花は折りたし梢は高し

とにかくいろいろうまくいかねーなってことを書いていこうと思います。

私は今も昔もウロウロしているのだと思うことについて書いてみる

昔、宗教家のような彼と短い間付き合っていた。

まったく世の中に順応できていなくて、アプアプしながら生きているような人。

私より5つばかり年上だったけれど、未だに実家に暮らし、ふわふわフリーターをしていた。

 

私はその時、生まれて初めて感じるような、言葉で説明できない大きな出会いに翻弄され

それが叶わない、当たり前の「世の中の仕組み」のようなものに対して絶望していた。

 

分かりやすく言えば、唯一無二な存在を見つけ、勝手に運命を感じあって、一緒に落ちたと思っていた恋のようなものは、単なるひとりよがりなものだった、と知った絶望である。

 

私はそれまでも感覚で生きているようなところがあり、それを過信していた。

その出来事は直感を含めた私のその感覚を全否定するようなもので、もはや何も信じられないような状態。

毎日セイヨウオトギリソウを鬼のように飲んで、お香をたきまくり、とにかくぼんやりと傷が癒えるのを待っている頃だった。

 

そんな時に、旧知の仲だったその彼と深い仲になった。

それでも私はあくまで、現実の世界を生きていたけれど、精神世界というか、仮想世界というかに、生きているような、浮世離れしたこの人の思考は魅力的で、その言葉に救われていた。

彼はいつも、私を肯定し続けた。半ば宗教のように私を愛した。

 

一時はロクに働いていないこの人の分も稼ごうと、より給料のよい職場に転職までしたのだ。

私の愛情もそれなりにあったのだと思う。

 

でも、「それなり」だった。

愛されればいい、というものではないことを知った。

 

転職先で忙しくしているうちに、次第に傷も言えたのだろうか。

徐々に彼との距離が開いた。

最後は「もういらない」とばかりに、私は彼と別れた。

彼は私を引き止めなかった。

間に合わなかった、と悔しそうな顔をした。

 

彼は現実を生きるために、あれこれ動いていたことを後になって知った。

知ったからといって私の気持ちは変わらなかった。

多分それは彼も分かっていたのだろう。

 

近々の別れを予感していた頃、彼は二人で訪れた南の島で言った。

 

今まで世界と自分との境界を感じていた。

けれど、今まで受け入れられず、許せなかった世界の歪みさえも

この世界に君が存在するという理由だけで愛せるようになった。

 

だから、僕はこの世界を生きることにした。

そして、僕はこの世界の誰よりも、君を一番愛せる、と言い切った。

 

当時はよく意味が分からなかった。

 

別れてから数ヶ月経ち、私には別の彼がいた。

その彼とはまあ、まったく性格が合わなかった。あっけらかんとしていて、嘘つきで、見栄っ張り。

けれど、学歴の高い人で話をするのは楽しかったし、そういう分かり合えない性格も当時は気に入っていた。

感覚なんて、もはやあてにならないものだった。

 

身体の相性もよかった。

宗教家の彼とのセックスがとにかく上手くいかなかったので、余計にそう感じたのかもしれない。

デートすれば必ずベッドに連れ込まれた。隙あらば場所も構わず手を出された。

まあ考えるのもめんどくさい私も、それに身を任せていた。

 

心は変わらず空虚だった。でもその痛みにも慣れてきていた。

何かを悟るような、暇や余力が怖かったから、デートの予定と仕事をぎゅーぎゅーに詰め込んでいた。

 

夜に捕まるのが怖かった。

そういう時は、他人の匂いが落ち着いた。

 

私は彼のお家の匂いが好きだった。

何度も連れて行かれた彼の実家は、ご両親の人柄があふれるような優しい匂いがした。

私は着古した彼のトレーナーを貰い、一人で寝る時は抱き枕のようにして眠った。

 

しばらくしてその彼とも別れた。

彼が一人暮らしを始めたことがきっかけだったように思う。

 

私はやっぱり彼が好きじゃない、と気づいてしまったのだ。

私が好きだったのは、彼自身じゃないということ。

すきだったのは、彼の服の匂いであって、彼自身の体臭ではなかったこと。

だから私はハグする時、必ず服に顔を埋めていた。

彼から私のすきな匂いが消えてしまったのは、一人暮らしのせいというよりは、気持ちのせいなのかもしれないけれど。

 

その頃、宗教家の彼から連絡があった。

うにゃむにゃと要領の得ない話をする彼に、「彼氏ができた」と私は言った。

「世界で一番、君を愛しているのは、僕だよ。」と彼は言った。

「僕の世界で一番君がすき、ではない。君の世界の中でも、一番君を愛しているのが僕。」

とんでもない決め付けだ。でもそうかもしれない。

 

それを聞いて、私は気づいた。

あの人に対して、そう思っていたことに。

「あなたのお母さんにはかなわないけれど、その次くらいに、私はあなたがすき。」と。

単なる独りよがりだと頭で分かっていても、あの大きな絶望の後でも、ずっと思っていた。

一方的にそれを言われても迷惑だと、宗教家の彼に言われて知っていたし、口に出したら何かの魔法が解けそうで、私は心に秘めていた。

本当の魔法や奇跡なんて私は知らなかった。

 

ああ、ずっと迷子だったのだ。

野良犬のよう。

警戒して唸りながらも、誰かにかまってもらえるのを浅ましく期待しながら。

人の行き交う道を入った路地で、薄汚れながら、ウロウロとしていた。

 

