花は折りたし梢は高し

とにかくいろいろうまくいかねーなってことを書いていこうと思います。

お揃いなんてくそくらえだ。と思うことについて書いてみる

私は異性とのうにゃむにゃが遅咲きだった。

 

思い返せば初恋、はいつだったろう。

好きな男の子はいた。

同じ保育園の、頭が良くて、物静かで、優しい男の子。

「ケッコンするんだ!」と周りに言った。

そもそも結婚が何かも分ってなかったし、一番好きだから、結婚、という短絡的な思考だったのだろう。

周りに「ハイハイ」と苦笑いされる理由が、当時はよく分かってなかった。

 

小学生のときは、周りの女子と遊ぶよりも男子と遊ぶのが面白かった。

家の近所には女子の同級生は全然いないのに、男子はたくさんいた。

どうしてランドセルの色が違うのか分からなかった。

お人形遊びも好きだったけれど、同じくらい生き物を捕まえたり、秘密基地を作るのが好きだった。

 

小学校6年のとき、初めて異性として好きな男の子ができた。

私よりもずっと背の低い彼は、頭が良くて、中学受験することが決まっていた。

貸してもらった本をきっかけに、私は彼が好きになった。

彼の好きな音楽も、彼の書く文字も好きになった。

席が隣になった時は、毎日学校が楽しかった。

確か卒業式も隣だった。

体育館に入場前、お互いの胸に花をつけた。

ドキドキしながら彼のネクタイを直したのを覚えている。

最後まで、好きと言えずに別れた。

母親と一緒に家に帰ろうとした時、校舎の上から呼び止められた。

確か、またねとか、そんな簡単なやりとり。

 

思えばこの時から、私の恋は大して進歩していないなあ。

 

それから、周囲の異性への目覚めが進むほど、私は取り残されてしまった。

私はどこかそれをバカにしていたのだ。

そんなものよりも崇高なものがあると思い込んでいた。

 

気がつけば完全に私は異質なものとして、時に排除の対象となりうる存在となった。

なんの覚えもない他校の生徒から、言いがかりをつけられて塾の帰りに呼び出されたこともある。

公開裁判されたこともあるし、あからさまないじめを受けたこともある。

一層私は閉じこもった。それで良かった。

 

言いたくはないが、私は明らかに見た目も悪く陰気だった。

(そしてオタクだった)

 

トイレに行た後、手を洗いながら鏡を見ることすら躊躇われた。

「ププ、あのブス、鏡とか見てるし、あの顔で。」と思われると思った。

何より自分がそう思っていた。私には鏡なんていらない。

可愛いものを身につけたりするのもおこがましい。

 

母親から、「女」を感じたことはなかった。常にあくまで母だった。

女らしさを学ぶ機会を失った。母はそれをよしとしていた。私はいい子でいたかった。

時代はコギャル絶盛、ルーズソックスやお化粧はおろか、色付きのリップを塗っただけで母親はなんとなく嫌な顔をした。

だから私は、親がしまむらやらで買ってきたような、よくわからない服を着て過ごしていた。

興味がないふりをした。オーバーサイズの服ばかり着ていた。もちろんスカートは履かなかった。

髪も中学くらいまでは母親が切っていた。

その後は社会人になるまでは母親が行っていた中年女性が行くような、イスが3つしかない照明の暗い美容室に通った。

 

私を「そういうもの」として扱ってくれている数少ない女友達が、私を支えていた。

私の内面を見てくれていたのだと思う。

今その数少ない友達とは、あの頃チャラチャラしなくてもったいないとも思うけど、カレシやら何やらに翻弄されず、内にこもっていた分感受性やら精神やら、イマジネーションがものすごい高まったよね。と話をする。

(その友達だって、当時から私から見ればすごく女らしくて可愛いと思っていたけれど)

あれだ。みうらじゅん曰く、20歳までは童貞を貫け、というアレだ。

 

初めて自分のお金でスカートを買った日を、よく覚えている。

店員に「お前が着るのかよ」と思われるのも恥ずかしくて、何度も行ったり来たりした。

もちろん試着なんてする勇気はないから、フリーサイズ。

黒いコーデュロイの、花柄のスカート。

 

親に知られるのも恥ずかしくて、当分着ることも洗濯にも出すこともなかった。

でも親にたまたま見つかって、しまった!と思ったけれど、「可愛いね、買ったの?」と言ってくれた時、ああ、良かったんだと思った。

自分のお金で服を買うことも、スカートを履くことも。

今思えばそんなの当たり前だけど、そんなことまで顔色を伺うくらい、正解が分からなかったし、いい子でいたかった。

 

初めてお化粧をした日も覚えている。

お化粧道具を見られるのも恥ずかしくて鏡の裏に隠した。

親に顔を見られないようにして出かけた。

 

そうやって私はちょっとずつちょっとずつ、恐る恐る、玉ねぎの皮を慎重にめくるように女になった。

それは、人よりもだいぶ遅かったけれど、ヘアサロンのカットモデルなんかもやるようになっていたし、同窓会で誰も私に気づかなかったくらい、私は特異の目で見られない程度、普通の女子に擬態できている。

