花は折りたし梢は高し

とにかくいろいろうまくいかねーなってことを書いていこうと思います。

逆説的なようでよくある話を書いてみる

安定を望む人ほど、それが怖い人もいるし

信じられない人もいる

 

私もそのひとり 多分

今はちがうけれど

 

そういう人はあえて凪いだ水面を波立たせて

荒れた状態がどう収束するのかを

何度も何度も確認する

安定の中に相手からの関心を感じられないから

 

もちろん、無関心が凪を作ることも否めないけど

そんなものなら捨ててしまえ

 

波立たせる

そうせざるを得ないくらいの大きな虚無や

現状に大小問わず何らかの不安や不満があり

それこそを安定への障壁だと感じている

例えば自分の方が負担感が高いと感じている場合とかとか

 

それが投影されたものがアグレッションとして表出する

バシャバシャ

 

それらは意識的に起こされることもあれば

無意識に起こしていることもある

大抵は本人に統制の所在がないからタチが悪い

 

なんでいつもそうなのと周囲は思う

焦って必死に凪を保とうとするか

波立っていることに対し平静を保とうとするかだけど

いずれにしても逆境に置かれることでセルフエスティームは下がっていく

その状況でその実、試されているという側面も強くあり、当然しんどくもなる

 

そもそも安定なんてものは存在しない

人間関係は不安定がデフォルトであって

でも不安定にストレスを感じる

つまり人の心は両価性があるのがフツーであって

 

つまり凪いでいる状態こそ

見えないたゆまぬ思いや願いによって起きている

コツコツと積み上げられたものなのに

それを信じられなかったり

分かっていてももっと盤石な土台を欲していたりすることで

何度も引き起こされる荒波

 

心は変わるものだけどもさ

変わらないものもあるのを知っていても

それが他人の心にもあると信じられない

 

そういう、あるはずの恒常性がなかなか信じられないから波立たせる

それはそれで、たいそう辛いことだ

苦しいことだ

きっと本当は、切実に、そういったものに裏切られてきて、それでも誰よりも信じたいのだから

 

お互いのしんどさの中でいかに凪を取り戻すべく奮闘する様子があるか、が周囲の肝になる

無理に平静を保とうとすると、無関心の烙印を押されかねないし

 

取り合わないとか、見て見ぬ振りとか

信じているしという前提で、鈍感であることとかが

それがいいケースも多いのだろうけど

それが平和に収まるのもわかるけど

そんなの間違った楽観主義と紙一重

不安はなかったことにしたところでなくならない

 

もう一度言うと

人間関係は不安定がデフォルトで

人の心は両価性があるのがフツー

 

と知ってる分、楽することを諦めた分

もっと心の深部へと手を伸ばせる

だから繋がる奇跡を知ることができる

 

渦に一緒に飲み込まれる方が寄り添えると思うし

少なくとも私は静観してるんじゃなくて

同じ目線で一緒になって考えたり悩んだりしたい

 

しかし全員にそんなことしてられないから

どちらにしてもある程度は突き放したりすることも必要だけども

そこをどうするかは相手への関心度やプライオリティの高さ、あとはパーソナリティの違いなのかな

 

何度でも怒ったり悲しんだり傷ついたり、小さな諦めを繰り返しながら

でも、本当の意味で諦めない

もう諦めない

その信念は、すごくすごく大切なものを引き換えに、私が手に入れたもの

あの人に鍛えられたもの

 

困っているあなたがいつのまにか見失っているあなた自身を取り返しに、探しに行くし

何度もダメなことにはダメって言う

少しのコツコツを

今出来ることを誠実に

 

守る味方も、攻めてくる敵も

そのどちらも私は取りこぼさない

どちらもきっとあなただから

 

かつて取りこぼしてしまった分もまるごと抱えていく