お風呂に入れてもらい、全然似合わない首輪をつけてもらって、今はお家の中にいる。

「いい子だね」って撫でてもらって、お布団で眠る。前よりもずっと私は恵まれている。いい子でいるために頑張る。

けれどやっぱり、夜に捕まるのは怖い。考えるのは恐ろしい。

単なるひとりよがりなものだった、と知った絶望を思い出す。

小さい幸せを固めて振り払う。

本当の居場所はここじゃないと知ってしまったら、また何かを求めて路地を彷徨うことになるから。

あまりに冷える、あの場所に戻りたくない。

私は変わらず今も、空虚から逃げ続けている。

ぎゅーぎゅーに詰め込んだりしている。

そういう風にもう何年もやり過ごしてきた。

 

それが間違ってるよ、と教えてくれる人は、私に空虚の存在を教えてくれた人でもある。

それが真理だなあ、妙にすとんと納得する。

 

忘れじの 行く末までは かたければ 今日をかぎりの 命ともがな 

 

思わずこれで時を止めてしまいたいとか、死んでしまいたいとか。そう思うほどの幸せ。

ひょっとしたら、私とは違う、深い絶望を見ていたのかもしれない。

いつか書く「アレ」な話についてのプロローグを書いてみる

会社のお昼休み。

友人と待ち合わせて用事を済ますことにした。

 

イヤホンを外しながら、先に来ていた友人の向かいの席に私が座ろうとしていると

「何?」と、聞かれた。

は?注文?と一瞬戸惑って、ああ、曲か、と思い当たる。

「アウルシティ。」

「アローブラックのやつ?」

「ううん。もっとずっと前の。」

手渡されたメニューをぺらっとめくった。

お腹すいてないなあ、とスイーツのページをぼんやり眺める。

 

「アローブラックなら、アヴィーチーのやつよりアコースティック版がいいよね。」

Make me up?

「それそれ。」旋律を鼻歌で歌っていると「寝不足。」という向かいからの声に、メニューから顔を上げた。

 

初めてまじまじと今日、顔を見た気がする。

あら、珍しくスーツ。

あれ、この人こんな顔だっけか。やつれた。痩せた。なんか感じ違うな。

 

「ん、髪切った?」

「寝不足だろ?」

肯定に視線を上下させた後、同じ言葉をもう一度。

 

確かに今日の私は寝不足で、いつもよりもちょっと言葉の理解に時間がかかっている。

「急ぎですまない。」

仕事。と、渡した封筒を小さく掲げた。

「や、そのせいじゃないよ。」

そう?だったら?と

珍しく途端に興味深そうに身を乗り出してくる。

 

なんとなくめんどくさくて、私は通りかかった店員にコーヒーをオーダーをしてから、目の前の水を一口含んだ。

話変えよかな。

 

「そういや、私ブログじみたものとか書いてんだけどさ。」

「じみたものってなんだよ。」

「きみのことを記事にしてたりするんよ。」

「ふーん。まあ好きにすれば。」

「そう言うと思ってました。」

「どうぞお好きに書きなさいな。」

 

興味のある話題から逸れたからか、私が仕上げた仕事の出来栄えに目を通し小さく頷きながら、気のない返答をした。

読ませろ、とも言わないのが彼らしい。

 

「ピコピコしてるミーハーなの、すきでしょ。」

話は音楽に戻ったらしい。

「え?ああ。年明け勉強してた時は、メジャーレイザーばっか聴いてたわ。」

AndroidかなんかのCMの。あれPVいいよな。」

「インドぽいやつ?」

「そうそう。デヴィッド・ゲッタ思い出すわ。」

 

「それよりどうよ。」

「この部分だけ文字入れて。それで、えーと、フィニッシュ?専門用語でなんていうの?」

「ん?校了?いや、責了か。」

「じゃ、セキリョー。」

「データ今度渡すから。」

「あいよ。まあ、お前はほんと、アウトプット止めたら死ぬよな。」

カバンに書類を丁寧にしまいこみながら、聞こえるか聞こえないかの音量でつぶやく。

 

(気が知れない)と言われた気がした私は、なんだかムッとして「きみはそういうの下手くそだもんねえ」と吐き捨てる。

「ってか、そんな楽しい?誰彼構わず話をしたり、自分の感情を出したりするのって。」

と、ちょっと売り言葉に買い言葉な雰囲気になったところで、私が反撃の言葉を頭に浮かべた後、言うほどのものでもないと思って口をつぐんでいると

「それがお前だけど。」と向こうもさやに納めた。

 

「まあ、ちょっと羨ましいんだと思うよ。そういうボーダレスなとこ。」

頬杖をついて、チラっと私を見る。

「ボーダレス?」

「自分に素直になろうとしてるところとか。」

「そんなことないよ。」

割と誤解されてるんだなあ、という感想。

しかし今、それを否定するにも肯定するにも、なんだか中途半端になりそうだ。

むしろ最近は、伝えるのは面倒だな、と思うことが増えたというのに。

 

「すきな人にしか、素直に伝えたいとは思わないよ。」

ふてくされたみたいな声色になった。我ながら。

「それがいないから、辛いんじゃないの?」

もぐもぐとパスタを頬張ると、少し首を傾げて粉チーズをかけている。

だから、ブログとか書くんだろ。

と、いうことか。

 