私に電話番号を聞いてくるこの男も、中学生の私に牛乳を拭いた雑巾を投げつけ、ブスだの汚いだのと蔑んでいたことを忘れているのだ。

そして、自分も気が強いタイプだから、きっとそうやって誰かを知らずに傷つけてきたとも思う。

分かっている。

それは単なる自意識過剰で、本当は周りも私にそこまで興味がないことも。

見た目がどれだけ、残酷なほどに「自分の見え方」を左右するかも。

 

今ではもちろん、そういう娘だ、と母も認めている。

「手の爪に何か塗るなんて。お料理する時入りそうで嫌だ」と子供の頃から言っていた母を、ネイルサロンに連れ出せるようになった。

キラキラの爪を見て、母はうっとりと笑う。

そう、早くこうすれば良かったのだ。

怯えてないで、突き破れば良かった。

本当は憧れているのかもしれないのだから。

 

私は、母が結婚指輪をしているところを見たことがない。

「指に何かはめるのが嫌い」と言っていた。

しかし本当は、結婚指輪はサイズが合わなくなったが、模様が入っているから変えられず付けられないのだと知った。

お誕生日にジュエリーショップに連れて行き、指輪を買ってあげた時、母はまんざらじゃない顔をしていた。

 

けれど、親に彼氏を紹介することはなかなかできなかった。

そもそも「彼氏」というものとの接し方すら良くわからなかった。

何をすればいいんだろうと彼氏の顔色を過剰に伺ったり。

逆に年上の彼氏ができた時には、わがままな女王のように振舞ったり。

 

生まれて初めて、女子なら誰でも憧れるであろう、アクセサリーをもらった時は嬉しかった。

その彼と別れた時、返すくらい嬉しかった。(今思えば、返されても困っただろうなあ)

 

一番嬉しかったのは、ペアのネックレスをもらった時。

彼がいつもしていたタングステンだかチタンだかのネックレス。

「これ元々はペアなんだけど、気に入ってメンズのやつ一人でつけてんだよね」と彼は言っていた。

クリスマスに、そのレディスのものをもらった。

ちっとも自分には似合わなかったけれど、なんといっても彼氏とお揃い。

鼻血出そう。お風呂の時もずっと身につけていた。

 

のちのち、ずっと切れてなかった元カノとお揃いのものだったことが判明し、男という生き物の業の深さを知った。

 

そもそもペアのを一人でつけるなんてあるか。騙されんな私。 

クソ、お揃いなんて、そんなもんくそくらえだ。

あれ、元カレの話すると、ろくな男と付き合ってない感じになってきたなあ……話を戻そう。

 

昔友人が言っていた。

「お肉大好き。でも昔はデブだったから、言えなかったんだー。」

ああ、すごいそれ分かるよ。

分かる。

 

私が何も考えずに、普通に鏡を見られるようになったことと同じだ。

年甲斐もなく、ぬいぐるみと寝るし、ディズニーランドで耳をつけるし、休みの日は多少個性的かと悩んでも好きだと思う服を着る。

 

そして、人生の最たる恥さらし、ウェディングドレスまで着た。

 

親の頼みで式をすることになったが、嫁が普段着という訳にはいかない。

着物だなと、共済で借りた。

今度は相方が俺はタキシードも着たいと頼み込んできた。

(=そのためには隣になんでもいいからドレス着てる女が必要)

 

私みたいなのが着ていいのか?いや、擬態できてるから大丈夫?

プロの手にかかればみんな綺麗になれる、きっと見られる程度には。一応着ておこうか、女だし。

 

今思えば親のせいにできた。よかった。

 

相方は私のドレス姿を見て言った。「おひめさまがいる

「およめさまだ」と私は吐き捨てた。

後日、ウェディングサロンから商材写真に使わせて欲しいと依頼があった。

ああ、一応人様に見せても恥ずかしくない写真に仕上がったのだ、と心から安堵した。

人生最大の擬態だった。もはや誇らしさすら覚える。

 

開き直ると開ける人生。

やりたいようにやらなきゃ、前に進めないこともある。

 

あらゆるものに擬態して生きて来た。

私はどうしたいのかなあ。

もはやどれが私なのかなあ。

 

ガラスの向こうの母親と、耳元のあたたかい声。

夜に浮かぶ自分の中に、ほんのり灯る、切ないような心と、色を変える私。

 

嬉しいのだ。必要とされること。

上手に擬態できているような気がして。

必要される形にうまく擬態できることが。

ありのままの自分でも、愛されているつもりだった。

でも多分、どこかで何かを間違えた。置いてきた。

だから満たされない。だけど。

 

正解ってなんだろう。

 

本当に確かなものは、この心だけ。

それは分かる。

誰からも、じゃ意味がない。

自分が必要だと思う人から、自分も必要だと思われたい。

 

そんな奇跡、捕まっちゃいけない考えかもしれないけれど。