花は折りたし梢は高し

とにかくいろいろうまくいかねーなってことを書いていこうと思います。

目をつぶってナタを振り下ろしたことについて書いてみる

飛行機のマイル。失効は3年。

そろそろ消え始めるマイル。3年かけて貯めたもの。

 

それと同じように、嫌われるのが怖くて、ずっと溜め込んでいたものがある。

言いたくないような、でもどこかに吐き出したいような、ドロドロとした感情。

 

体の中で毒が回るように、じわっと蝕まれていく。

ほっこりしたものも、ふんわりしたものも、少しずつくすんでいく。

言葉をまっすぐ受け止められず、皮肉に聞こえてしまう。

 

朝起きて、自分の部屋に転がっていた貰った少女漫画を読んで

女の子の方がキラキラしすぎてて眩しかった。

怒っているような、失望しているような、重い頭を持ち上げて

ここでやめたら何のために中途半端に傷つけてるのか分からない、と思った。

 

徹底的にやらねば。

徹底的に。嫌われるまで。

傷つけるのを分かっていても、私は目をつぶってナタを振り下ろす。

 

ひるみそうになる気持ちを、お腹に力を入れて押さえ込んで。

とにかく前のめりに一方的に、自分の気持ちをワガママに吐き出したら

ああ、何も残ってないな、と妙に空虚な、それでいてフラットな気持ちになった。

 

バイクのチェーンでも磨くかな、とダンボールを引っ張り出してきて

カバーを外そうとしたら雨が降ってきて、カバーを戻して

ダンボールは玄関にほっぽり投げて

歩こうかな、と近所のスーパーまで意味もなく歩いて

近所のコンビニ寄って、食べもしないお菓子を買って

雨空を部屋から眺めて、コーヒー飲んでみたら

吐き出したこと自体には全く後悔はない自分に気がついた。

 

酷いものだ。悪魔だな。

 

読みかけた少女漫画をパラリとめくる。

 

ああ、登場人物の女の子にばかり目が向くのは、

私にとってのいわゆる王子様は

イケメンでちょっと強引な髪の毛サラサラのこの彼でなくて、

メガネのあのバンドのボーカルじゃなくて、

オシャレなあのシンガーソングライターでもなくて

 

めんどくさいくらい繊細で

すぐお腹痛くなる

弱音吐いたり強がったりと忙しい

本当は寂しがり屋で臆病で怖がりで強がりで

なかなか素直になれない胃に穴開けそうな

あの人だから、なのだろう。

 

などと性懲りも無く考える自分に

ふ、と思わず苦笑いしてしまった。

どうしようもないね。

何されたって本当は全部、許してしまっているのだから

怒りようがないんだ。

だから安売りなんだよって、それは言わないけど。

あの日の見慣れない天井も、遅れてきた鈍い痛みも。

ただそれを、弔いたいだけなんだ。

 

本当は分かってくれる人、側にいるんだよ。

なんだかんだ言って、みんなあなたのことが好きだから

大丈夫。幸せになれるよ。

言葉は落ちてくるものだ、恋と心は落ちるものだ、と思うことについて書いてみる

嬉しかったはずの言葉

私を勇気付けたものたち

 

心まで落ちてこない。

引っかかっている入り口のあたりを、じっと見上げている。

 

今の私はまるで両面テープのようだ、と思う。

つるんとした剥離紙と、べたっとした粘着面とがくっついているような。

どちらも私。どちらも表。

 

いつか、ぺろんと剥がれるのだろうか。

そうしたら、私は二人になるのだろうか、それとも何かが削ぎ落ちるとか。

なんて考えている。

 

ライブハウスに行った。

見ていても、どこか冷静になりながら、たまに携帯が気になりながら。

一人でロッカーに寄っかかって聞いていたり。

ソファにいる仲間のとこでおしゃべりしたり。

ぴょんぴょんノリに行って、疲れたらまったり烏龍茶飲んだり。

 

