花は折りたし梢は高し

とにかくいろいろうまくいかねーなってことを書いていこうと思います。

多分とても重大だったのだけどもすっかり抜け落ちていた覚書を書いてみる

新しい仕事頼みたい、とお昼休みに呼び出された喫茶店。

なかなか切り出さず、黙り込んでいる彼を前に、私は携帯に視線を向けていた。

 

この人はこういうところがある。

とにかくマイペース。

自分が話す気にならない時は、基本黙っている。

 

正直今の私は仕事だとかペースだとか、それどころじゃないのだ。

悩んで考え疲れて、でもそれじゃダメで、決意しなきゃいけないことがあるのだ。

 

眉間にシワを寄せてうつむいて携帯を眺めていた私は、やめるわと、呟いた声に、へ?と、顔を上げた。

彼はなんてことないような顔をして、ふん、と彼は笑って、原稿と思しき書類を私に渡した。

 

それを眺めて、ああ、と納得した。

 

原稿は名刺。

新しい肩書きの冠をかぶった、前にいる人のフルネーム。

 

しばらくじっと原稿を見つめて、私は言葉を選んでいた。

こういう時なんて言えばいいのかな。

驚いて見せればいいのか。笑えばいいのか。

 

「裏書きは英語でいいの?」

出た言葉はそんなどうでもいいような内容で。

そんな私の葛藤を見透かしているであろう彼はニヤリとした。

 

その表情に、なんとなく分かった。

初めから、いつかは終わると思っていたものなのかな、と。

年貢の納め時、みたいな顔をしていたから。

 

でも確かに、このままいけるかな、とも考えていたのだと思う。

それを願っていたのだとも。ずっと何かをあらがっていたのだとも。

 

そう思うと、今までの単調で穏やかで、ひとりぼっちの生活が、

彼にとって、とても愛おしく大切で貴重なものだったのだろうというのも想像ができた。

 

今の彼からは諦めや悲観的な雰囲気は感じない。

ただ、腹を括ったような、妙に勝気なエネルギーは感じる。

それがなんだか、かっこいいなあとも、置いて行かれたようにも思えた。

 

「まあ、やるからにはテッペン取んな。」

やっと出た私の言葉に、彼はまた、ふん、と笑った。

 

肩書きで察するに、多分、すでに組織のテッペンだったけれど。

その重圧とか、そういうの。

分かった気になって、背中を押したくなった。

 

「頑張る君に、ご褒美あげよか。」

激励のつもりでふざけて言った言葉に、彼は表情を崩した。

……ご褒美目当てとか、男らしくないだろ。」

ふうーと、大きく息を吐いた後、メガネを外す。

ああ、気が抜けた表情。いつもの顔だ。

「ふうん……。何もなくて、頑張れるものなのかねえ。」

私はクルクルとストローを回しながら、じっとその様子を眺めていた。

彼もメガネをかけなおしたあと、じっと私を見すえた。

「分かってんじゃん。」

「は?矛盾してない?」

「いや?」

肝心なことを言わない。

でもそれ以上聞くのはなんとなく悔しいような、気もする。

君のナゾナゾに付き合ってる余力はないんだ。

 

「欲しがることに疲れて、何もいらないと思ってたんだけども。

欲しいものがないわけじゃないから。」

沈黙を破った言葉。

どうせやるなら、"それ"を取りに行く。

と、そういうことなのだろう。

 

その気になればなんでも手に入れられて、今だってなんでも持ってるのに。

それほどまでに欲しい"それ"ってなんだろうなあ。

ここまで彼が諦めた当初のきっかけが頭をかすめたけれど、それはありえないしなあ、と思い返す。

 

何だろう。

それは純粋な興味本意な疑問だったから、まあいつか聞けたらいいやと飲み込んだ。

多分今聞いても、お前には関係ないとかなんとか言って、ふんって笑って、結局は教えてはくれないのだろう、という予感もあった。

 

だったら言うな。

後出しじゃんけんみたいな、そういうところ、イライラする。

ああ、余裕ないな。自分。

 

チラっとスマホを見た。

ああ、時間だ。

 

「そろそろ戻る。紙とか、いつものでいいね。」

立ち上がる私を尻目に、生返事をしながら、彼はかばんからスルッとネクタイを取り出していた。

 

私は会社に戻った頃には、その内容をすでにすっかりと忘れていた。

どれだけいっぱいいっぱいなんだい。

 

後日、まったく余裕のない状況から、少しだけ肩の力が抜けた瞬間にこの出来事をふと思い出した。

ので、覚書として記しておくこととする。