マフラーに突っ込んだ顔を、見られたくなった話を書いてみる
「僕はね、そもそも何かを誰かと共有出来るとは信じてなかったんだよ。」
「そういうの、カッコイイとは思わないよ。」
「言いたいことは分かる。むしろ、みっともないことだ。」
「責任」とやらの話を聞こうと言い出したのは私だった。
乗ろうと思っていた電車の発車時刻は、走れば間に合うかな、というくらい。
諦めて次のにしようと腹を決めて「店を変えよう」と席を立った。
居酒屋、カフェ、バー、どこもそういう気分にならない。
何か小さな箱のようなものに入りたい。強いて言えば、カラオケかなあ。
それは向こうも同じだったようで、「車」と踵を返した彼に素直に従って着いていく。
「車で来てたんだねえ。」
「今日一旦そっち帰ろうって思ってたし。」
「今どこ住んでるの?」
「ちゃんとは借りてない。ホテルとか職場とかかな。本当は毎日帰りたいけど。」
ああ、ハイ。と後部座席から取り出した封筒を私に差し出す。
少し前に私が携わったものだ。
自分からアウトプットされたものが、よそ行きの顔でもう一度現れるのを見るのは気持ちいい。
求められた仕事をこなしている自分の分身に安心してカバンにそれをしまった。
「共有したいもの、ないの?」
赤信号で止まる瞬間に、軽く話題を投げる。
信号待ちの間、ずっと口をつぐんでいた彼は、アクセルを踏み込む瞬間に「なかった、というのが近い。」とつぶやく。
「それでも今までに、意味があるんじゃないの?」
私はそういうものを信じたい。少し語彙が強くなる。
「大事にするものって別だろ。意味がどうのじゃなくて、共有したいビジョンがそこにあるかどうかだと思う。」
…ということに気がついた訳だ。と。
それは良く分かるから黙って頷いた。この人はこういうところが頭が良くて感心する。
「でもね、何に対しても責任ってあるからね。」
「何かしたの?」
「…何かをするにしても、って意味。」
私の無言を感じ取って、ちらっと視線をこちらに向ける。
「寝てないよ。」
と私が言うと、ふん、と笑った。
「そこ、座ってていいの?」
「え?なんで?」
「ついてくると思わなかった。」
「…らしくないじゃん。」
はっきりさせようとするなんて。
「帰す気なかっただろが。」
車に置きっぱなしだった封筒。
「とくと新しい仕事の依頼を聞いてもらおうと思って。」
「なるほど。」
「お前さ、そういう風に先読むのやめてくれる?」
「はは、だって。居場所は変わらないんでしょ。」
「お前は変えたいんだろ?」
今日はやたらと当たりがストレートだな。
こういう人だっただろうか。
「…まあ、自分がどうしたいか、なのかなあ…それって…。」
「らしくないな。まあ、今に始まったことじゃないけど。」
「私らしさって何よ。」
「自分を曲げないところ。プライド高いところ。情にもろいところ。」
「…自分がないだけだ。今もう、グズグズだもん。」
まゆげを少しだけ上げて、少し面白がるようにニヤけた横顔。
腹立つ。
いつも、私の苦しみを愉快そうに笑う。
「マスクしないの?」
「今はしない。」
「あ、そ。」
「マスク外さないの?」
「乾燥するから。」
「あ、そ。」
いつもと逆だなー、と。歌うような声。
マスクがないと、小さな声でも良く聞き取れる。
「指輪、違くない?」
「ああ、別に意味ないよ。Amazonで自分で買ったやつ。」
「買ってもらったんじゃないの?」
「誰にだよ。」
「はは、いやてっきり。お前さ、そこに座ってて。
誰かに悪いと思うとか、嫌がられるのは嫌だからとか。
そういうの、らしくもなく。気にしようかな、と思ったんじゃないの?」
「だからー。そんな…誰かとか、いないよ。」
"もう"いないよ。
お願いだからこれ以上はもう。
泣いてしまう。
マフラーに突っ込んだ顔を、今は見られたくない。
「お前はね、グズグズでなくて、ただ疲れてるだけ。」
仕方ないなあ、とため息を含んだ声で、言い聞かせるように言う。
これを友情と言わずして、何を言うかと思うほどの圧倒的な友情。
ちがうよ、そうじゃなくて。
私じゃダメなんだ。私は自分でいつも叩き壊す。
私じゃ力も魅力もないんだ。私には無理なんだ。
言いたい言葉は、街灯に滲んで声にならなかった。
そのあとは、仕事の話をしているうちに、最寄り駅に着いた。
ありがとうと降りてから振り返る。
少し頷いて、彼は家路へとついた。
あ、私の話をしてばかりだった。
いい奴だなあ、と申し訳ない気持ちになりながら、冷たい鼻をマスクで隠した。
共有したいビジョン。いつか来る雪解け。
私にはずっと来ない。
何度も諦めず手を伸ばした想い。
私には届かない場所にあるもの。
そんなことは分かっているけれど。