「いるよ。すきな人。」

「ふーん。」

意外そうな顔をさせられたことで、なんとなく私は気が済んだ。

「まあ、寝不足になるくらいだしな。ウダウダしてんの見るのは嫌いじゃないよ。」

何か一人納得したような顔をして、感慨深げに頷いている。そしてまた、粉チーズ。

「ドSか。」

「ドMだろ。とっかえひっかえ頭突っ込んで。」

もぐもぐ

「違うよ。これはちょっとした宗教だよ。」

「え?なにそれ。」

「私は干支的にも一途だかんね。」

「ふうん。干支とか関係ないが。ま、デザートでも食え。」

机の横の、小さなメニュー立てを手渡される。わたしはチラっと見ながら

「アイス。いや、プリンかな。そういや干支なによ?」

と一息に言った。

友人が店員を呼び止めオーダーしてから

「え?へび。」

と答えた。

「は?ほんと?粘着やね。てか、ちゃんとした年初めて知った。」

「今更か。どれだけ興味ないんだよ。」

「や、多少はあるよ。」

「やっと気づいたか。」

「勘違いすんな。すきとかじゃないわ。」

「そう?お前が自分のこと好きになったら、僕のこと好きになる気するけど。」

「うるさい。昔からさそり座とは話が合わないんだよ。」

A型だけど。」

私はA型の長男が好きだ。なぜか好きだ。

元彼はほとんどA型長男だ。

って、統計学的に一番男性で多いのは長男だし、日本の人口で一番多いのがA型だから

おのずと多くなるのだろうけども。

 

プリンはすぐに来た。

友人は私の食べる姿を、無表情で眺めていた。私ももう何も言わなかった。

 

コーヒーを飲み干し、ふとに顔を上げると、視線の先には友人の次のアポイントの相手であろう人物がいた。

 

「お後がよろしいようで。」

 

私が伝票をつまみ上げ、財布を取り出そうとするのを制止して、「アレ、書きなよ」とぼそっとつぶやく。

私はこっくりと頷いて、500円玉を置いた。

 

そのアレ、いつかじっくり書きたいと思ってるから、聞いたと分かってるってことか。

さそり座もわりとやりおる。

 

太陽が目にしみる、と思いながら、私は会社に戻った。

あえて中2的な例え話で振り返る昔話を書いてみる

自分のことを書くのはカタルシスでもあるし、気が滅入る作業でもある。

さきほどの投稿は、一気に書くとHPが目に見えて低下するので、

ぽちぽちとスマホで書き溜めていたものでありんす。

 

さて、今回は気分を変えて、もうちょっと違う話をしてみよう。

 

というのも、どうも私は前回の投稿を書くにあたり「あれ?私ってば趣味悪い?」みたいなうっすらとした疑惑が、ありありと確信へと近づいた気がしたからです。

 

んなこたねえよ。と。言いたい。(自分に)

 

私は仕事柄、色々なこじらせた人と日常的に話しているので、よくわかるのだけれど。

他人のことなら分かるけれど、自分のことを俯瞰してみるのはとても難しいのだ。

人は誰もが多少はこじらせている。

 

例えば私はいつも、欲張りにあれもこれもと抱えてしまう。

単に捨てるのが怖いだけなのだ。取りこぼしたくない。

モンハンはキークエ以外の採取や雑魚狩りもせっせとやるし、マリオのコインは全部取りたい。

やり切った時、さすがだねえと、周りはもはや「こういう人」として私をみる。

もちろん自分も、そういう人間だと思っている。

 

それを、「全部自分でやらんでいいの」と苦笑する人がいる。

自分だって全部自分でやるくせに。

 

今日はその人との思い出話をしよう。

 

2っぽく例え話をするなら。

 

あの頃から、その人と私は、まるで仮想世界にいるように。

歪みの隙間にアジトを作って過ごしていた。

そこは騒がしくも不安定で、どこか懐かしくて、温かい場所。

薄い壁の向こう側のことが気になりながらも、何もそんな狭い所に入らなくてもってスペースに、強引に入り込んで隠れていた。

 

そこで、その人は私の破れたポケットを見て、「またあ」と苦笑する。

自分でも薄々分かっている。

人はキャパを超えて抱え込むのだ。拾うのだ。

いつもそれで、プスプスしている。ポケットが破ける。

 

でも誰もがそんなの当たり前だ。

みんないっぱいいっぱいだもの。

だから人になんて優しくできない。

そしてトイレに座った瞬間や、お風呂で一息ついた時、眠りに落ちる瞬間、一瞬だけそんな自分をまた嫌になったりしてる。

必死に拾ったものが途端に下らないものに思えて、辛くなる。

 

例えば私が眠そうにしていると、寝ておいでと手を振ってくれる人は結構いる。

でもその人は一緒に隣にゴロンして、寝よか、とトントンしてくれる。

きっと、私より先に寝てしまうんだけど。

それで、ハッと起きて、しまった!ってなるんでしょとか思ってるうちに私も寝る。

 

そんなその人も、本当はキャパを超えているということ。

それでも「よし(勝手に)頑張ってこい」と突き放さず、ちょっと自分が頑張ってでも私を休ませようとする、こういう所にすごく救われていた。

 

頑張らないでいいって、上手く伝えるのは難しいのだ。

別にあなたには期待してないよって意味に聞こえるかもしれない。

じゃあ本当に頑張らなくていいのか、といえば、他のことでも頑張って欲しい部分があるかもしれない。

 

まあ、私が実際やってることって言えば「あ?あ?」って斜めに上目遣いになりながら、ジリジリ壁に追い詰めることだけど。

あれ?全然ダメじゃん私。

 

そんなその人が、どうやら良く分からないけれど、このアジトを出て、どこかへ行くと決めたらしい。

それが私にとって望ましい結論かどうかは別として、そういうの、カッコイイなあと思う。

同性とか異性とか関係なく、カッコイイと思う。

 

何かがきっと見えたのだろう。

なにやらモダモダしながら、私の隣で眠りながらも、先を見据えていた。

そして、いつも肝心なことは何も言わない人。

 

「なになに?どこ行くん?教えて!」と言ってみたが、軽くあしらわれた。

「えーもうちょっと一緒にゴロゴロしてようよー」とも思うけれど、そうもいかないらしい。

 

私にトントンしてくれる余裕は、もうないのですね。

まあ、それならそれで説明してよまったくーと思わなくもない、ふてくされている私。

 

