきって気持ちは、気持ちの高ぶりが強すぎてどうしようもなくて

フラストレーションが溜まることにより真逆の感情でバランスをとるためなんだとか。

ああ、もはや自分の中に取り込みたい!と思うくらいすきっていう一面もあるのかな。

 

そもそも、もっと自分が望む「好みの」「条件の」人は、他にいくらでもいる。

もちろん、自分の履歴書で応募できる会社が限られるように、選ぶ幅というものには個人差はあるとはいえ、多少の条件は、あくまで「選べる」ものだ。

じゃあ、もっと自分がいいと思う条件の人を、ということだけども。

それは根本的に違う。

 

条件を好きなわけじゃなくて、選ぶのではなくて。

私はその人だから、その人自身が、たまらなく好きなのだ。

What do you want meaning for? Life is desire, not meaning.

 

好きになる人は、頭では選べない。

意味も理由もそこにはない。

 

どうして、ではなく、どんなところが好きなのか、と聞かれれば、どうでもいいようなことばかり煩悩の数くらいは余裕で答えられる。

私の話を聞いてくれる時のふとした仕草だとか、隣にいるときの柔らかい表情だとか。

 

私は長いこと好きすぎて、それこそが自分だと思っている。

 

自分の中の変化。

自分はそれが怖いのだと気づいた。

変わらなきゃいけないとすら思っていた。

だけど心のどこかで「なにそれ」とずっとずっと思っても、いた。

 

その人はまるで大事な魔法を唱えるように私を呼ぶ。

その人の気持ちも伝わって来る。

幸せになる。

だけど私は、ずっと長い間、片想い。

 

パンを食べるように、ちぎって私を取り込んでくれないだろうか。

ずっと腕の中に閉じ込めておいてもらえないだろうか。

 

そうしたら私は変わらないで済むのに。

と思いながらも、やむを得ず一歩、踏み出して、その手を離した。

 

だんだん歩き慣れてきた道を、前のように感慨深くもなくなんだか当たり前のように、自然に歩いている自分。

それをちょっとだけ、後ろめたく思うようになってきた、そういうひとつの変化。

 

迷うことは確実に何かを磨耗するけれど、卑怯なことじゃないとは解っている。つもり。

なのにどうして、こんなに苦しくなるのだろう。

 

捕まえておいてほしい。

もう、どっちでもいいから。

 

このままだと、私の心がバラバラになって、どこかへ行ってしまいそうだ。

ひとつの小さな命を見送ったことや空虚の昇華についてもがいていることを書いてみる

ひとつの命を見送った。

 

自分がこれほどまでに落ち込むことに逆に驚いた。

覚悟はずいぶん前からしていたから。

 

私は昔から、小さな命と一緒に暮らしていたし、肉親や恋人を亡くしたこともあるので

その分、見送ることにだって慣れているとタカをくくっていた。

心の整理のつけ方も。向き合い方も。人よりは少し、慣れていると思っていた。

 

泣くから愛があって、泣かないから冷たいではないと思っていた。

嘆き悲しむことだけではない。壮絶な喪失感との戦いでもある。

やるべきことを全部やってたら、涙がでないこともあるんだ、なんて思っていた。

 

見送るっていうのは、そんな綺麗事ばかりではない。

 

心のどこかではむしろ、どんよりとつきまとう嫌な空気を振り払い

それでも予感が確信に、諦めにと変わっていく心の弱さと

見えない終わりとの対峙をしなければならなかったことから、解放されることの安堵も正直あったのだ。

 

彼はうちにきた時から、なんだか様子が違っていた。

調子を崩してからは、いつものことか?いや違う?と悩んだ。

病院に行き薬を与えてもみるみる弱っていく姿を見て、途方にくれた。

いっそ楽にしてあげた方がと、実は何度も頭をかすめた。

 

せめてやれることは他にないだろうかと、ネットで情報を集めて。

すでに今の薬が出た病院に行く前から、ひとつの病因を予感していた。

今の病院が的外れな診断をしているんじゃないかという疑惑も日に日に濃くなった。

徹底的に調べるにはさらに上の専門の機関しかない。

別の病院の予約を取った。

そこは専門的でとても有名な病院。完全予約制。

車で家から頑張っても1時半はかかる。

本来1ヶ月先まで埋まっているところなのだが、事情を話すと最短で手配してくれた。

 

この日までは頑張ろうね、と言い聞かせていた当日の朝

約束の時間に少し間に合わず、彼はぐったりとしていた。

 

前日はまだ、自分で動いていたのに。

もうだめだろう、と直感した。

 

