空は繋がっているのだといつも思うことについて書いてみる
あーもう、うまくいかん。
慣れない匂いの、慣れない部屋の中、ちっとも眠れぬまま声を殺して泣いては泣き止んで、又涙が出てきて、途方に暮れた目で窓から見上げた空の飛行機雲。
なんででもどうしてだってなんで。
繰り返し聞いたあの曲。
そんな当時のことを思い出しながら見上げた空。
あの頃の私はそれなりの痛みを知っていながらも、これほどまでにねじれていく感情を知らなかった。
実は話は終わっていなくて、あのときよりも更にこじれてもつれて何度も途方に暮れて。
何年も拮抗した感情に振り回された結果、私は強くなったしその分大胆にも臆病にもなったのだなあと今となってはしみじみ思う。
空を何度も、痛みと甘さを伴って飛んだ数年のことを、数ヶ月かけてなんとかねじ伏せても、結局変われたのかどうかは当の本人にも分かってないのが事実であって。
多分、どこかで思考停止していないと受け流せなかったものを、少しずつ咀嚼している日々。
あくまで理念とか信念とかそういったものは、どれだけグルグル巻きに守っても、あっさりと破られたりもするのだろうし、それを自分ができなくても、誰かには容易くできたりもするのだろう。
正解は分からないけれど、私はまた自分と対峙する。
散々傷つけたあなたと、傷ついた自分とが、代わる代わるによぎってはまたたち消える。
欲しいと思っている出口も、答えも、多分どこにもないのだ。
うっすらと分かっていたことを圧倒的なまでに知らしめられる現実について、寝不足の頭で何やらうつらうつらと考えていたら、そのうち眠っていた。
物理的には必須ではないもの、明確な目的や情動の類のものに、あれほどまでにこだわっていたことを愚かだとは思っても、間違ってはいなかったと今も信じたい。
どうしていつもその余波を予測できないんだろうなあ。
ぴょんと飛び越えてきたあの人のあの時の姿を思い出して、同時に失った何かであることを自覚する。
私は、いい加減で誠実ではないけれど、それをよしとはしないし、自己肯定もしない。
自ら進んで行ったことではないとか、そういう言い訳もしない。
私は見えない何かや誰かをも傷つけているのだろうし、裏切っているのだろうから、弁解もしない。
失う代わりに何か新しいものを築けるのかなんて期待を、身勝手に押しつけもしない。
そして、だから許されるとは少しも思っていないし、そんな風に逃げないし、簡単には謝らない。
乱れる感情も呼吸も、ありのままに見据えていく。
空はあの日と変わらず、あの人と私の上にあるし、私もあの日の延長にいる。
それは誰にも奪われない。