今まで譲ってもらったぬくもりの分も、癒してもらった優しさの分も、とりあえず、旅立つという背中を見送ろう。

本当は私も一緒に連れて行って欲しいけど、悔しいことに私には道が良く見えない。

 

そもそも、本当は、ここから出たいと思っていたのは私なのだ。

二人がずっといられるほど広くはない。このままじゃいつかは壊れる、と。

その人は、扉が狭いから、一緒には出られない、無理だよと困っていた。

 

その人は、拾ってきたガラクタをドヤ顔でアジトに飾る私を、ニコニコ見ていてくれた。

自分の宝物を磨き直して、私に贈ってくれたりもした。

疲れた時はヨシヨシしてくれた。私はいっぱい話を聞いてもらって、隣で眠った。

私たちはそんな時間を、とても大事にしていた。

 

風が強い。

壊れそうなアジトの中で私たちは泣いた。

もうどうしようもなかったから、泣くしかなかった。

 

私よりもリアリストなその人は、ものすごく考えて、立ち寄る回数を減らして、なんとか損傷を抑えようとしたり、ご飯を食べずに痩せてみたりもした。

今にも破れそうな壁の補強を、必死でする私を見て、それも違う、と悲しい顔をした。

そんなことさせてちゃダメなんだと、苦しそうに言った。

そして何も置かず、何も約束せず、出て行った。

 

私はお手紙をいっぱい書いて鳩にくくって空に飛ばしたり

「拝啓~この手紙~読んでいるあなたは~」と歌ってみたり。

そのたび、ふんわりとした返事が律儀に来た。

頑張るのです。と書いてあった。

 

良くわからないけれど。

まあ、仕方ない。

私は、とりあえず荷物を整理してみよか。

 

よっこらしょと荷物を降ろす。

結構いっぱい拾ったな。

 

ポケットからいっぱい出てきた、あちこちで拾ったもの。

例えば土がついた石ころとか。

洗ったらきっと、すごく綺麗になると思ったんだ。

これなんか石英でね。いい色してる。

 

「またこんな拾って……お、いいもんあるねえ。」

って、一緒に見て笑って、面白がってくれて、見る目あるねなんて褒めてくれた、あの人を思い出す。

 

どうしてるだろう。

 

誰かこないかな。とアジトから頭を出す。

 

こんなんじゃ、いいもの拾ったってちっとも面白くないや。

そもそも他の誰にも見せたくない。

だってバカにされるもの。

 

ここにいるんじゃダメなんだろうな、とも思う。

でもいつか戻ってきてくれないかな、なんて、扉を叩く風の音にも飛び起きる。

 

たかだか数日の話のようで、本当は、もう何年もこうやって待っていたのだ、と気づいた。

どうしようかなあ。

 

外に出たら、誰も来なくなったら、ここは本当に飛んで行ってしまうだろうな。

寝たり起きたりして、ゆるゆると時間を潰した。

たまに仕事に行って、たまに家に帰って、たまにアジトでぼんやりして。

もらった宝物をみてニヤニヤしたり、しくしくしたり。

こんなアジト潰してしまえ、とガシガシしたり。

 

そんなことをしながら、気がつけば私も、ずいぶんと大人になった。

状況も環境も変わった。

 

どこかで頑張っているであろう、あの人を思う。

 

私は、心の底から本当にカッコイイと感じる。

なんらかの決断ができること。強さや優しさ。

玉石混交の世の中において、それは本物であると、美しいものだと。

 

私は、それが分かっているけれどもうしばらくはここにいるつもり。

 

この声が届くなら本当は、教えて欲しい。言いたい。

 

私はあなたがしてくれたように、一緒に休もうって言えなくてごめんなさい。

一体、何が見えたのかな。私にも、見えるのかな。

 

まだここにいる私は、大人にはなっていても、成長、できてないのかなあ。

お揃いなんてくそくらえだ。と思うことについて書いてみる

私は異性とのうにゃむにゃが遅咲きだった。

 

思い返せば初恋、はいつだったろう。

好きな男の子はいた。

同じ保育園の、頭が良くて、物静かで、優しい男の子。

「ケッコンするんだ!」と周りに言った。

そもそも結婚が何かも分ってなかったし、一番好きだから、結婚、という短絡的な思考だったのだろう。

周りに「ハイハイ」と苦笑いされる理由が、当時はよく分かってなかった。

 

小学生のときは、周りの女子と遊ぶよりも男子と遊ぶのが面白かった。

家の近所には女子の同級生は全然いないのに、男子はたくさんいた。

どうしてランドセルの色が違うのか分からなかった。

お人形遊びも好きだったけれど、同じくらい生き物を捕まえたり、秘密基地を作るのが好きだった。

 

小学校6年のとき、初めて異性として好きな男の子ができた。

私よりもずっと背の低い彼は、頭が良くて、中学受験することが決まっていた。

貸してもらった本をきっかけに、私は彼が好きになった。

彼の好きな音楽も、彼の書く文字も好きになった。

席が隣になった時は、毎日学校が楽しかった。

確か卒業式も隣だった。

体育館に入場前、お互いの胸に花をつけた。

ドキドキしながら彼のネクタイを直したのを覚えている。

最後まで、好きと言えずに別れた。

母親と一緒に家に帰ろうとした時、校舎の上から呼び止められた。

確か、またねとか、そんな簡単なやりとり。

 

思えばこの時から、私の恋は大して進歩していないなあ。

 

それから、周囲の異性への目覚めが進むほど、私は取り残されてしまった。

私はどこかそれをバカにしていたのだ。

そんなものよりも崇高なものがあると思い込んでいた。

 

気がつけば完全に私は異質なものとして、時に排除の対象となりうる存在となった。

なんの覚えもない他校の生徒から、言いがかりをつけられて塾の帰りに呼び出されたこともある。

公開裁判されたこともあるし、あからさまないじめを受けたこともある。

一層私は閉じこもった。それで良かった。

 