もしこの状態で病院に行き、病因が分かったとしても、彼には回復する体力すらもう残っていない。

それがなんとなく分かる。

 

力なく横たわる身体を抱き上げると、苦しそうな顔を少しだけ動かそうとして

けれど、できなくて。

目を開け、私を見た。

がんばれ、もうちょっとだから、がんばれ、と、身勝手なことを呟きながら身体を撫でているうちに

かすかに上下していた胸の動きが少しずつゆっくりになり、やがて止まった。

 

薄く開けている目。

涙は出なかった。妙に冷静だった。

 

きれいな顔してるだろ。

ウソみたいだろ。

死んでるんだぜ。

それで。

 

と、某台詞がふと浮かんだ。

 

あきらかに動かない彼をケースに入れて、2時間かけて病院へ連れて行った。

ひょっとしたら、という可能性にかけている、という言い訳を自分にしながら。

待合室では、亡骸を連れてきたことで嫌な顔をされるかもしれないと覚悟していた。

 

先生にもう動かなくなったことを告げると、間に合わないか、と慌てた様子で彼を手に取り

あれこれ触った後、うなだれてそっと、診察台に彼を置いた。

その手に取り方ひとつ、置き方ひとつ。

それで、先生が信頼ができる人だと感じた。

 

病名はおそらく、私が想定していたものだ、ということだった。

 

私は、今までの彼の戦いを先生に告げた。

先生は何度も頷き、丁寧に話を聞いてくれながら、彼に優しく触れ

もう、限界だったんでしょうこんなになるまで、よく頑張ってと、言ってくれた。

 

そうなんです。頑張っていたんです、彼は!

たまらなくなった。

 

前の病院ではちょっと体調を崩してるだけ、みたいな扱いだったけれど、違う。

彼は言葉は話せないけれど、ずっと何かと戦っていた、苦しくても諦めずに、生きようと頑張っていた。

 

私は今までの彼の頑張りを何度も話しながら、そこで彼が息を引き取ってはじめて、涙が出た。

彼の頑張りが、実らなかったことは、すべてその病気のせいだ、と先生が認めてくれていたから。

 

慌ててカバンの中からタオルを取って、涙をこらえて飼育環境を一生懸命話した。

悲しいとかよりもただ悔しかった。

彼はあんなに頑張っていたのに。私は無力だった。

うちにはまだ、他の命がいて、守る責任があり、泣いてはいられない。

多分そうやって無意識に気を張っていたから、涙は出ていなかっただけだと気付いた。

 

先生は、診察番号を言ってもらえれば、これからはすぐに予約できますから

他の子に異変があったら、すぐに連れてきてください。

可哀想でしたが、連れて帰ってあげてくださいとケースにそっと優しく戻してくれた。

 

タオルで顔を覆いながら待合室で待っていると、受付時にはサバサバとしていたスタッフは神妙な顔で診察代は結構です、他の子でも使えるので、診察券をと渡してくれた。

そんなわけには、と告げたが、瞑目して首を左右に振った。

また涙があふれた。何も言えずお辞儀だけして、病院を後にした。

 

初診料や検査料、診察料、かかるのは当たり前なのに。
救急車に死人が乗れないのと同じように、息絶えた彼を連れて行ったことを怒られるかと思っていた。

なんなら割増的な(死因特定料みたいな)ものがあったって仕方ないと思うくらいだったのに。

 

けれど怒られるどころか

初めて見る飼い主の持ってきた、初めて見る小さな亡骸に、慌ててくれて、残念に思ってくれて、私を家族を亡くした遺族として扱い、命に対して最大限の尊重をしてくれた。

(と、少なくとも私は感じた。そのこと自体が最上の敬意に値する姿勢だと思う)

なんて気持ちを汲んでくれる病院なのだろうと今は思う。

 

事情があったにせよ、はじめからここに、と何度も考えても仕方のないことを考えた。

 

帰ってすぐに、彼を埋めた。

間髪入れずに埋めた。

 

この子は、私の、この日まで頑張ろう、の言葉を必死に聞いていてくれたかもしれない。

嫌がりながらも薬を飲み、じっとして体力を温存し、少しでも長く。

今朝まで頑張ってくれたおかげで、私は先生と会うことができて、泣くことができた。

 

ケースから取り出した彼は、いつもの匂いではなかった。

うまく言えないけれど、生き物の匂いではなくなっていた。

体は命の入れ物、とふと前日にソウルメイトと話した言葉を思い出す。

 

無言で土をかけた。

 