本当に誰もいなくて、一人で行くと逆にあんまり動かなくなるのに。

空間の中に気心の知れた人がいるというだけで、自由に楽しめる。

 

わーっと突っ込んでいって、疲れるまで暴れたら、わーっと帰ってくる。

帰る場所があるから、楽しく出かけられるのだ。

あれだ、リードに繋がれた犬みたいに。

 

あと、ワイワイ動いていることを、みんなもなんだか喜んでくれている気がする。

確かに実際、友達がワイワイしているのを見るのは私も楽しい。

スノボも、バーベキューも、旅行も、おしゃべりも、だからみんなで遊ぶのは楽しい。

ただし気心の知れた人に限る。

 

私は独身の時から、どうしても、何をするにもいつも

ものすごく端的に言えば、何かするたび「これはお母さん怒るかな」的な意識があった。

子供の頃から宿題が終わるまで遊んじゃダメ、と言われていたから

うちの家の庭で友達が遊んでいても、一人で宿題をしていた。

それを変だとは思わなかった。

 

完全に親の呪縛だなあ。

大人になれば割と当たり前のことでも、「悪いこと」をするのは、どこか罪悪感を抱えていた。

 

例えば初めてのお化粧をした時。

例えば初めて異性と手を繋いだ時。

例えばホテルに出入りする時。

例えば彼氏の家に泊まる時。

例えば黙って遠出をする時。

例えば大きな買い物をする時。

 

これがバレたら、お母さんになんて思われるかなあ、なんて常に一瞬考える。

それでやめるわけではないけれど、なんとなく嫌な気持ちになる。

 

いい歳の大人になってからも、デコラティブにあれこれ言い訳をこれでもかと盛り込んで親に送った

「今日泊まって帰ります」のメールに返信がなかったり、返信がそっけなかったりするともう

心配で心配で気になって、結局途中で帰ったりもしていた。

家の外灯が点いているとホッとした。

(怒っていると外灯が消えているのだ。帰ってこないでいい、という無言のアピール)

 

その、自分の中の罪悪感と戦いながらだと、楽しく遊べないのだ。

 

ふとそんなことをゆらゆらしながら思い出していたら、相方が遅れてやってきた。

私はさらに肩の荷が下りたように、自由に楽しめるようになる。

 

笑っちゃうけど、未だにあるのだなあ。

 

何かする時に、一瞬罪悪感がよぎった後「ああ、いいんだもう」と自分に言い聞かせたり。

それが、相方といるだけで感じずに済むものも多い。

私にとってはこの人がというより、その相方という存在自体が大切なのだなあ、としみじみ思う。

私をゆるやかに親から切り離す、言い訳のような存在。

 

そして、夜出歩く時は一緒にいると一人よりは安心。

帰りが遅くなっても、一緒なら変な気を使わないで済む部分も楽だ。

頼りになるかといったら別だけども、考えてみたら私は、誰かを頼らなくても一人で切り抜けられる方だから大丈夫だった。

ただニコニコ、うんうん、隣でゆってくれてれば、それでいいのかもしれないなあ。

 

最近こうやって自分のバックグラウンドを考えることが多い。

ほんとに、思ったより親離れできてないなあ……

人生も折り返してて、そろそろ自分の人生を親から切り離していかねばというところだろう。

それができるのか、よいことなのかは、よくわからないけれど、便利に、とかではなくて、ただ私は心地よく生きたい。

 

これが、剥離紙ぺろん。だろうか。

 

最後のお目当てのバンドは、行ったみんなで一緒にぴょこぴょこしてきた。

ごった煮のようなライブだったけれど、思ったよりもみんなも私も楽しめた。

誰か楽しくなさそうな人がいると、不安になるので、みんなで楽しめたという充実した安心感や

少し薄まった複雑な罪悪感が、楽しさを増幅させる。ヘラヘラしてくる。

 

