花は折りたし梢は高し

とにかくいろいろうまくいかねーなってことを書いていこうと思います。

仮想通貨とこころの時代について書いてみる。


私のお給料は、その大半は数字の形で目の前を通過していく。
振込まれたことを告げる数字を見て、それがカード請求で引き落とされて目減りして
またお給料日になると残高が増えて、また目減りして。
正直どっかでごまかされてても全然分からない自信がある。
そもそも携帯代、なんでいつもあんな高いのか、未だにわからない。

どうやら私には年間数百万の収入があるようなのだが、私が実際に触る一万円札の数は年間でもせいぜい数十枚程度だと思う。
2万円以上の買い物はだいたいカードで決済しているし、手持ちが不安な時やセミセルフレジなる自分でお金を入れるシステムのスーパーのレジや、ガソリンスタンドは操作が煩わしいのでカードを使っている。

しかし、だいぶ進んだとはいえ、日本は現金がないと少し不安だ。
ちょっとした買い物や食事だと、カードで決済できないお店も多い。自動販売機ですら、スイカとか使えるのになあ。
ここまでは電子マネーの話。

コーヒーが出てくる合間、向かいに座った相方が、歌うたいのあの人が仮想通貨の会社を立てたのだそうだ、と自分の真新しいiPhoneを差し出してきた。
時代は仮想通貨だ。ホリエモンひろゆきも言っている。乗り遅れるなとかなんとか言ってるお向かいを聞き流しながら
「あいふぉーんえいとは画面が小っちゃいな」とかどうでもいいことを考えていた。

仮想通貨って概念が出てきてだいぶ経つ。
ビットコインだとか。一緒にしたら不適切だと思うけれど円天だとか。あ、これは疑似通貨?よくわからん。
お馴染みの電子マネーとはちょっと違う。
円をそのまま使わない点が外貨っぽいなーとか。
と、そんな程度しか分かってないけど。

大昔、大学の講義で「価格を決めているのは誰か」という話を聞いたことを思い出す。
お店の人ではなく、消費者なのだそうだ。消費者がその金額で購入して初めて、価格が決まるとのこと。

株を少しだけやっていたことがある。
本当にちょっとだけ小金を儲けた。
そのお金は当時付き合ってた男へ、右から左へ消えた。
その使い方を今も全く後悔していない。が、株はやめた。

後悔しないってことは、納得して払ったものなのだ。それにその価値があると思ったのだ、それが周りにどれだけあほかと言われても。
私は応援したかった。
今私が使わないお金で、大事な人が可能性を掴み頑張れるならと思ったから出しただけだ。

今モヤモヤしていることといえば、大して欲しくもないけどなんとなくポチッたヤフオクの商品が
定形外なのに送料500円もふっかけられたことくらいである。ゼロが3つは違う話。

うちの姉は若い頃ものすごい借金を作った。敷布団やら宝石やらも買ったようだ。
でも後悔している様子はない。ゼロが4つは違う話。

私の世代はロスジェネと言われるやつである。
必ず最後に愛は勝つ、負けないで投げ出さないで逃げ出さないで信じぬく事が大事だと歌から学び、世紀末の不安定を肌で感じながら、世にも奇妙な物語やあなたの知らない世界やギボアイコに浸かり、盗んだバイクで走りだしたり校舎のガラス壊して回ったりする自由すぎる上の世代の分も粛清を受けつつ、Jリーグやらスラムダンクやらのスポーツブームに乗っかり、努力友情勝利を漫画やアニメから学んで育ってきた。
たまごっちやポケベルでデジタルに感情移入したり、誰かと仮想世界で繋がる高揚感を知った。

大学を出れば安泰と言われて必死に勉強したところで、バブルの恩恵も受けられず理不尽な不景気にさらされて、圧迫面接やお祈り手紙に挫けず、何十社も受けて滑り込んだ会社でリストラ対象にならないようにがむしゃらに働いて、若さも遊ぶ時間も望まれるままゴリゴリ削ってきた。
クライアントに気分で白を黒だと言われれば、「おっしゃる通り」と頷いて思考停止に努めて徹夜でデータを作り直した。
コミュ力だけで出世しているクソみたいな仕事できない上司の分も業務を被ったって。
なんだか妙に力もないのに偉そうな後輩の講釈を苦笑いで聞き流しつつ、尻拭いをしてたって。
どれほど自分の手柄が認められなくても、使い捨てだと分かっていても。