疲れたね。

うちの子になってくれて、一緒にいてくれて、ほっこりさせてくれて、頑張ってくれて、いっぱい思い出をくれてありがとう。

救うことができなくて本当にごめんなさい。

 

でも、これからの、夏も、秋も、冬も、みんなで一緒にいたかったなあ。

 

願掛けとして絶っていた、好きな食べ物を食べた。

あんまり美味しくなかった。

 

喪失感、虚無感。ぽっかりと空いた穴を見つめて、ただぼんやりとソファに転がっていた。

 

これもいずれ、雑多な出来事で埋まっていくのだろうとは思う。

 

いつも、どうにもならないことなのも分かっていながら、私はそれでも、何度も諦めずに来た。

 

それは気がつけばもう何年も経っていて、自分の心というよりは、自分の理性のようなものが、「いい加減にどうなの」と言っている。

心自体は疲弊はしているけれど、まだまだ行ける、とは思う。

だけどこのいける、になんの根拠もなく、思いがけずポキッと折れるということも知っている。

 

今はささいなことで心に余裕がなくなって、少しでも何か、頼られることや世間的に保たないといけない外聞だとか。

そういったものが求められる場面でも、ひどく疲れてしまい、とにかく気分が乗らない。

仕事でもなんでも、本当はもっと頑張りたいのに、とにかくギリギリのラインを低空飛行している。

 

ささいなことひとつひとつ

ああ、やらなきゃ、と思っているのに、むしろやりたいと思っているのに、なんだか気が乗らず後回しにしている自分に、本気で嫌気がさす。

 

料理でもして落ち着くかと考える。キッチンが散らかっててイライラしそうなのでやめる。

何もやる気がしなくてゴロンとする。

なんだかすっきりしたい。

夜中無心でトイレ掃除と洗面掃除をする。

少しだけすっきりする。

でも願ってるだけじゃ叶わない。

現実逃避のように目を閉じる。

 

気づいていない落としものも、いろいろとあるのかもしれない。

 

私は自分の精神や考え方がややこしかったり、一定のクセがあることが分かっている。

だからこそ、少しでもイージーモードで攻略したいだけなのだ。

なんでこじらせようとするんだろうなあ。

それじゃなきゃ納得できないって、それも分かるけど、正論すぎるけど、なぜあえて難易度を上げるのか。モンモン。

 

お腹は空いていないのに、胃が空っぽな気がして気持ち悪い。

こういう時は、何かしたくなるまで、何もしないのが一番だ。

だけど、向き合わなきゃいけないものは確かにあるんだよ。

 

とりあえずキッチンを片付けよう。と棚を買った。

 

パンでも焼こうかな。

 

広く浅く愛したいんじゃない。深くひとつを愛したいんだ。

ずしっと重く、宗教のごとく愛したい。

むしろその愛っていうのは、与えすぎて枯渇するような性質のものではなくて、与えるほどにさらに溢れるようなものなのだ。

 

それが叶わないからだろうな。

足りなくなるのは。

厄介にしてるのは自分だよ、だけどこう生きるしかないんだ、と思うことを書いてみる

ふわふわな幸せな気持ちは

忘れたくないなあて思う。

かけがえのないものだから。

 

大事にしたくて、心の奥の方にしまいこむ。

むふふってなる。

 

だけどこの、虚しいような、絶望のような気持ち。

今まで目をそらしていた気持ち。

翻弄されていたもの。

もみ消しても頭で処理しようとしても、支配される闇のようなもの。

 

これこそ、多分本質なのだ。

これも忘れちゃダメだ。浮かれているだけじゃなくて。

幸せとかだけじゃなくて。

 

幸せなだけでいちゃだめだ。

私の立ち位置、立場、現実は色々なものがある。

見て見ぬふりではなくて、ちゃんと受け止めないと。

 

その上で、どう感情を処理するのか。

考えていかないといけない。

覚悟って多分、そういうものなのだと思う。

 

自分っていう生き物を、よく理解しよう。

弱いところ、思考のクセ、苦手なもの。

対処を身につけたら、もう少し楽に息が吸える。

 

やみくもに安定を求めてもキツい。

私はちゃんと、頭の使い方を考えないと。

 

ごまかしてるだけじゃだめだ。多分もうだめなんだ。

 

お気に入りの喫茶店がなくなっていた時のような

あの立ち尽くす感じ

悩んで買うのをやめた気になる商品が跡形もなく売り場から消えていた時のような

手遅れな、がっかりするような、手に入りそうだったものが、途方もなく遠かったと気づく

あの感じ

 