お酒を一滴も飲んでない私が、一番陽気だった。

 

みんなは私がヘラヘラ笑いながらする、下らなすぎる話にツッコミを入れる。

こういう時の私は表も裏もなくて、ただ自然にヘラヘラしていられる。

こういう私をあの人はきっと知らない、と、チラっと頭をよぎる、なんだか異質な感情。

心にひっかかる何かを、深く考えないようにする。

 

帰り道、楽しかったなあ、と私は一人でしみじみする。

それを共有したいけれど、いまひとつ求められない部分なのは今更で。

わかってるんだけどね、白けるね。まあいいか。

 

最寄駅まで眠ろうとイヤホンを耳に突っ込もうとして、伝言を思い出して、あれこれ日々の相談をして。

そんなことをしているうちに、すっかり帰ってくる我が家。

日常の生活や現実。

愛しいペットが丸くなって寝ている。

 

ソファにごろんとしてアイスを食べる。

ああ、今日も1日が終わった。

週末が楽しみだな、夜更かししてあれこれ準備する。

週末が終わったら、その後は連休か。バイクでどこか出かけようかな。

 

そろそろ寝なきゃ、と携帯を充電して、アラームをセットする。

 

目を閉じる瞬間によぎる、剥離紙の向こう側。

ぺろんってなったら、その剥離紙はどうなるのかなあ。

どこに行くのかなあ。

 

心にひっかかる何かを、深く考えないようにすることはできても

確かに今の私の基盤となっているものがそこにはある。

関わりのあるような話をするだけで、私は楽しくなる。

私はちょっと切ないような、とても幸せな気持ちになる。

でも手に入らない。

 

もう難しいことは考えない。

 

なりゆきだ。もういい。

今は楽しいことだけ見ていたい。

もう手に入らないものを、欲しがりたくない。

手に入ったものだけで、孤独なんて感じないように。

 

これ以上、みじめになるのはやめだ。

「so,you makes my day.」へ、出さない手紙を書いてみる

歌声ってあえぎ声と同じ声なんだって。

ずいぶん昔の、二人が良く知るあの人がいなくなったあの時

あなたは全く深刻さを見せず、ククッと笑った。

私もニヤニヤ笑った。

 

そういう笑い飛ばす感じ、今もそうしてくれてるといいのになあ。

 

今のあなたのことを思うと、私は余計に辛くなる。

それは、同じことを私がされたら、とても悲しいから。

やられたら悲しいことを、自分はやっちゃいけない、とも思うのに。

 

けれど、私は動けずにいる。

それは何かに縛られているからとかではなく

もちろんそこには未だに確固たる何かがある訳ではなく

逆に、確固たる何かが、ないから。

 

ふわふわした状態でいることが、ダメなのだ、と気づいた。

だから、私は静観していて、息を潜めて、ただ様子を伺っている。

このやり方、私は好きじゃない。

でもそれで見えるものもあるのだとは、確かに思うから。

 

私たちは、容易くお互いの要求を理解していたから、気づいたら隣にいて、欲しい言葉を言い合えた。

その言葉自体の重みはなくても、その言葉のタイミングに救われた。

 

大雪や大雨の日、地震の日、計画停電のあの夜、

誰も側にいない時、あなたが気にかけてくれたことも。

 

あなたはあの日、39度の熱を出して倒れてても、弱音一つ吐かずいた。

私の顔を見るなり名前を呟いて、気が抜けたように助かった、としゃがみこんだあの時、ひょっとしたらあなたには、何かが見えていたのかもしれない。

と、今になって気づく。

 

私たちは、長い間目をそらし続けていたのだろう。

それにも、あなたは気づいていたのかもしれない。

同じように頑固で、同じように脆くて弱い何かを抱えて。

でも、あくまで何かの代わりとして。

 

何があるとかないとかじゃなく、理屈でもない、そういうものがあるのだろうとは思う。

 

