花は折りたし梢は高し

とにかくいろいろうまくいかねーなってことを書いていこうと思います。

お弁当とはつまり、お手紙のようなものなのだと思うことを書いてみる

精神的に煮詰まったときは、料理を作る。

無心であれこれ手順や材料を組み立てて、こなしていく感じが好きだ。

 

冷蔵庫の中身、今ある調味料、作りたい気分のもの。

料理はちょっとした創作作業だ。

没頭するとなんだかスッキリする。

ちなみに夫婦喧嘩をするときはキッチンが一番良くないらしい。

(刃物があるから凶暴性が増すとかなんとか。関係あるのかなあ。)

 

私は人のお弁当を作るのが割と好きだ。

なんだかお手紙を書くのに似ている。

食べる人のことを思い、スペースを考えてできる限りを詰め込むのも

時差を置いて紐解かれるその感じも、完成したときの達成感も。

あの小さい箱は、まさに小宇宙。

ペガサスファンタジー。

 

ANAの機内誌のお弁当の連載が好きで必ず読む。

素人さんのお弁当の写真と、エピソードが載ってるやつ。

人の家のお弁当には、見たこともないようなおかずや、「その手があったか」と思うような工夫があったりする。

オレンジページとかもたまに読む。

しかし、それを参考に作ったことはほぼない。

 

私がお弁当を作るときのマストは卵焼き。

私が一番好きなおかずだったから、ほぼ入れる。

初めて作ったお弁当は、母親へのもの。

母親は未だにそのお弁当のことを忘れないでいてくれる。

 

大根のサラダを入れたことだけは覚えている。

そして多分、シーチキンか何かが入った卵焼きも。

ちなみに母親の作るお弁当は、冷凍食品もあるし、けしてキャラ弁とかデコ弁とかではないけれど

いつも彩りが綺麗で、遠足のときはなんだか鼻が高かった。

そのことを伝えると、母親はとても誇らしげだった。

今思うと、もっともっと伝えておけばよかった。美味しかったよって。

 

私が初めて異性に作ったお弁当は、確か腐らせたアレだ。

当時二股をかけられており、そのもう一方がお弁当を作っていたようで、私のお弁当など不要だったのだ。

冷蔵庫の奥で、巾着に包まれたままだったお弁当箱の中の、糸を引いていた卵焼きの衝撃たるや。

(ああ、せめてわからぬように処分できなかったのか……。男ってやつはな。ホントに。)

そいつには二度と作ることはなかった。

私は執念深いのだ。冷えた暗闇で糸を引いているのだ。

 

最近、引越しに際して捨てたものがある。

卵焼き用のフライパン。

確かニトリかイオンかどこかで買った、通常よりもとりわけ小さいサイズの廉価なものだったのだが、愛用し

すでにフッ素加工がボロボロだったので、処分したのだが

 

ない!

同じサイズが全然売ってない!

 

あれさえあれば焦げ目もないふっくら厚焼きが焼けたのに!

卵一個の卵液に対してのいい具合のフライパンだったのに!

仕方なく、売っている中で一番小さいやつを購入したが、一回り大きくて、なんだかうすっぺらい厚焼きになってしまう。

 

火が通り過ぎて、くるんと綺麗にまとまらないときもある。

最近の私の卵焼きの出来は今一つで、なんだか気分が冴えない。

 

フッ素加工とかでなく、ちゃんと銅かなんかの、油しみこませる感じのやつ、探してみようかなあ。