ああゆう気持ちにならないように、私は現実をちゃんと泳ぐ。

その花は、手折りたいものなのか、それとも置かれたところで咲いていて欲しいのか、自分でもよく分からないことについて書いてみる

硬い表情のその人を前に、私は気持ちを計れずにいた。

 

その人の主張は、非の打ち所がないほど真っ当な正論で。

その人のパーソナリティをよく表していた。

それを言う苦しさも、痛みも。

 

一方自分が持っている持っているものといえば、むき出しのみっともないワガママでしかない。

来るべき時が来たのかな、と漠然と思う。

 

分かっていた。

はじめから分かっていた。

ぶつかれば、どこまで行っても平行線で。

どこまで行ってもそれに勝てないことを分かっていたから、過去と現在の矛盾を指摘することしかできなかった。

それが無意味であることも分かっていた。

対抗できるようなカードは何一つない。

実際、白旗しか上げられるものはない。

 

清竜人的に言えば、私は苦し紛れに

「エゴイズムを振り翳して くだらない愛を語っていた」

 

だって、それを認めてしまうことは。できないよ。

 

でもでも、違うんだよ、そうじゃなくて、だって、それじゃあ……

 

言葉を発するたびに涙が出た。

涙腺なんてとっくの昔に崩壊していた。

 

それじゃあ。

それを認めてしまうなら。

私は、私とあなたの間にあるものは、なんですか?

この想いも、温かさも、居心地も、気持ち良さも、奇跡みたいな共感も、理由なく楽しい時間も

全部全部、どこに行くんですか。

 

私が、「分かった」って言っちゃったら、そこで話が終わってしまう。

 

その人は、どんどん表情も、声色も、硬くしていた。

もう私に、柔らかい笑顔も、優しい呼び声も、取り戻すことはできないのだろうか。

それがまた悔しくて、泣いた。

 

多分その人も分かってる。

それでもそう言わざるを得ないほど、大切なものがあるのだろう。

 

その人は気づいているのだろうか。

全く同じことを、何年か前にすでに主張していたことを。

私はそれでも無理をさせていた。

 

結局はじめから知っていたのだ。

常にそれと戦っていたのだ。

思いを深めるほど、苦しかったのは、どれほど焦がれたとしても、何をどうしたとしても、手に入れられないものだから。

 

「でもぼくはきみが好きで どうしようもない程に 好きなのさこれだけは 信じて欲しいんだよ」

 

それしか持ってるものがない。

だから、何度も何度も諦めようとした。本を閉じるように。

 

分かってる言う正論は分かってる。

それによって完全に否定される、ふわふわした夢物語も分かってる。

でも夢を見た。

そこにしか私はいられないから。

夢と分かっているから、逃げ道を作るように皮肉を言って予防線を張っていた。

 

そんな葛藤を、もう何年もしている。

自分に嘘をつくこと。騙すこと。先送りにすること。

都合のいいことだけに目を向けること。

お互いにしていたのだろう。限界だった。

 

わずかな、針の穴に糸を通すような隙間にしか、先も、正当性も、見いだすことはできない。

それが非常に、不可能と言い切れるほど難しいことも。

分かっていても、それにすがるしかなかったことも。

他の手段や出口を選ぶべきで、そうしないとこの混沌から抜け出せないことも。

分かっている。

 

「ぼくが抱く この思いは きみにとって 愛と言えるの?」

 

どこをどう探しても、エゴでしかない。

その人の言うきもち、未来、行く"べき"道を、無視してるわけじゃなく、あまりにも圧倒的すぎるものだから、対峙したくないのだ。

本当に想いがあるなら、それを尊重しなくちゃいけないのも。

でもひょっとしたら、重ねた年月が、今度こそ結論を変えないだろうか、と考えていないといえば嘘になる。

けれど、その人が自分の志に反して棚上げした結論も、負った痛みの分も、それと引き換えにくれた想いの分も、私にできることはただ一つ。

 

私がそれをするには、今のままじゃだめで。

それも分かってる。

 

結局どこまでいっても、混沌とともに沈むしかないのだろう。

ぼんやりと思う。

それがあながち悪いものでもないことも、分かる。

 

なんで突っ張ってるんだろうね。

 

いい加減にしなきゃなあ。何度も思ってきたことを、また思った。

「分かった」って心から言える日のために、私は時間を消化している。

 

行くところまで行ったら、スルリと納得できるのだろうか、なんて願ったけれど、それもないだろう。

 

