その花は、手折りたいものなのか、それとも置かれたところで咲いていて欲しいのか、自分でもよく分からないことについて書いてみる
硬い表情のその人を前に、私は気持ちを計れずにいた。
その人の主張は、非の打ち所がないほど真っ当な正論で。
その人のパーソナリティをよく表していた。
それを言う苦しさも、痛みも。
一方自分が持っている持っているものといえば、むき出しのみっともないワガママでしかない。
来るべき時が来たのかな、と漠然と思う。
分かっていた。
はじめから分かっていた。
ぶつかれば、どこまで行っても平行線で。
どこまで行ってもそれに勝てないことを分かっていたから、過去と現在の矛盾を指摘することしかできなかった。
それが無意味であることも分かっていた。
対抗できるようなカードは何一つない。
実際、白旗しか上げられるものはない。
清竜人的に言えば、私は苦し紛れに
「エゴイズムを振り翳して くだらない愛を語っていた」
だって、それを認めてしまうことは。できないよ。
でもでも、違うんだよ、そうじゃなくて、だって、それじゃあ……。
言葉を発するたびに涙が出た。
涙腺なんてとっくの昔に崩壊していた。
それじゃあ。
それを認めてしまうなら。
私は、私とあなたの間にあるものは、なんですか?
この想いも、温かさも、居心地も、気持ち良さも、奇跡みたいな共感も、理由なく楽しい時間も
全部全部、どこに行くんですか。
私が、「分かった」って言っちゃったら、そこで話が終わってしまう。
その人は、どんどん表情も、声色も、硬くしていた。
もう私に、柔らかい笑顔も、優しい呼び声も、取り戻すことはできないのだろうか。
それがまた悔しくて、泣いた。
多分その人も分かってる。
それでもそう言わざるを得ないほど、大切なものがあるのだろう。
その人は気づいているのだろうか。
全く同じことを、何年か前にすでに主張していたことを。
私はそれでも無理をさせていた。
結局はじめから知っていたのだ。
常にそれと戦っていたのだ。
思いを深めるほど、苦しかったのは、どれほど焦がれたとしても、何をどうしたとしても、手に入れられないものだから。
「でもぼくはきみが好きで どうしようもない程に 好きなのさこれだけは 信じて欲しいんだよ」
それしか持ってるものがない。
だから、何度も何度も諦めようとした。本を閉じるように。
分かってる言う正論は分かってる。
それによって完全に否定される、ふわふわした夢物語も分かってる。
でも夢を見た。
そこにしか私はいられないから。
夢と分かっているから、逃げ道を作るように皮肉を言って予防線を張っていた。
そんな葛藤を、もう何年もしている。
自分に嘘をつくこと。騙すこと。先送りにすること。
都合のいいことだけに目を向けること。
お互いにしていたのだろう。限界だった。
わずかな、針の穴に糸を通すような隙間にしか、先も、正当性も、見いだすことはできない。
それが非常に、不可能と言い切れるほど難しいことも。
分かっていても、それにすがるしかなかったことも。
他の手段や出口を選ぶべきで、そうしないとこの混沌から抜け出せないことも。
分かっている。
「ぼくが抱く この思いは きみにとって 愛と言えるの?」
どこをどう探しても、エゴでしかない。
その人の言うきもち、未来、行く"べき"道を、無視してるわけじゃなく、あまりにも圧倒的すぎるものだから、対峙したくないのだ。
本当に想いがあるなら、それを尊重しなくちゃいけないのも。
でもひょっとしたら、重ねた年月が、今度こそ結論を変えないだろうか、と考えていないといえば嘘になる。
けれど、その人が自分の志に反して棚上げした結論も、負った痛みの分も、それと引き換えにくれた想いの分も、私にできることはただ一つ。
私がそれをするには、今のままじゃだめで。
それも分かってる。
結局どこまでいっても、混沌とともに沈むしかないのだろう。
ぼんやりと思う。
それがあながち悪いものでもないことも、分かる。
なんで突っ張ってるんだろうね。
いい加減にしなきゃなあ。何度も思ってきたことを、また思った。
「分かった」って心から言える日のために、私は時間を消化している。
行くところまで行ったら、スルリと納得できるのだろうか、なんて願ったけれど、それもないだろう。
この混沌から、この暗闇から、抜け出すのは自分なのだ。
何度も通った場所、見慣れた風景、そのひとつひとつ。
もう少し時間をかけて、手放して、沈んで行こう。
……なんて、思ってたまるか。ぱーやぱーや。
何。私が聞き分け良くして。
心の中の小さくて大きいコレを、そういうものだとか流して生きていくことを選んで。
それで正しかった、みんな幸せ、なんて。
それはね、確かに、思える気はするけど。
今の中での気持ちの持ちようを変えて、幸せと思うのが一番だよ、って、逃げではないと言い切れるの。
それすら手に入れられない人がいるんだよ、って誰と比べてるの。
手を入れたのは、自分が頑張ったからでしょう。
勝ち取ってきたものでしょう。それをまったく否定する気はない。だからモヤモヤする。
「なんて欲張りなんだ」って言う人もいる。
でも上限を自分で決めて、妥協するみたいなの、自分の人生に対して失礼だ。
もっと真摯でいたいと思うのは、「欲張り」なの。なにそれ。誰が決めるの。
無欲は幸せの近道、それも分かるけど、周りに認められたい。
それも欲の一つ。
もちろん周りを喜ばせたい。それもある。
でも、喜ぶであろう誰かは、この痛みも、苦しさも、虚無感も、知ってるの。
全部全部心から理解していて、その上で言ってるの。
それを一緒に引き受けてくれるの。
今私が生きてるのは誰の人生かなんて、考えたらなんだか腹が立ってくる。
つい弱気になる自分に。
自分が迷いを無視してすること。
それを、本当の本心でそれはもう心の底から一片の疑いも迷いもなく切望してるの。
周り。
なめんな。周りなめんな。
もっと温かくて優しいものだ。それも私が勝ち取ったものだ。
っていうか、そもそもここまでやってきた、自分なめんな。
当たり前の幸せが大事って、それ今まで勝ち取ってきたんだよ。
公開とか責任とかじゃなくて、それに胸張れなくて、どうする。
だからこれからもそうするんだ。
今までのことを否定するんじゃなくて、丸ごと抱えて全部欲張りに生きるんだ。
わがままで周りを傷つけて、責任が負えないと思っても
どれだけ周りの正義と相容れないとしても
死ぬほど恨まれたとしても、それが本意でなくて大切な人に嫌われたり軽蔑されても
勝ち取ってるんだ。みんな自分で。頑張ってきたんだ。
そもそも、責任背負えるのは、自分だけだ。ほら、私、腹決めるんだよ。
「ヤダ」って、なんの根拠も後ろ盾もないところで、全力であらがうんだ。
正論に向き合う自分。なめんな私。私の数年間なめんな私。
一般論や正論で片付くと思ったら大間違いだ。
そんなもの、とっくに凌駕してるでしょが。
分かってよなんて、こちとらもはや呪いの域だ。そんなもので論破できるか。
オラ、肉持ってこい!(鼻息)
本当いったいなんなんだろうね。この情熱とか。圧とか。
揺らいでる自分自身に喝を入れる、エゴイストでエキセントリックな自分。
この自分と理論を、人に押し付ける気は全くないけれどもね。
ただ、ひどくグッタリはするんだよ。