そもそも私、あまり英語が得意じゃないよ。

そのあたり、読み取ってほしいのか、それとも読み取られたくないのか。

素直じゃないあたりとかもね、笑ってしまうほど分かる。

そして、そういうところ、あなたの人としての柔らかい部分なのだろう。

 

私が誰かに気持ちを深めるたび、その相手は追い詰められたように、具合が悪くなっていくんだよ。

なんでだろうねえ。

 

大抵はそういう人は何かと何かの狭間にいるのから

私は天秤のような、シーソーのようなものに乗っけられた感覚で

そういう様子を見るたびに、私はもうアカンって、疫病神だと思う。

優しくしてもらったたくさんのものも、すっかり見えなくなって

やっぱり嫌われ者だもんな、いじめられたしな、とか、子供じみたことすら本気で思ったりする。

 

「そりゃ、お前、呪いだよ。」

トラウマに襲われそうな時、深いことなんて何も聞かずにそう笑い飛ばす。

あなたのそれにいつも救われた。

 

そして言う。

グタグタ言っても、結局、お前はお前にしかなれないよ、と。

 

受け止めないといけないんだろう。

ダメな自分ごと、自信ない自分ごと。

 

でもなんのために?

 

考えていくとなんだか暗くなるから

もう少しだけ。あと少しだけ。

いつか終わると、言い聞かせて

とりあえず静観していようと思うんだ。

あなたの目が、私を詩人にするのですということについて書いてみる。

君が瞳はつぶらにて 

君が心は知りがたし

 

なんか体が熱い。

 

掛布団からニョキッと足を出してから、暗い天井を見上げる。

一番見つめる時間が長い場所だから、好きな柄を選んだ。

随分と見慣れた、その壁紙のつなぎ目のあたりをしばらくじっと眺めて、ゆっくりと手を握ったり離したり。

規則的な運動を繰り返すことは、眠気を誘う、と習ったので、なんとなくクセになっている。

 

夜中はアイス食べたくなる。

 

思いついたら無性に食べたい。

諦めてむくりと起きて、アイスを食べることにした。

 

うちの夜行性の生き物が隣のガラスの中でモゾモゾとしている。

チラっとそれを眺めながら、アイスを食べて今これを書いている。

 

感情の吐露の応酬

分かってよ分かるけど分かってよ

分かってるよ分かるけど分かってよ

 

最近こればかり続けている。

平行線。

 

でも吐き出した後に、そりゃあつらいよなあ、と感情移入してしまう。

感情を撒き散らした自己嫌悪が、2倍になって自分にのしかかってくる。

でもちょっとスッキリもする。

 

きっと向こうもそう。

 

まっすぐに思うことって、人間にとってはとても難しいのだと思う。

単なる個と個なら、それほど難しいこともないのかもしれないけれど

その個は、そこから繋がる無数の個を、バイパスしているにすぎない。

 

君を離れて唯ひとり

月夜の海に石を投ぐ

 

なのだ。

 

私は何も分かってなかった。

そして今もきっと分かってない。

きっと感情をせき止めていたのは私なのだろう。

聞きたくない、と耳を塞いでいたのだ。

言わせてあげなかった、何も分からなかったくせに。

 

言わなきゃ分かんないよ、もないよなあ。

アイスの棒をくわえながら、ソファにゴロンとした。

 

視界を狭めたものは、私自身の感情や希望だろう。

どこまでもぶつかったら、いつか角が取れて丸くなるのだろうか。

 

もっと優しくなりたいなあ。

あのモダモダした具を、春巻きみたいにくるんと包む皮になりたい。

包んだ中で、ぬくぬく安心しながら、思う存分モダモダしたらいいよって。

 

だんだん眠たくなってきた。

カーテンから薄日が差している。

 

私はもっと強くなれるだろうか。

 

広いベッドにいても、小さくなってくっついて二人は眠る。

そういえば、シングルのベッドでも狭くなかったっけ。

 