この混沌から、この暗闇から、抜け出すのは自分なのだ。

何度も通った場所、見慣れた風景、そのひとつひとつ。

もう少し時間をかけて、手放して、沈んで行こう。

 

 

 

 

……なんて、思ってたまるか。ぱーやぱーや。

 

何。私が聞き分け良くして。

心の中の小さくて大きいコレを、そういうものだとか流して生きていくことを選んで。

それで正しかった、みんな幸せ、なんて。

それはね、確かに、思える気はするけど。

 

今の中での気持ちの持ちようを変えて、幸せと思うのが一番だよ、って、逃げではないと言い切れるの。

それすら手に入れられない人がいるんだよ、って誰と比べてるの。

 

手を入れたのは、自分が頑張ったからでしょう。

勝ち取ってきたものでしょう。それをまったく否定する気はない。だからモヤモヤする。

「なんて欲張りなんだ」って言う人もいる。

でも上限を自分で決めて、妥協するみたいなの、自分の人生に対して失礼だ。

もっと真摯でいたいと思うのは、「欲張り」なの。なにそれ。誰が決めるの。

無欲は幸せの近道、それも分かるけど、周りに認められたい。

それも欲の一つ。

 

もちろん周りを喜ばせたい。それもある。

でも、喜ぶであろう誰かは、この痛みも、苦しさも、虚無感も、知ってるの。

全部全部心から理解していて、その上で言ってるの。

それを一緒に引き受けてくれるの。

 

今私が生きてるのは誰の人生かなんて、考えたらなんだか腹が立ってくる。

つい弱気になる自分に。

 

自分が迷いを無視してすること。

それを、本当の本心でそれはもう心の底から一片の疑いも迷いもなく切望してるの。

周り。

なめんな。周りなめんな。

もっと温かくて優しいものだ。それも私が勝ち取ったものだ。

っていうか、そもそもここまでやってきた、自分なめんな。

 

当たり前の幸せが大事って、それ今まで勝ち取ってきたんだよ。

公開とか責任とかじゃなくて、それに胸張れなくて、どうする。

 

だからこれからもそうするんだ。

 

今までのことを否定するんじゃなくて、丸ごと抱えて全部欲張りに生きるんだ。

わがままで周りを傷つけて、責任が負えないと思っても

どれだけ周りの正義と相容れないとしても

死ぬほど恨まれたとしても、それが本意でなくて大切な人に嫌われたり軽蔑されても

勝ち取ってるんだ。みんな自分で。頑張ってきたんだ。

 

そもそも、責任背負えるのは、自分だけだ。ほら、私、腹決めるんだよ。

「ヤダ」って、なんの根拠も後ろ盾もないところで、全力であらがうんだ。

  

正論に向き合う自分。なめんな私。私の数年間なめんな私。

一般論や正論で片付くと思ったら大間違いだ。

そんなもの、とっくに凌駕してるでしょが。

分かってよなんて、こちとらもはや呪いの域だ。そんなもので論破できるか。

 

オラ、肉持ってこい!(鼻息)

 

本当いったいなんなんだろうね。この情熱とか。圧とか。

揺らいでる自分自身に喝を入れる、エゴイストでエキセントリックな自分。

 

この自分と理論を、人に押し付ける気は全くないけれどもね。

 ただ、ひどくグッタリはするんだよ。

多分とても重大だったのだけどもすっかり抜け落ちていた覚書を書いてみる

新しい仕事頼みたい、とお昼休みに呼び出された喫茶店。

なかなか切り出さず、黙り込んでいる彼を前に、私は携帯に視線を向けていた。

 

この人はこういうところがある。

とにかくマイペース。

自分が話す気にならない時は、基本黙っている。

 

正直今の私は仕事だとかペースだとか、それどころじゃないのだ。

悩んで考え疲れて、でもそれじゃダメで、決意しなきゃいけないことがあるのだ。

 

眉間にシワを寄せてうつむいて携帯を眺めていた私は、やめるわと、呟いた声に、へ?と、顔を上げた。

彼はなんてことないような顔をして、ふん、と彼は笑って、原稿と思しき書類を私に渡した。

 

それを眺めて、ああ、と納得した。

 

原稿は名刺。

新しい肩書きの冠をかぶった、前にいる人のフルネーム。

 

しばらくじっと原稿を見つめて、私は言葉を選んでいた。

こういう時なんて言えばいいのかな。

驚いて見せればいいのか。笑えばいいのか。

 

「裏書きは英語でいいの?」

出た言葉はそんなどうでもいいような内容で。

そんな私の葛藤を見透かしているであろう彼はニヤリとした。

 