報われない日々に、出口のない閉塞感に、何度も何度も「話が違う」と放り出したくなりながら、「現実は厳しい」と思い知らされながら
やっぱり何か、努力友情勝利的な、そういったものを信じたい気持ちを、諦めるように少しずつ捨ててきた。
それが大人になるということだと言い聞かせてきた。
気づけば信じられるものは少なくなっていた。

MP3も、電子書籍も、便利だよね、と利用はしている。
だけど、なんだか信用できない。

データでしょ?
つきつめれば0と1だと、知っている。

あんなに時間をかけて積み上げたセーブデータも、ある日あっさり「New Game」になるスーファミの内蔵電池由来の儚さで現実を知る。
その悲しみとやるせなさをどれだけ親に説いたって「たかがゲーム」で同情すらされない。
(きっと今の親は違うだろう。だって親世代となった私たちはその苦しみを知っているのだから)
過渡期のデバイスは今のように安定していなかったから、携帯電話やデジカメやパソコンのデータが吹っ飛んだとかフリーズして再起動しか道はなく、データを作り直したりなんて、誰もが経験している。

数字だけの給料日まで、指折り数えるその日暮らしをしていたって、少ない給料からアホみたいに自動的に控除される自分のお小遣いと同額の年金を、自分の世代は確実に払った分貰えるはずがないことも知っている。
このお金があれば、習い事だって、ちょっといいお店のディナーだって、あのコートだって買える。
そのお金を受け取っているお年寄からは「だらしない」「もっと頑張れ」と高度経済成長期と同じ土俵で上から目線に語られるだけで感謝されたことなんてない。

ああもう。
仕方ないのだ。
仕方ない。
全部それで思考停止。
怒る元気もない。
持てる夢もない。
確実に何かを捨てながら今日もスマホに答えを探す。
ないことは知っている。

心の底から、お金のためだけに働いているわけではないのだ。
ではなんだろう。

お金の価値ってなんだろう。
自分の価値ってなんだろう。

奇跡を信じたい
スピリチュアルは嫌いじゃない
運命ってあると思う

それら全て
恥ずかしいから、言わないけれど

そもそも、あの人も、この思いも
自分すら全部仮想じゃないのか。肯定してきたもの、否定してきたものすべて。
その脆弱性を担保できるものなんてない。
それも知っている。

歌うたいは歌うたっててくれよ。
歌うたいでないとできないことをしてくれよ。
「変わらずにここにいる」って、それを示してくれているだけでいいのに。

全然私の言う事なんて聞かず自由に生きてるくせに依存と自己主張だけはしてくるモフモフが
額をグイグイ私の手のひらに押し付けてくるたび、私はあの人と初めて手をつないだ時のことを思い出す。
もっとすごいこといっぱいしたけれど、結局あの雰囲気と距離感が、一番私たちらしいと思う。

儚い物だと知っていた。
だから、壊れるほど近づいたり、足りずに求め続けたりした。

私は幸い、食べるに困ってはいないし、雨風しのげる家もあるし、こんな風にモフモフもいる。
仕事や家庭の愚痴を言い合える友達も、一緒にゲームでインクを塗り合える友達も、誕生日を祝い合える友達もいる。
同じ家に住んでくれて、お金を出してくれる相方もいる。

だけど、だけどさ。
いつでも転がり落ちるのも知ってる。
貧困とか、孤独とか、その類の物に。
その真っ暗闇に落ちたら、
秋葉原でレンタカー暴走するような絶望が、そこにはあるのかもしれないんだ。
絶対分かっちゃいけないし、勇気もないけれど。

毎日結構いっぱいいっぱいで。
仮想通貨とか投資とか考える余裕ないなぁ。
レジリエンスだとかさ、マインドフルネスだとかさ、結局自分に帰属するんだなぁ。

頼んでいたコーヒーが来たので、思考をそこで留めて、無言でiPhoneを返して嘆息した。
返答を待っている視線に、「まあ、こころの時代なんだよ」と、分かったような分からないようなことを呟く。

この気持ちを誰かに分かってほしいような、それ自体が恥ずかしいような。
来年の今頃の私は、どうしているだろうね。

 
それでは、良いお年を。