守られてるのは本当は私の方でもあるのだ。

私はふわふわしていて、どこへ行ったらいいか分からなくて

それを多分、どこかへ飛ばされないように考えてくれている。

どこへ結んだら居心地がいいのか、考えてくれている。

 

飛び出さないように、包まれているのは私なのだろう。

 

私はすぐに強くはなれなくても、誠実でいよう。

ベッドに戻り目を閉じる時、思い出す感触。

辛くて悲しくて切なくて、なんだか涙が込み上げてくるのに、ふふっと笑いが出てしまった。

 

そのラムプ敷き誰がものぞ。

つーか、そもそも辛い時は頑張らないわ。私。と思うことについて書いてみる

具合が悪い。

風邪をひいた。

 

小学生までスイミングをしていたからか、9時に寝ていたからか

私は子供の頃から割と身体が強かった。

小学校中学校高校と、12年で休んだ回数は全て合わせて片手に足りるくらい。

 

1日学校を休むともう行かなくなりそうだった。

だからいつも、ムキになって行っていた。

 

その調子で社会に出た。

男性に混じってガンガン働いた。

タイムカードに空白がない月なんてザラだった。

 

元気がない時はとにかく食べ物を詰め込んでは、トイレでリバースして、よし、すっきり、と仕事に戻った。

段ボールに横たわり、始発までちょっと寝よう、という日々。生理は年に2回くらいしか来てなかった。

 

そんな調子で働きまくって数年、20代後半に差し掛かった頃、バタっと倒れた。

あれ、足が動かない、なった。

 

そういえば数日前から血尿っぽいものが出ていた。(痔か生理かなんかかなと思っていた)

リバースするものにも血が混ざっていた。(口内炎かなと思っていた)

悲しくもないのに、頻繁に涙が出ていた。

 

あ、これアカン、と気がついた。

 

それ以来、ちょっと無理すると自分のエンジンがストールするようになった。

ぷすん。と、これになるともう、何やってもダメで、身体が起き上がらなくなるだけでなく、精神的にも病みに病んでしまう。

 

往生際悪く、他の会社をジプシーしてみたが、大差ないか、物足りないかのどちらか。

職種も変え、夜遅くまで働く仕事からちゃんと毎週休める仕事に変えた。

定期的に身体を動かす習い事をはじめた。

 

だから、無理して働いている人を見ると心配になる。

確実に週1、できれば週に2日くらいは休みがないと

 

1しか休みのない会社は、労働時間を6時間以内くらいにしたらいいんじゃないかと

 

日本は深刻な人材不足って言われるけど、給料は上がっているようにも見えないし。

私はのらくらたいして責任もない仕事してるけど、そんな私より安い賃金の介護職ってどうなんだと。

海外から人材取り入れようとかね、一億総活躍社会とかね、法人税の優遇とか、その前にもっとダイレクトに効果がある、人件費に回せるようになんとかならんのか。

そしたら税収も増えるし、保育や福祉を、せめて医療職並みの賃金に!って、話がズレた。

 

あの頃のツケがあるのか、今は本当に体力がないのが分かる。

キューピーコーワゴールドやら、リポビタンやらは日常的なお友達だ。

毎年健康診断で要精密検査でひっかかる。

一度身体を壊すと、本当に大変だ。もっと大事にしておけばよかった。

 

さて、今回風邪をひいた。

病院に行くまでもない程度だが……

でも常備薬もあれこれ切れていたし、どうせ買い直すなら処方薬が欲しかったので、立ち寄ることにした。

喉をみた医者には「んー……結構キてますねぇ」「よく我慢してましたねえ」と言われた。

 

ああ、デジャブ。

「こんな程度で病院きてサーセン」って思ってるのに、ここに来るたびこれ言われるわ。

 

私は自分の身体に鈍いんだと悟った。

 

痛みにも鈍く、変調にも動じない。

自分のリミットがよく分かってないだけだ。

バタッと倒れるまで、自分の身体の変調がよく把握できていないのだ。

インフルエンザの時も、熱すら出ずにケロっとしていた。

そういや胃カメラ飲んだ時も医者に「日常的に胃痛があるでしょ?」と言われたけれど

胃薬なんて食べ過ぎた時なんかに、年に一回飲むか飲まないかだけども……

 

そうだ、鈍い!