その表情に、なんとなく分かった。

初めから、いつかは終わると思っていたものなのかな、と。

年貢の納め時、みたいな顔をしていたから。

 

でも確かに、このままいけるかな、とも考えていたのだと思う。

それを願っていたのだとも。ずっと何かをあらがっていたのだとも。

 

そう思うと、今までの単調で穏やかで、ひとりぼっちの生活が、

彼にとって、とても愛おしく大切で貴重なものだったのだろうというのも想像ができた。

 

今の彼からは諦めや悲観的な雰囲気は感じない。

ただ、腹を括ったような、妙に勝気なエネルギーは感じる。

それがなんだか、かっこいいなあとも、置いて行かれたようにも思えた。

 

「まあ、やるからにはテッペン取んな。」

やっと出た私の言葉に、彼はまた、ふん、と笑った。

 

肩書きで察するに、多分、すでに組織のテッペンだったけれど。

その重圧とか、そういうの。

分かった気になって、背中を押したくなった。

 

「頑張る君に、ご褒美あげよか。」

激励のつもりでふざけて言った言葉に、彼は表情を崩した。

……ご褒美目当てとか、男らしくないだろ。」

ふうーと、大きく息を吐いた後、メガネを外す。

ああ、気が抜けた表情。いつもの顔だ。

「ふうん……。何もなくて、頑張れるものなのかねえ。」

私はクルクルとストローを回しながら、じっとその様子を眺めていた。

彼もメガネをかけなおしたあと、じっと私を見すえた。

「分かってんじゃん。」

「は?矛盾してない?」

「いや?」

肝心なことを言わない。

でもそれ以上聞くのはなんとなく悔しいような、気もする。

君のナゾナゾに付き合ってる余力はないんだ。

 

「欲しがることに疲れて、何もいらないと思ってたんだけども。

欲しいものがないわけじゃないから。」

沈黙を破った言葉。

どうせやるなら、"それ"を取りに行く。

と、そういうことなのだろう。

 

その気になればなんでも手に入れられて、今だってなんでも持ってるのに。

それほどまでに欲しい"それ"ってなんだろうなあ。

ここまで彼が諦めた当初のきっかけが頭をかすめたけれど、それはありえないしなあ、と思い返す。

 

何だろう。

それは純粋な興味本意な疑問だったから、まあいつか聞けたらいいやと飲み込んだ。

多分今聞いても、お前には関係ないとかなんとか言って、ふんって笑って、結局は教えてはくれないのだろう、という予感もあった。

 

だったら言うな。

後出しじゃんけんみたいな、そういうところ、イライラする。

ああ、余裕ないな。自分。

 

チラっとスマホを見た。

ああ、時間だ。

 

「そろそろ戻る。紙とか、いつものでいいね。」

立ち上がる私を尻目に、生返事をしながら、彼はかばんからスルッとネクタイを取り出していた。

 

私は会社に戻った頃には、その内容をすでにすっかりと忘れていた。

どれだけいっぱいいっぱいなんだい。

 

後日、まったく余裕のない状況から、少しだけ肩の力が抜けた瞬間にこの出来事をふと思い出した。

ので、覚書として記しておくこととする。

そろそろ1年経つからね、と今の気持ちを書いてみる。

私は子供の頃から、本当に良く泣く。

保育園の頃から「◯◯ちゃんは泣き虫だねえ」と言われてきた。

 

泣くのは弱いからだと。

泣き虫=弱虫だと思っていたから、私はそんな自分が嫌いだった。

 

高校を卒業してから、私は強くなった。

実力社会というものが肌に合っていたのだと思う。

私は専門性の高い学校に進学したため、苦手なもので評価されることはなくなった。

周りの見る目が変わり、一目置くようになった。実力があれば発言権も増した。

やることをやっていれば文句は言われなかった。

私はあまり泣くことがなくなった。

 

調子に乗って社会に出てから、自分の力のなさに愕然とした。

下積みをしながら、少しずつ自分の地位や居場所を作っていった。

思うようにいかない悔しさに、トイレで泣いたこともあった。

 

そのうちまた、地位を築くにつれてあまり泣かなくなった。

今仕事で泣くとしたら、本当に悔しい時と、感情をぶつけられすぎてびっくりした時だ。

 

泣くっていうのは全身全霊で、一生懸命頑張ったり想ったりしても、それでも報われないと実感した時なんだ、と気がついた。

 

現に本当に悲しくてショックな時は、涙が出なかったりする。

泣けるのは、その衝撃が心に降りてきた頃。

大切な人が病室で息を引き取った時も、家に連れて帰った時も、泣かなかった。

お通夜とお葬式の時に、やっとおかしくなるくらい泣いた。

今もふと気が抜けた時に、泣くこともある。

 

