そろそろ1年経つからね、と今の気持ちを書いてみる。
私は子供の頃から、本当に良く泣く。
保育園の頃から「◯◯ちゃんは泣き虫だねえ」と言われてきた。
泣くのは弱いからだと。
泣き虫=弱虫だと思っていたから、私はそんな自分が嫌いだった。
高校を卒業してから、私は強くなった。
実力社会というものが肌に合っていたのだと思う。
私は専門性の高い学校に進学したため、苦手なもので評価されることはなくなった。
周りの見る目が変わり、一目置くようになった。実力があれば発言権も増した。
やることをやっていれば文句は言われなかった。
私はあまり泣くことがなくなった。
調子に乗って社会に出てから、自分の力のなさに愕然とした。
下積みをしながら、少しずつ自分の地位や居場所を作っていった。
思うようにいかない悔しさに、トイレで泣いたこともあった。
そのうちまた、地位を築くにつれてあまり泣かなくなった。
今仕事で泣くとしたら、本当に悔しい時と、感情をぶつけられすぎてびっくりした時だ。
泣くっていうのは全身全霊で、一生懸命頑張ったり想ったりしても、それでも報われないと実感した時なんだ、と気がついた。
現に本当に悲しくてショックな時は、涙が出なかったりする。
泣けるのは、その衝撃が心に降りてきた頃。
大切な人が病室で息を引き取った時も、家に連れて帰った時も、泣かなかった。
お通夜とお葬式の時に、やっとおかしくなるくらい泣いた。
今もふと気が抜けた時に、泣くこともある。
私は1年前のあの時大きな決断をした。
追い詰めていたけれど、自分も追い詰められていた。
え、どうしよう、いや、疑いようのない自分の気持ちは分かっていた。
でも、希望に反する選択をした。
後悔することが分かっていてもあの時はそうするしかなかったと、今も思う。
それでも、分かっていても、その衝撃が、今になって心に降りてきて、私の涙腺を崩壊させる。
叶えたかったのだ。本当に本当に。
届かなかった想いだったけれど。届いちゃいけない願いだったけれど。
それなら断ち切ればよかったのだ。叶えればよかった。それも私には出来た。
でも出来ないと、決めたのは他の誰でもない自分。
どちらかを守るとしたら、後先より、あの時はただ愛おしさに従った。
これ以上傷つけるなら傷つこうと思った。
それは理性だ。
今になっても、まだそれを私は引きずっている。
でもあの決断があったから、きっと今も救われている。
いつか報われたと思えた時に、ゆるやかに流せると思っていた澱は、今も沈んで私の心の中にある。
淀んで腐敗している。酸欠で苦しくなる。
もうすぐあれから一年になる。
たまにふと思って、慌ててかき消すもう一つの選択。
私が勇気を出す番なのだとあの日決めたこと。
全部引き受けると決めたこと。誰かのせいだとは思ってない。
だけど少しだけ、ここで吐き出させて欲しい。
思い出すと過呼吸のようになる、あの日のこと。
1年前に分かっていたから私はこのブログを書き始めた。
こんな風に、傷が膿を出す頃、自分の傷を自分で慰められるように。
大きな喪失と向き合えるように。
完全に治ることはないのも分かるから、これをずっと抱えていく。
喪失は、現実を上塗りするしかないのも分かる。
少しずつ心の整理をしなくてはいけないことも。
望まれなかったものでも、私はあのわずかな期間、確かに叶うはずのない夢を叶えた。
何も自覚がなかったけれど。不確かさをもって、そこにいたもの。
それを捨てたのは自分だ。誰のせいでもない。
違うよ、捨てたんじゃなくて、本当に、肉を切る想いだったんだ。本当に。
涙は、やっと最近出てくる。
決断は間違ってなかったけれど、報われなかったことも違いない。
しばらくして、私はすがるように、愛しくて、小さな命たちと暮らしはじめた。
会った時、私は選んだのではなくて、選ばれたのだと思った。
小さな命たちは私を選んでくれたのだと。
だから、選んでくれてありがとうと、一緒にいてくれてありがとうと、いつもいつも思う。
私のお腹のあたりに、服の中に潜り込んで上下する小さな命、を見て思う。
今度こそ、なんて機会があるんだろうか。
守れずに、まだ見ぬ手を放して、小さなろうそくを目をつぶって吹き消した
私のところへ、またぬくもりは来てくれるのだろうか。
許してくれるんだろうか。
どっちにしても今は、そんな資格ない。
自分で線を引いて、ダメだと、もうあんなことはしちゃいけない。絶対に。
身体の具合が悪くなっても、薬を飲み続けることで向き合ってみる。
もっと泣いて、澱も心も少しずつ流れ出て、そうすることで、ひとつの物語を終えよう。
涙は、報われなくても、私は一生懸命だったからだ。
今度こそ、答えを出す時が来た。