単に私は鈍いのだ!!

お酒もタバコもやらないでよかった。

身体壊すまで際限なく摂取してしまう気がする。

 

なんか辛いの耐えて頑張ってる俺かっこいいとか、そういうのじゃなかった。

つーか、そもそも辛い時は頑張らないわ。私。

 

しばらく休みなさい、と身体が言っているのだろうか。

仕事は大してやってないけど、めまぐるしく考えることがあった。

ひとつの結論を出して、再度の迷いに捕まる前に突っ走るつもりが、うまくいかなかった矢先の風邪。

身体から拒絶反応が出たのだろうか。

 

ちなみに私は、文字を書くのがものすごく遅い。

その様子を見て、あの人が「本当はのんびり屋なんじゃない?」とゆった。

 

みんな私を「立ち止まると死ぬマグロのよう」と形容するのに。

そんなことを言われたのは初めてで、なんだかびっくりした。

 

そういえば子供の頃は鈍くさくて要領が悪いから、よくからかわれてた。

歩くのは人並みなのに、走るのは異様に遅い。

早生まれだからだと思っていたけれど。

 

本来はのんびりしてて、ゆるっとした性格なのかもしれない。

そう思ったら、遅くていつも我ながら苛立っていたことを、なんとなく許容できるような気がした。

それでいいんじゃん?って言ってもらった気がした。

 

そういうふとした時にも、影響力の大きな言葉が出てくる。

やっぱりあの人(とその影響力)はすごいな。

諸刃の剣だ。

 

確かに私は私のことをあまり分かっていない。

だからなんだか、見つめられると恥ずかしいのかもしれない。

 

けれど、あの人もきっと自分のことを、良くわかっていない。

 

言われた言葉は私がゆってきたこと。

ゆっている言葉は、あの人に言われてきたこと。

 

全然似てない私たちは、こういうとこよく似ている。

無理っていう言葉が、本当は単なる弱音だったりするところも。

ただもう何が正解なのかもわからないほどにこじらせていることについて書いてみる

なんか結局アレだ。

 

実家にまだ残る自室で、ガラクタの整理をしていると、昔の携帯が出てきた。

傷も少なく結構綺麗だし、壊れてない。私の好きな色。

 

ああ、iPhoneに変える前の、最後のガラケーだ。

もちろん充電は切れているので、あたりを見回し、見つけた充電器を挿し込んだ。

 

7年ぶりに起動する携帯。

電源入るんだなあ、と妙に感心した。

 

久々に触るガラケーの操作は、思いの外手間取る。けど、指が覚えてる。

いちいち反応も遅い。

でも、そうそう、こうだった。

これはこれで、操作性がよく考えられている機械。

今よりもずっと、電話とメール、連絡に特化した機械だった。

当時は携帯の他に、iPodが必需品、デジカメも持ち歩いていたなあ。

 

今は連絡を取ることもない、あの人やこの人との密な連絡が残っていたり。

当時私が血を吐くほどに悩み抜いたことに関しては、「まあこんなよねえ」と思うだけで、驚くほど胸は痛まなかった。

 

受信メールをさらっと見た後、送信メールを一通だけ開いた。

自己満足で一方的なメールが目に入って、なんだかげんなりした。

 

変わらない自分に。

変わらない世界に。

げんなりした。

 

上手くいかないものだなあ。

私が駄々をこねてるだけだ。いつもそう。

 

けれど、当時はパンドラの箱のように思っていた、両目をつぶってエイッと電源を落とした小さなコレを

なんとなくの好奇心だけで起動できるようになった。

そしてそれを心配して、声をかけてくれる人がいる。

 