言いたくはないが、私は明らかに見た目も悪く陰気だった。

(そしてオタクだった)

 

トイレに行た後、手を洗いながら鏡を見ることすら躊躇われた。

「ププ、あのブス、鏡とか見てるし、あの顔で。」と思われると思った。

何より自分がそう思っていた。私には鏡なんていらない。

可愛いものを身につけたりするのもおこがましい。

 

母親から、「女」を感じたことはなかった。常にあくまで母だった。

女らしさを学ぶ機会を失った。母はそれをよしとしていた。私はいい子でいたかった。

時代はコギャル絶盛、ルーズソックスやお化粧はおろか、色付きのリップを塗っただけで母親はなんとなく嫌な顔をした。

だから私は、親がしまむらやらで買ってきたような、よくわからない服を着て過ごしていた。

興味がないふりをした。オーバーサイズの服ばかり着ていた。もちろんスカートは履かなかった。

髪も中学くらいまでは母親が切っていた。

その後は社会人になるまでは母親が行っていた中年女性が行くような、イスが3つしかない照明の暗い美容室に通った。

 

私を「そういうもの」として扱ってくれている数少ない女友達が、私を支えていた。

私の内面を見てくれていたのだと思う。

今その数少ない友達とは、あの頃チャラチャラしなくてもったいないとも思うけど、カレシやら何やらに翻弄されず、内にこもっていた分感受性やら精神やら、イマジネーションがものすごい高まったよね。と話をする。

(その友達だって、当時から私から見ればすごく女らしくて可愛いと思っていたけれど)

あれだ。みうらじゅん曰く、20歳までは童貞を貫け、というアレだ。

 

初めて自分のお金でスカートを買った日を、よく覚えている。

店員に「お前が着るのかよ」と思われるのも恥ずかしくて、何度も行ったり来たりした。

もちろん試着なんてする勇気はないから、フリーサイズ。

黒いコーデュロイの、花柄のスカート。

 

親に知られるのも恥ずかしくて、当分着ることも洗濯にも出すこともなかった。

でも親にたまたま見つかって、しまった!と思ったけれど、「可愛いね、買ったの?」と言ってくれた時、ああ、良かったんだと思った。

自分のお金で服を買うことも、スカートを履くことも。

今思えばそんなの当たり前だけど、そんなことまで顔色を伺うくらい、正解が分からなかったし、いい子でいたかった。

 

初めてお化粧をした日も覚えている。

お化粧道具を見られるのも恥ずかしくて鏡の裏に隠した。

親に顔を見られないようにして出かけた。

 

そうやって私はちょっとずつちょっとずつ、恐る恐る、玉ねぎの皮を慎重にめくるように女になった。

それは、人よりもだいぶ遅かったけれど、ヘアサロンのカットモデルなんかもやるようになっていたし、同窓会で誰も私に気づかなかったくらい、私は特異の目で見られない程度、普通の女子に擬態できている。

私に電話番号を聞いてくるこの男も、中学生の私に牛乳を拭いた雑巾を投げつけ、ブスだの汚いだのと蔑んでいたことを忘れているのだ。

そして、自分も気が強いタイプだから、きっとそうやって誰かを知らずに傷つけてきたとも思う。

分かっている。

それは単なる自意識過剰で、本当は周りも私にそこまで興味がないことも。

見た目がどれだけ、残酷なほどに「自分の見え方」を左右するかも。

 

今ではもちろん、そういう娘だ、と母も認めている。

「手の爪に何か塗るなんて。お料理する時入りそうで嫌だ」と子供の頃から言っていた母を、ネイルサロンに連れ出せるようになった。

キラキラの爪を見て、母はうっとりと笑う。

そう、早くこうすれば良かったのだ。

怯えてないで、突き破れば良かった。

本当は憧れているのかもしれないのだから。

 

私は、母が結婚指輪をしているところを見たことがない。

「指に何かはめるのが嫌い」と言っていた。

しかし本当は、結婚指輪はサイズが合わなくなったが、模様が入っているから変えられず付けられないのだと知った。

お誕生日にジュエリーショップに連れて行き、指輪を買ってあげた時、母はまんざらじゃない顔をしていた。

 

けれど、親に彼氏を紹介することはなかなかできなかった。

そもそも「彼氏」というものとの接し方すら良くわからなかった。

何をすればいいんだろうと彼氏の顔色を過剰に伺ったり。

逆に年上の彼氏ができた時には、わがままな女王のように振舞ったり。

 

生まれて初めて、女子なら誰でも憧れるであろう、アクセサリーをもらった時は嬉しかった。

その彼と別れた時、返すくらい嬉しかった。(今思えば、返されても困っただろうなあ)

 

一番嬉しかったのは、ペアのネックレスをもらった時。

彼がいつもしていたタングステンだかチタンだかのネックレス。

「これ元々はペアなんだけど、気に入ってメンズのやつ一人でつけてんだよね」と彼は言っていた。

クリスマスに、そのレディスのものをもらった。

ちっとも自分には似合わなかったけれど、なんといっても彼氏とお揃い。

鼻血出そう。お風呂の時もずっと身につけていた。

 

のちのち、ずっと切れてなかった元カノとお揃いのものだったことが判明し、男という生き物の業の深さを知った。

 

そもそもペアのを一人でつけるなんてあるか。騙されんな私。 

クソ、お揃いなんて、そんなもんくそくらえだ。

あれ、元カレの話すると、ろくな男と付き合ってない感じになってきたなあ……話を戻そう。

 

昔友人が言っていた。

「お肉大好き。でも昔はデブだったから、言えなかったんだー。」

ああ、すごいそれ分かるよ。

分かる。

 

私が何も考えずに、普通に鏡を見られるようになったことと同じだ。

年甲斐もなく、ぬいぐるみと寝るし、ディズニーランドで耳をつけるし、休みの日は多少個性的かと悩んでも好きだと思う服を着る。

 

そして、人生の最たる恥さらし、ウェディングドレスまで着た。

 

親の頼みで式をすることになったが、嫁が普段着という訳にはいかない。

着物だなと、共済で借りた。

今度は相方が俺はタキシードも着たいと頼み込んできた。

(=そのためには隣になんでもいいからドレス着てる女が必要)

 

私みたいなのが着ていいのか?いや、擬態できてるから大丈夫?

