花は折りたし梢は高し

とにかくいろいろうまくいかねーなってことを書いていこうと思います。

子作りとセックス、現実との迎合について書いてみる

友達と子作りの話をした。

この話題は、私くらいの妙齢の主婦の間ではトレンドな話題。

正確に言うと、若干流行遅れなくらい。

 

私の周りはみんな、大抵わらべが生まれているか、不妊治療真っ只中。

私のようにフワッフワした中間地点の人間は、既婚の友達とも未婚の友達とも話が合わず。

なんだかんだと最近は野郎の友達との方が過ごすのが楽だ。

 

今回話をした友達というのは、普通の友達とは少し違って

もうちょっと親しい、いわゆる親友にカテゴリされる親密度の高い友なので話は別。

 

彼女のところ、セックスレス。でも可愛い息子ちゃんいる。

二人目どうしよっかなというところ。

私のところももちろんレス。子供は諦めたところ。

 

そもそも相方とせっくすするなんて考えただけで

脳内がカーネルパニックを起こして、発汗して息が浅くなって動悸が激しくなってくる。

考えを掘り下げていくとなんだか線路に飛び込みたくなるような、暗澹なる気持ちになる。

ので、考えるのをやめた。

 

せっくすしたのはまだ子作りを諦めてなかった数年前だったかな。

半ば強引に婦人科の医師に指定された日にタイミング取ったその一回。

あの夜の苦しみを思い出す。あれを苦しみとすら思わず、当たり前のものと思っていた自分にもどうかと思う。

 

あれのどこが「セックス」なんだ?

物理的には抜き差ししてても、子作りの手段としてっていう大義名分がないと、行為を取り戻せない夫婦ってどうなんだ。

 

セックスレスは深刻なことなのだ。

たとえどっちもそれに不満を抱えてないとしても、いずれどちらかが不満を抱えることになるかもしれない。

きっとレス自体というよりレスになってしまう二人に問題があるというのに……

じゃあチョメチョメすればいいって問題でもない。

できなくなったプロセスをすっ飛ばして、その行為自体あればどうこうってことじゃない気がする。

 

アロマだのセクシーな下着だの、彼をその気にさせて大成功。

行為中別の彼を思い浮かべて気持ちを盛り上げる。とか。

なんなんだろうね本当。

 

そこまでしないと行為が持てないのもどうかと思うし、そんな努力の向こう側にはどんなサンクチュアリがあるというのだろうか。

愛の国ガンダーラ。

 

いかん、どんどん心が冷えていくのがわかる。

相方となんとなく「そんなで解消できればレスじゃないよな」って話をした。

 

そんな相手となんで結婚したんだ、なんて堂々と言える人は、きっとこの日本には少ないと思う。

この国の「セックス」は「恋愛のイチャイチャ」や「肉欲」の延長戦にあるものだから。

あれだけ外泊に目を光らせていたのに、結婚した途端「愛の営み」として親からも推奨される気持ち悪さ。

 

そうだ、もともとセックスが嫌いなわけじゃないけれど、苦手ではあった。

多分相方もそうだったのだろう。プレッシャーを感じていたのだろう。ごめんね。

 

けれど独身時代、いい加減に過ごしていた時期に私は歪んで学んでいた。

この行為の重要性を。屈して、屈しさせて、秘め事としてスパイスとして使うものだった。

喜ぶことは演技だった。喜ばせることの手段だった。

中には割と変態的というか、えげつない行為もあったが、それで征服欲が満たされて私に夢中になるならそれでいいと思ってた。

 

私の奉仕の心はしだいに妙な方向に向かっていく。

相手はどんどん受け身になっていく。

しまいには私に触れず逆マグロになっていく。

私が途中でバカバカしくて冷めてしまい、中断する時が続く。

 

そこにどんな愛があるのか。バカバカしい。

でもそれも愛なのだ。不器用だけど。

 

バレンタインのチョコレートなのだ。

結婚相手という、法律で守られたわかりきった本命相手にでも、チョコレートを渡す様式美。

分かってるでしょ?ってあげなくなるのが、セックスレス

 

私はある時、行為の意味を初めて知った。

抱きしめるのと同じ、手を繋ぐのと同じ、話を紡ぐのと同じ。

セックスはコミュニケーションのひとつなのだ。

愛情を突き詰めれば、自然と体を重ねるものなのだろう。

 

そして私はきっともう、あんなセックスは体感できないのだろう。

それを悲しいとか苦しいとか思わない程度に、私は闇を抜け出したからこそ、こうやって文章にできる。

 

困ったような顔をして、目を細めて、見下ろしてもらったことを。

ベッドのフレームにぶつけないよう、頭を撫でてもらったことも。

切なさと愛おしさの間で、勝手に呼応する自分の体も。

 

思い出して、懐かしむ。これを知らなければよかったとは思わない。だからいい。

 

それでいいと空へ叫ぼう。(大橋トリオ

 

私はロマンチストなのだ。

現実なんてそういうものだ、と言えても思えないのだ。

正確に言うとこんなものだと思っていた、けれど違う気がしたのだ。

その「違う気」を論破できていない。どこに答えがあるのだろう。

 

誰かと何らかの抜き差しがあったとしても、それが一般的にいうセックスという行為だとしても。

私はレスである、と認識してしまうのだろうな。

 

卵子の老化、子供は欲しい時に授かれない、欲しくて苦労している人も多い

後で絶対後悔する、案ずるより産むがやすし、親が悲しむ、結婚した責任

 

今まで追い立てられたものたちとの決別を。

 

それが人生を私が生きるということ。

無理して何かを突き詰めることじゃない。

欲張らずただ静かに今を受け入れることだ。

現実との迎合。

 

私の人生は、そもそも数年前のあの日から、ロスタイムみたいなものだったのだ。

だからこそ、ひどく空虚なものでも、私は周りのために生きるなんて思わないようにしよう。

 

ま、私の根っこは、セックス依存症なのでしょうね。