私は1年前のあの時大きな決断をした。

追い詰めていたけれど、自分も追い詰められていた。

え、どうしよう、いや、疑いようのない自分の気持ちは分かっていた。

 

でも、希望に反する選択をした。

後悔することが分かっていてもあの時はそうするしかなかったと、今も思う。

それでも、分かっていても、その衝撃が、今になって心に降りてきて、私の涙腺を崩壊させる。

 

叶えたかったのだ。本当に本当に。

届かなかった想いだったけれど。届いちゃいけない願いだったけれど。

 

それなら断ち切ればよかったのだ。叶えればよかった。それも私には出来た。

でも出来ないと、決めたのは他の誰でもない自分。

 

どちらかを守るとしたら、後先より、あの時はただ愛おしさに従った。

これ以上傷つけるなら傷つこうと思った。

それは理性だ。

 

今になっても、まだそれを私は引きずっている。

でもあの決断があったから、きっと今も救われている。

 

いつか報われたと思えた時に、ゆるやかに流せると思っていた澱は、今も沈んで私の心の中にある。

淀んで腐敗している。酸欠で苦しくなる。

 

もうすぐあれから一年になる。

たまにふと思って、慌ててかき消すもう一つの選択。

 

私が勇気を出す番なのだとあの日決めたこと。

全部引き受けると決めたこと。誰かのせいだとは思ってない。

 

だけど少しだけ、ここで吐き出させて欲しい。

思い出すと過呼吸のようになる、あの日のこと。

 

1年前に分かっていたから私はこのブログを書き始めた。

こんな風に、傷が膿を出す頃、自分の傷を自分で慰められるように。

大きな喪失と向き合えるように。

 

完全に治ることはないのも分かるから、これをずっと抱えていく。

喪失は、現実を上塗りするしかないのも分かる。

少しずつ心の整理をしなくてはいけないことも。

望まれなかったものでも、私はあのわずかな期間、確かに叶うはずのない夢を叶えた。

何も自覚がなかったけれど。不確かさをもって、そこにいたもの。

それを捨てたのは自分だ。誰のせいでもない。

違うよ、捨てたんじゃなくて、本当に、肉を切る想いだったんだ。本当に。

 

涙は、やっと最近出てくる。

決断は間違ってなかったけれど、報われなかったことも違いない。

 

しばらくして、私はすがるように、愛しくて、小さな命たちと暮らしはじめた。

会った時、私は選んだのではなくて、選ばれたのだと思った。

小さな命たちは私を選んでくれたのだと。

 

だから、選んでくれてありがとうと、一緒にいてくれてありがとうと、いつもいつも思う。

 

私のお腹のあたりに、服の中に潜り込んで上下する小さな命、を見て思う。

 

今度こそ、なんて機会があるんだろうか。

守れずに、まだ見ぬ手を放して、小さなろうそくを目をつぶって吹き消した

私のところへ、またぬくもりは来てくれるのだろうか。

許してくれるんだろうか。

 

どっちにしても今は、そんな資格ない。

自分で線を引いて、ダメだと、もうあんなことはしちゃいけない。絶対に。

身体の具合が悪くなっても、薬を飲み続けることで向き合ってみる。

 

もっと泣いて、澱も心も少しずつ流れ出て、そうすることで、ひとつの物語を終えよう。

涙は、報われなくても、私は一生懸命だったからだ。

 

今度こそ、答えを出す時が来た。

「惚れて通えば千里も一里」私が惚れたものとはなんだったのかと思うことを書いてみる

少しずつフェイクを入れて話をする。

 

昔、3年くらい遠恋をしていた。

 

もともと旧知の仲だったが、たまたま久々に会って、深い話をするうちに恋仲になった。

車で3時間くらいの距離だろうか。

当時私は、社会に出てからそれほど経っていなかったので、お金も無かったが、それでも月に一回程度、週末にせっせと通っていた。

 

しかも初めの半年くらいは、うっかり二股をかけられていた。

彼女とは別れたって言ったから付き合ったのに切れてなかったっていうね……

まあよくあるやつはは。

 

思い返せばかなりの二股率だ。

婚姻届まで書いた彼に浮気をされた時に「もう二度と浮気性とは付き合うまい」と心に誓った。

つまり、男とは付き合うまい、と同意義である、程度に、私は男というものを信じていない。

遺伝子的にそうでしょう。私より優れたメスがいれば、種を残したいと思って当たり前だ。

君を裏切れないなんてそんなのは幻想で、目移りしないのは、結局私の方が他のメスより優れていると判断してくれているか、求愛するのがめんどくさいだけだ。

 