プロの手にかかればみんな綺麗になれる、きっと見られる程度には。一応着ておこうか、女だし。

 

今思えば親のせいにできた。よかった。

 

相方は私のドレス姿を見て言った。「おひめさまがいる

「およめさまだ」と私は吐き捨てた。

後日、ウェディングサロンから商材写真に使わせて欲しいと依頼があった。

ああ、一応人様に見せても恥ずかしくない写真に仕上がったのだ、と心から安堵した。

人生最大の擬態だった。もはや誇らしさすら覚える。

 

開き直ると開ける人生。

やりたいようにやらなきゃ、前に進めないこともある。

 

あらゆるものに擬態して生きて来た。

私はどうしたいのかなあ。

もはやどれが私なのかなあ。

 

ガラスの向こうの母親と、耳元のあたたかい声。

夜に浮かぶ自分の中に、ほんのり灯る、切ないような心と、色を変える私。

 

嬉しいのだ。必要とされること。

上手に擬態できているような気がして。

必要される形にうまく擬態できることが。

ありのままの自分でも、愛されているつもりだった。

でも多分、どこかで何かを間違えた。置いてきた。

だから満たされない。だけど。

 

正解ってなんだろう。

 

本当に確かなものは、この心だけ。

それは分かる。

誰からも、じゃ意味がない。

自分が必要だと思う人から、自分も必要だと思われたい。

 

そんな奇跡、捕まっちゃいけない考えかもしれないけれど。

「この日の事をとにかく忘れたくなくて」こんな話を書いてみる

久しぶりに会った。

この人は、インドの占い師に「ソウルメイト」と言われた大事な人だ。

性別や年齢なんて関係なく、人としてのつながりを感じている。

インド人曰く、前世は親子だったそうだけれど、実際はどうなんだろう。

 

どれくらいぶりだろう、とりあえず、今年に入ってからは初めてかな。

と、相変わらず顔色の悪い横顔を眺めて思う。

 

最近、死相すらが出ている気がする。

 

痩せたとかやつれたとかそういうのを通り越して、ゲッソリというか、なんというか。

「土に還るのかも」と失笑するこの人の冗談すら、笑えない気がしてくる。

 

疲れてんのかなあ。

 

朝から呼び出したことの申し訳なさを感じて、ほんのちょっと口をつぐんだ。

そのままぼんやりしていると、右側の頬を指で押される。

 

ん?

ああ、この人の挨拶はいつもこれだね。

と思い出す。

 

初めて触れられた時も、これだった。

ほぼ初対面の私の頬を、バスの降車ボタンを押す子供のように、どこか緊張を含んだ、面白がっている表情でぽちっと押したのだ。

 

親に「アンタ、今何食べてんの?」とリアルに言われる程度に丸顔なので

(飴ちゃんとか入ってない/しかも結構最近言われた)押したくなる気持ちもなんとなく分かる。

 

「つぎ、止まります」

とゆってみた。

その時どんな顔をしていたのかは覚えていない。

 

あの、初めてのぽちっとから、何年経っただろう。

二人とも二十代だったあの頃から、すっかり歳をとって今やぶっちぎりの三十路である。

思えば遠くに来たもんだ、と私もこの人も思っているのだろう。

 

早起きが効いて、適度にぼんやりとした思考の中、私たちは言いたかったはずのたくさんの言葉をスカッと忘れ、本当にどうでもいい会話をしていた。

 

この時間の希少性と反比例するように、気負わない時間が過ぎていく。

 

目的もなく、ただあれこれと、その時感じたことをそのままアウトプットしているだけ。

何を話したかすら覚えていないような内容。

会うと気がつくことがたくさんある、とそれくらいしか印象が残っていない。

 

それはそれで、いいような気もしていた。

浮かれているような、落ち着いているような。不思議な浮遊感。

 

「なんか食べよか。」

 

と、ずっと言い続けながらも、それほどの積極性もなく、結局何も食べずに時間が過ぎる。

知らない道をぼんやり眺めながら、いつも感じる水の気配。

いつもブルーライトにまみれている目が、緑をいっぱい吸収している。

 

食べ物を見るとお腹が空いていることに気がつく。

けれど、それほど何かを食べたいわけではないのだ。

 

私が物欲しそうな顔をしていたのだろうか

「お腹すいたねえ」と、あやすように言われた。

単に頭の中で、残り時間について計算しているだけなのだけども。

この人と会う時のクセなのだ。あと何時間。といつも考える。

 

ひょっとしたら、この人も考えているのかもしれない。

いつもこの人は、私をこうしてさりげなく気遣っているから。

 

行きたい場所を言わなくても、連れて行ってくれる。

どれだけ迷子になっても、必ず時間までに送り届けてくれる。

私は、半ば妄信的な信用を持って、リラックスしている。

 

一緒にいると、面白いことや変わったことが起こったりする。

それは単に、他の人といたら面白いと感じなかったものなのか

はたまた呼んでしまう体質なのか、は分からない。

 