当時の私は、そんな日が来るなんて考えてなかったろうね。

それを当たり前のことみたいに感じたくないな。

 

けれど今日のことは、単なる日常の1日だけれども、いつか懐かしく思い出す日が来るのだろう、と思った。

 

ある日言われた「あなたを美しく産んで育ててくれたご両親に感謝してください」と。

あなたに言われなくても両親には感謝している。

美しくはなかったけれど。

 

そういう属性の人がいて

ひがんでばかりで、努力もしない人。

やれることもやらないで、求めてばかりいる人。

私が大っ嫌いな人種だ。

私は他でもなく、その類の人種なのだろう。

 

捕まってしまったことに気がついた。

それは本当に何気ない瞬間だった。

逃げていた夜のようなものに、足元をすくわれていた。

 

間違っていることに気づいたところで、今更どうできたんだろう。

生まれかわって、子供の頃からやり直すしかないじゃん。

頭では分かる。

完璧なんてない。

完璧なんて無理だ。

 

整ったものの強さ、完璧主義、貪欲さ。

こんなに生きにくいことはないだろう。

 

自分の悪いところ、弱いところ、分かってるのに変えたいのに、これにやっぱり引きずられる。

来世では卑屈じゃなくて自分に自信があって美しくてもっともっと強く優しくなりたい。

そうしたら、きっと今度は大丈夫だと慰めよう。諦めもつく。

 

仕事をしていると、なんとなく思考が安定する。でも吐き気もする。

本当は変えられるんだ。自分も世界も。

「変えらえない」ではなくて、「変えない」のは自分。

 

いったん、私はこの闇のようなものと仲直りをしよう。と思った。

私の中にも巣食うもの。

 

見慣れない天井をぼんやり眺めた、鈍痛を伴うあの日は、不思議と涙が出なかった。

納得したつもりで、諦めて、やむを得ないと言い聞かせて、小さなものを消した日。

ひとつの何かを音もなく握りつぶした日。

私自身には何の変化もない。ただ何かを確実に失ったのだ。

その気持ちだけは失くしてはいけないだろう。

 

何よりも大切にしたかったのに、私は君に会えなかった。

私が誰よりも守らなきゃいけなかったのに、体温も、存在も、私が奪った。

確かなものを与えられなかった君は、ふわふわ、今どこにいるんだろう。

きっとどこかにいてくれている。

なるべく暖かなところにいて欲しい。

いつでも呼んでくれていい。

君は悪くない。必ず、何があっても、次があるなら私は絶対に手を離さない。

 

でも、君に会える日が来るのかな。

そんな資格が、私にあるのかな。

 

変えないのは弱さ。

抱えたもの。

あの弱さを振り払えない自分を、誰が無責任に責められるだろう。

 

一度、どこまでもどっぷり浸かってみよう。

迎え撃つくらいの気持ちで。

 

何も生まないと、間違っていると言われるかもしれないけれど。

憧れたその場に、恋い焦がれたそこには、私の居場所はない。

認めたくなかったから頑張った。でもなかった。もっと頑張った。

さらにさらに。

 

そうするうちに、何が目的だったかすら、わからなくなった。

頑張っちゃダメだった。

ただ待てば良かったのだ、と今は分かる。

でもそれも出来なかった。

 

今の私の居場所は夜なのだろう。ここにしかない。

私が必死に隠している何かを、そのまま包み込んでくれる。

無理に明るみにしようとしないことが優しさ。

 

たくさんのあったかいものをもらった。

ありがとう。

 

気持ちを切り替えて、今できることをやろう。

これ以上自分の無力さと向き合っていても、消耗するだけだ。

できる範囲の中で、なるべく幸せに暮らす努力をしよう。

とりあえず、私は目の前のものを、闇の中を手探りで、掴んでみようと思う。

 