と考えているが、それが何の因果か人妻になったりすんだから、人生って分からないものである。

 

さて、話を戻す。

 

初めは交代で行き来していた私達だが(交代でいけば月に二回は会える)

けれどすぐに私しか行くことはなくなった。

会う頻度は半分。

でも辛くも寂しくもなかった。

 

毎晩、いくらでも話せるようになったからだ。

彼が同棲していた彼女との家を出て、一人暮らしを始めたからだった。

 

付き合い始め、当然実家にいるものだと思っていた彼が、実は彼女とまだ住んでいたという衝撃。

どうりで連絡の頻度が下がったり、電話できないと言い張る夜があった訳だ。

(彼女は夜勤のある仕事。連絡が少ない日は、彼女の在宅日だったのだろう。)

 

いやはや、とんでもない男だ。

 

今思えばバカバカしいが、敷金礼金、初期費用は全て私が立て替えた。

もう彼女への気持ちはないし、別れているも同然だが、お金がないから彼女との家を出られない、という彼の言い分(言い訳)への、私なりの意地だった。

 

1Kのアパート。

下見も一緒に行った。

私は親に何かを感づかれるとめんどくさいので、遊びに行った時はタバコの匂いがつかぬよう、自分のコートは玄関にかけていたのを覚えている。

 

引越しからしばらく経ったある日、彼から「わかれました」とひらがな6文字のメールがきた。

当初は意味がわからなかった私は、勝手に彼女ともう別れたと思い込んでいただけで、その時点までズルズルと続いていたのを知った。

 

私は静かに問い詰めた。

彼女は精神が不安定で、仕事も落ち着いてなくてうつ気味で、俺が支えてあげないとダメだった。

彼女は俺と別れることも、新しい彼女がいることも納得してくれている。

でもしばらく一緒にいてと言われていた。

5年以上付き合い、同棲までした責任もあった、と彼。

 

んな無茶苦茶な。

もはや公認二股。

そして新しい彼を見つけた彼女に、三行半突きつけられた結果。

ドカッと彼女から彼の私物の入った段ボールが3箱が届いた。

 

なぜか彼女の新しい彼氏に対しなぜかクサクサしている彼を、励ましている私。

あれ?私ってなんだっけ?

セカンド?え?まあいいけど。

 

やー男ってなあ……男って。

 

そして、女は男前だ。

そんな男でも受け入れてしまうのだ。惚れていたのかなんなのか。

彼女が今は幸せに暮らしているのを風の便りで知っているのが唯一の救いか。

男女の関係って常識では考えられないものがあったりするなあ。

 

さて、その引っ越した家は、天井が高いところが二人とも気に入った。

そして、何より小さな穴ぐらのようなロフトがあったのだ。

 

秘密基地のように、ロフトにはパソコンや本棚を置き、大抵はそこで二人して篭って思い思いに過ごした。

なにもそんなに狭いところに閉じこもる必要もないのだが、ロフトの下のメインの部屋にはほとんどものがなかった。

彼の服が積み上がっている程度。

…というくらい、せまーい空間で過ごしていた。

 

ロフトには私の私物を置いておく棚も作った。

一緒にパソコンやゲームを眺めて、別々に本を読んで、たまにセックスして。

私が帰った時も、だいたい11時くらいにパソコンの音声チャットを始める。

彼はあのロフトでゴロゴロしながら、私と会話をする。

1時になったら、そろそろ寝るかと眠る。

ほぼ毎晩、2時間程度、なんてことない話をして過ごしていた。

とはいえ、ずっと話に集中している訳ではない。テレビを見ていたり、ゲームをしていたりもする。

 

洗濯機の位置などの間取りは、今ではよく思い出せないのに、あのロフトからの光景だけは鮮明に思い出せる。

変な名前のアパートだったな。

今はどんな人が住んでいるんだろう。

 

私が好きだったのは、初めは確かに彼だった。

けれど思い返せば、後半はあのロフトでゴロゴロ過ごすのが楽しみだった、ような気もしている。

 

思い立った深夜、ストリートビューであの辺りを見てみた。

建物自体は見えなかったけれど、どうやら現存するようだ。

 

いつか機会があったら、行ってみたい。

あの頃の私が置いてきた何かが、見つかるのかもしれない。

飛行機雲のように。神社で拾った松ぼっくりのように。