ほんのちょっとひんやりした風が、髪をなびかせている。

ん、と目を細めているその様子を眺めて、suzumokuの適当に透明な世界みたいだなと思った。

「ふらふら過ぎる時間がひたすら愛おしくて」、それがただ心地よくて、感じていたかった。

私の視線に気づいて、眉をあげる。

なんだかその仕草に、ほっこりした気持ちになる。

 

時間ギリギリまでくだらない話をして、私は席を立つ。

帰る時はなるべく振り返らないようにしている。

 

離れてからふと見ると、あの人はあの顔をしている。

なんだか複雑に感情の入り組んだ、無表情。

 

そういえば、見送る気持ちってどんなものだろう。

私は視線で「またね」と伝え、パタパタと手を振って、踵を返した。

 

カバンの中からマスクを取り出して、耳に引っ掛けながら思う。

 

あの人も小さく手を振って。

それから、どうしてるんだろうな。

同じように踵を返しているのかな。私の姿が消えるまで眺めているのかな。

少し安心したような気持ちなのかもしれないな、と推測する。

私よりも、ずっと気を張っているはずだから。

 

一人になると、途端に現実に戻ったような気がする。

なんだか泣きそうな気持ちになる。

溢れてくる気持ちは、寂しさのような、温かさのような、愛おしさのような。

ああ、こんな気持ちなのかな。と思う。

 

席に座ると、途端に眠気が襲ってくる。

切なさを感じるのが辛くて、私は目を閉じて眠りへと落ちる。

 

目を覚ます頃は、この長くて短い、夢が終わっているだろう。

バカでも愚か者でもなんでもいいけれど私はドアを開けていくぞと思ったことについて書いてみる

自分は本当にバカだと思う。

バカでもいいや、と思ってるあたりが、バカだなあと思う。

バカって響きが良くない、この場合では仮に「愚か者」とでもしよう。

 

軽いバカっていうのは、自分がバカなことに気づいてない。

気づいているのに、それでいいやって思えるのが真性の愚か者。

 

考えて考えて、うん、よし、って進めてきて

それも違うんだって薄々気がついても軌道修正は難しくて、見て見ぬフリで強行突破しようとして。

できなくもない、という感触もある。

がむしゃらにやって、なんだか違う気もするけれど、上手くもいってる。

よし、イケル、と思った辺りで、自分の中の何かが反乱を起こす。

 

それは一瞬の迷いだったり、なんか気が乗らない……みたいな気持ちだったり。

 

そして、なんらかのきっかけで

ついふと、立ち止まる。

 

しかし、そこで止まった後のジレンマと言ったら、そりゃあ大層なものである。

 

もはや

何が何だか。

前にも後ろにも進めなくなって、歩みが止まってしまう。

 

途端に前からも後ろからも急かされている気がする。

 

ずっと立ち止まっていて良いわけでもないことは、自分自身もわかってる。

 

自分だってこんな落ち着かないところにいたくはない。

どこかに行きたい。

 

ああ、壮大な勘違いや思い込みに気づいてしまった。

 

それに気づいたら、今までのことを全部ひっくり返さないといけないほどの勘違い。

 

え、そうなの、この世の中ってそういう仕組みなの?

そして、自分って、人って、そういうふうに繋がるものなの?

 

実は白身魚のフライの魚がタラと思い込んでたのに、ホキだかメルルーサだかナイルなんとかだかいう見た目が可愛くないにょろっとした魚だったと知った時の衝撃、みたいな。

ま、タルタルあれば何でも美味いけどね。もぐもぐ。

あれ、ちょっと違うな。

 

知らなきゃ良かった。

知らなきゃ平気でいられたのに。

ってこと。

今までだって一生懸命必死にやってきた。

なんのためにやってきたのか。

 

でも知ってしまったのだ。

どこか頑張りが空回りしていた理由も

打っても打っても響かない空虚さも

そういうものだ、と諦めようと押し込めていた希望も

知ってしまった、だから、もう目をそらし続けることはできない。

 

あちこちぶつけて、転がって、傷だらけになった。

立ち止まって、一通りあたりを見渡してから、目を閉じる。

今までのこと、これからのこと、いまの自分。

 

見ると迷ってしまうことを見ないようにしたり

そこを見ることで悩むことが分かっていてあえて見つめていたり

 

違う、そうじゃなくて。

何が正解かは、今までの物差しでは計れないものなんだ。

くるんと変わってしまったのだから。

そう、気づいてしまったのだから。

 

またくるんとは戻せない。

戻せるような気がしているけれど、きっと実際は戻せないだろう。

新しいものさしで計って、素敵だと思うものを見つけてしまった。

 

考えちゃダメだ。

考えないで、聞いてみよう。声なき声に耳を済まそう。

遠くからかすかに聞こえる声が、幻聴かどうかなんてこの際どうでもいい。

 

きっと同じようなジレンマを抱えているであろう、あの壁の向こう側に会いに行こう。

 

私は愚か者なのだろう。

でもそれは、今までのものさしで計った尺度で、だから、それでいい。

 

じゃあ私は何なのか、それは見つけに行こう。

みんなに教えてもらいに行こう。

 

そんな簡単なこと、気がつけずにだいぶ時間がかかった。

 

私はドアを開ける。

もう待たない。

見つけたものさし、これで計って素敵なものを集めていく。

 

中にあるものが飛び出してきて怪我したり

引っかかれたり暴れられたりしてもそれでもいい。

 

思うように上手くいかなくても、同じ物差しを持っていなくて、結論が違ったとしても。

それでも私はドアを開ける。

 

私の新しいものさしの使い方は、本当はまだちゃんと分からない。

それでもこれだけは、大事にするんだ。今度こそ。

 

