呪いのように何年も片想いをしていることを書いてみる
その人のことが、私はもう何年も好きだ。
それはもう、呪いのように好きだ。
どうしてそんなに好きなのか、といざ聞かれると困るけれど。
うちにいる愛しい小さな生き物たちが、リアルに口に入れてしまいそうになるほど可愛いのだって、目が丸いから?とか、口角が上がってて笑ってるように見えるから?とか
なんだかハッキリした理由にならないようなものばかりだ。
ちなみにこの食べちゃいたいくらい可愛いだいすきって気持ちは、気持ちの高ぶりが強すぎてどうしようもなくて
フラストレーションが溜まることにより真逆の感情でバランスをとるためなんだとか。
ああ、もはや自分の中に取り込みたい!と思うくらいすきっていう一面もあるのかな。
そもそも、もっと自分が望む「好みの」「条件の」人は、他にいくらでもいる。
もちろん、自分の履歴書で応募できる会社が限られるように、選ぶ幅というものには個人差はあるとはいえ、多少の条件は、あくまで「選べる」ものだ。
じゃあ、もっと自分がいいと思う条件の人を、ということだけども。
それは根本的に違う。
条件を好きなわけじゃなくて、選ぶのではなくて。
私はその人だから、その人自身が、たまらなく好きなのだ。
What do you want meaning for? Life is desire, not meaning.
好きになる人は、頭では選べない。
意味も理由もそこにはない。
どうして、ではなく、どんなところが好きなのか、と聞かれれば、どうでもいいようなことばかり煩悩の数くらいは余裕で答えられる。
私の話を聞いてくれる時のふとした仕草だとか、隣にいるときの柔らかい表情だとか。
私は長いこと好きすぎて、それこそが自分だと思っている。
自分の中の変化。
自分はそれが怖いのだと気づいた。
変わらなきゃいけないとすら思っていた。
だけど心のどこかで「なにそれ」とずっとずっと思っても、いた。
その人はまるで大事な魔法を唱えるように私を呼ぶ。
その人の気持ちも伝わって来る。
幸せになる。
だけど私は、ずっと長い間、片想い。
パンを食べるように、ちぎって私を取り込んでくれないだろうか。
ずっと腕の中に閉じ込めておいてもらえないだろうか。
そうしたら私は変わらないで済むのに。
と思いながらも、やむを得ず一歩、踏み出して、その手を離した。
だんだん歩き慣れてきた道を、前のように感慨深くもなく、なんだか当たり前のように、自然に歩いている自分。
それをちょっとだけ、後ろめたく思うようになってきた、そういうひとつの変化。
迷うことは確実に何かを磨耗するけれど、卑怯なことじゃないとは解っている。つもり。
なのにどうして、こんなに苦しくなるのだろう。
捕まえておいてほしい。
もう、どっちでもいいから。
このままだと、私の心がバラバラになって、どこかへ行ってしまいそうだ。