そこからは何が見えるんだろう。

虚無感を埋めるための代用品であってもそのひとつひとつは宝物なんだよということを書いてみる

最近暖かくなってきて、バイクに乗りやすくなってきた。

 

バイクは楽しい。

私は車の運転よりも好きだ。

 

何が楽しいんだろうな。

加速が楽しい、という人もいるけれど。

確かに教習車のCB400の、ギアを上げた時のエンジン音のふわっとした瞬間は「お前男前やなあ」と思う感じではあった。

でも、私のバイクは全然速くないし、そもそも速いの怖い。

ところで隼とかって、一般道をずっと一速で走れるって本当かなあ。

 

バイクの楽しさの源、なんだろうなあ。

と、考えてみれば。

なんか、一緒にいる感じが楽しいんだと思う。相棒感?なんか自分で言ってて若干寒いけど。

 

もちろんバイクからは返事なんかないけれど、ブツブツ話しかけながら走っている。(怪しいわ)

すごくざくっと言えば、個性があるというか、嗜好性が高いあたりもいいと思う。

 

私はもともとバイクになんてまったくちっとも興味がなかった。

原付すら片手に足りる程度にしか乗ったことがない。

そもそもあんまり自転車も好きじゃない。

 

1年前の私は、まさか1年後にの私が七転八倒して免許をとってバイクを新車で買ってブロロンして半年なんて思ってもないだろう。

っていうくらい、自分でも自分が良く分かっていない。

 

結局、1年後の自分が何をしてるかなんて見通しできないんだろうな、と思う。

1年後の私も、周りからあいつは自由だな、と思われているに違いない。

 

これからの1年も、今固執しているものをあっさり手放していたり、積み上げたものが形を変えたり、状況が一転したりするのだろう。

日々はゆっくりしているようで、時間の流れはとても早い。

 

なんとなく、バイクを乗ることになったのは、具体的に何って訳ではない漠然とした何かを、コツコツと積み上げた何かがあふれた瞬間なのだと思う。

 

虚無感の穴を埋めるためのものかもしれない。

結局それを埋められないのも知りながら。

単なる先延ばしだったとしても、確実に得たものがある。

 

この感覚のおかげで、様々なものを私は手に入れている。

だからこの虚しさ自体を否定をする気はない。むしろ肯定する。

現実逃避とも呼べるものなのかもしれないけれど、そのひとつひとつは愛おしいもの。

 

うちのペットは名前を呼んだって来ないけれど、私が手で差し出したものを食べる時は、指を噛まないよう口に運ぶ。

手であげない時は、がぶっとピンセットごと噛み付くのに。

 

どこでそんなこと学んだんだろう。単に指が美味しくなさそうなだけかな。

 

なんとなくその頭に指先で触れる。

なでなで。

目を細めて、されるがままになっている姿を見ると、出会えた幸せがあふれてくる。

 

君のおかげ。君のようなペットがいる私は、この上ない幸せな飼い主だと思うんだよ。

この穴みたいなのがなかったら、君にも会えなかったかな。

それとも、また別の機会に会うことになってああ、きっとそれも君かもしれない。

なんとなくそんな気もするな。

 

そっと指を離すと、ゆっくりと目を開けてから、私の顔を首を傾げて不思議そうに見上げる、丸い目。

 

この、何かを埋めたい埋めたいとあがくことはやめられない。

埋められたら、私はこの目みたいに、綺麗な◯になれるのに。

 

今はいびつな楕円。もしくはパックマンみたいな。

 

埋まったとしたらどんな私になるのだろうなあ。

それはもはや私じゃないのかなあ。

なんて、考えるまでもなく、埋まることなんてない。

そんな予感もする。

 

そろそろしんどくなってきたなあ、とぼんやり思う。

諦める気持ちが強くなる。それはそれで幸せなのだろう。代わりに得たものたち。私の宝物。

変な矛盾があるなあ。