自分に言い聞かせるとかじゃなく。

周りの価値観とか、期待とか、立ち位置とかそういうんじゃなくて

ちゃんと、自分で決める。

イケメンリア充が隠居してユニクロメガネにトランスフォームした、彼とのやり取りについて書いてみる

NHK100de名著、という番組を録り溜めていて、暇があると見ている。

(受信料払っています)

 

ずいぶん昔の、フロムの「愛するということ」の回にいたく感銘を受けて、NHKのブックにはアンダーラインを引いてまで読むハマりっぷり。

結局元の本まで買ってしまった。

 

そして、今年の2月はアドラー、まだちゃんと見てはいないけれど(録画って良くない。結局見なかったりする)

Twitterによれば冊子が売り切れているらしい、そんな話をしたら、目の前でうつむきがちに玄米シェイクを頬張っていたメガネが顔を上げた。

 

「きっかけ、アドラーだったかもしれない。」

「ん?」

「いや、きっかけ。」

 

ああ、と頷く。

メガネは現在、過去の華やかなリア充生活をあっさりをかなぐり捨てて、仙人のように田舎の山に引きこもって生きている。

買い物は基本Amazonだが、たまにこうして、フラッと下界の私の地元、地方都市に生存確認するように降りてくる。

本日は近所のモスバーガーにて現地集合中。

 

言葉の続きを待つ私の視線に、シェイクに戻ろうとした彼はふと手を止めて、私の背後の斜め上をぼんやり眺めた。

たまに守護霊が見えるとか良くわかんないオカルトなことを言うので、私も思わず何かいるのかと振り向く。

と、同時に彼が話し出した。(別に何もいないらしい)

 

「読んだの。アドラー自己啓発本て嫌いなんだけど。」

 

体を変な方向にくねらせていたのを戻しながら、なんの言い訳?そういうこと言うとかっこいいと思ってんの?と

余計な蛇足に私が鼻で笑うと、眉をひそめてメガネは続ける。

 

アドラーは、人間の悩みは、すべて対人関係の悩みであると言い切った。

特に「認めてほしい」といった承認欲求は、「自分には価値がある」と実感したいから生まれるもの。

それによって自分の人生が他者のものになってしまう。そこで人は軋轢を感じ、不自由さを覚える。

自分の人生を生きるためには、「課題の分離」をすることが大切ってゆってて。

自分が幸せになるためにできることは自分にとって最善の選択を取り続けることしかない。」

 

一息にサラサラと話し終わると、ふう、と嘆息。

「いわゆる、嫌われる勇気ってやつ?」

そう、とシェイクを口に含んでから、彼はコクリと頷いた。

 

「でも僕は、その勇気っていうのが持てなかった。

怖いじゃん。どうでもいいってしてたいけど、みんなに期待されたいし、好かれたい。

でも自分って人間をちゃんと掴んでおかないと、それすら見失いそうになる。」

 

だから逃げたの、とどこか投げやりに言って、オニオンリングを頬張った。

なんだか、意外性が全くなくて、逆に驚く。

まあ、これもまた一つの真理なのだろう。

 

「他者の課題にも踏み込まない。それは失礼なことだし、僕には関係ない。

しかも、そうしていれば自分も他者に期待もしないで済む。」

 

「まあ、それも理想論だけども。ほっとけないとかあるじゃん。」

 

「期待してなきゃそれでいいんだよ。好きで手を出すなら。

問題は、せっかくやってあげたのに、みたいな気持ち。もしくはあなたのためを思って、という余計なお世話。

頼まれてないんだから、ありがた迷惑でもあるって、認識しないで、こっちが頑張る分どうしてってやってもらえない?どうして幸せではない?って、相手や社会に期待してしまう部分。

よく例に上るのが、親が子供の進路を口出すこととか。それは子供の問題であって親が勉強しろって言うのは、課題の分離をできてない。

子供も親の期待に応えようとして、自分なりに物事を考えたり判断しない、もしくは自分の理想と違うことをする、それも課題の分離ができてない。」

 

人の喜ばせたいって人ほど陥りやすい。

それって幸せにしたいとは違うんだよ。

人からの承認で、自分を保つだけ。

自分を持ってない人。自分を見失ってる人。

 

過去の自分のことを言っているのだろうか。彼は自嘲気味につぶやいた。

 

「不器用なやつ。」

私の言葉に、彼は一瞬眉を上げた後、なんだか嬉しそうに笑った。

「弱ってたんです。」

だから、アドラーが妙に染みた、と。

 

どうもしっくりしすぎてしっくりこないな、と座りの悪い顔をしていたのか

「失恋したんだよ。」

とメガネは諦めたような顔をしてメガネを押し上げた。

 

ああ、そういうこと。

全部のつじつまが、この何年か越しで繋がった。

 

このメガネ、あの頃、そういえば年甲斐もなくやんちゃな恋愛してたっけか。

 

なんて言ったらお前に言われたくねーよと言われるのが目に見えてるので、飲み込んだ。

全然やる気なさそうにしてたのに。あれもフェイクか。

アレが、割とクールで執着のない彼にそこまでダメージを与えていたことが意外で、そんな意外に驚いてる自分が少しつまらないので

いかにもやっぱりね、みたいな顔をして携帯を見た。

 

ふむ。

そろそろ帰ろ、と伸びをした。

「弱いところ見せたら、優しくしてもらえると思ったら大間違いだー」

捨て台詞として、歌うように私が言うと

「お前は基本、優しいよ。」

目も合わせずに彼は言い、持っていたポテトで押し出すように、ナゲットをひとつこちらに差し出す。

私はそれを口に放りこんでから、席を立った。

ひらひら、とメガネは手を振った。

 

私のバイクのホルダーにぶら下がっていたメットの中に、多分彼がベランダで育てたのであろう、ビニールに包まれた小松菜らしきものがつつましく入っていた。

うちのペットの好物。

あいつもたいがい優しいよな、と鼻で笑った。