フワフワとした曖昧さや寝起きに感じた思いについて覚書を書いてみる
一通り私の下らない話を聞いた、親友はどう思ったのだろう。
とりあえず私ともっとじっくり話りたいなあ、とつぶやいてくれたことは分かっている。
救われるような思いがして、それにすがり、それでなんとか強引に眠りの中に落ちた。
肝心な、叩いても叩いても響かない、画面の向こう側への淡い期待は、やはり予想通り、見事に虚しく空を切った。
1年遅く訪れた、正念場というやつなのだろう。
ところがどうだ。
肝心の私ときたら、まったく余裕も余力もない。
強さも優しさもない。愛と勇気もない。(やーさしいきみはー)
そうなのだ。
色々と未練がましいことを言いつつも、現実的に粛々と、切り離す準備を進めているものもある。
それは前向きな進展なのか、後ろ向きなものなのかは、私にもまだ判断ができない。
多分、どちらでもあって、どちらでもない、みたいな。
そういうひどく曖昧なものなのだろう。
考えてみれば、ずっと曖昧の中にいた。
はっきりさせないことが、なんとか存在できる方法だった。
それもひとつの真理でもあるんだと思う。
そもそも、しぶしぶだったのだ。
いつも試しているようなことを言いながら、実は試されている気がする。
やせ我慢して飲み込んだつもりで、結局我慢できず、ぺっと吐き出した。
全力で肯定したかった。自分の決断や行動を。
それすら気を配ってもらえなかった。
目覚めは悪くなかった。
最近は目覚ましアラームの1時間前に眼が覚める。
先に起きている同居人が、洗濯機をまわす音。
抱き枕がわりのぬいぐるみを片手にリビングのソファで、壁に向かってごろんとする。
ぬいぐるみを抱えて丸くなると、同居人は私を背中からハグしたり、頭をつっついたりしている。
ねむいねむいと私は呪文のようにつぶやく。
シェーバーの音や、テレビの音、洗濯機の音がうるさくて、また寝室へ戻る。
隣の部屋に洗濯を干しに来た気配を背中に感じながら、またうとうとと眠りに落ちる。
その瞬間、憎悪にも似た空虚を覚える。
ちょっと前まで、そこにいる感情は、ただ圧倒的な愛おしさだったのだ。
どこに置いてきたのだろう。今は同じかそれ以上の、虚しい諦めが心を埋めている。
ありがとう、愛おしい曖昧。
さよなら。