花は折りたし梢は高し

とにかくいろいろうまくいかねーなってことを書いていこうと思います。

「so,you makes my day.」へ、出さない手紙を書いてみる

歌声ってあえぎ声と同じ声なんだって。

ずいぶん昔の、二人が良く知るあの人がいなくなったあの時

あなたは全く深刻さを見せず、ククッと笑った。

私もニヤニヤ笑った。

 

そういう笑い飛ばす感じ、今もそうしてくれてるといいのになあ。

 

今のあなたのことを思うと、私は余計に辛くなる。

それは、同じことを私がされたら、とても悲しいから。

やられたら悲しいことを、自分はやっちゃいけない、とも思うのに。

 

けれど、私は動けずにいる。

それは何かに縛られているからとかではなく

もちろんそこには未だに確固たる何かがある訳ではなく

逆に、確固たる何かが、ないから。

 

ふわふわした状態でいることが、ダメなのだ、と気づいた。

だから、私は静観していて、息を潜めて、ただ様子を伺っている。

このやり方、私は好きじゃない。

でもそれで見えるものもあるのだとは、確かに思うから。

 

私たちは、容易くお互いの要求を理解していたから、気づいたら隣にいて、欲しい言葉を言い合えた。

その言葉自体の重みはなくても、その言葉のタイミングに救われた。

 

大雪や大雨の日、地震の日、計画停電のあの夜、

誰も側にいない時、あなたが気にかけてくれたことも。

 

あなたはあの日、39度の熱を出して倒れてても、弱音一つ吐かずいた。

私の顔を見るなり名前を呟いて、気が抜けたように助かった、としゃがみこんだあの時、ひょっとしたらあなたには、何かが見えていたのかもしれない。

と、今になって気づく。

 

私たちは、長い間目をそらし続けていたのだろう。

それにも、あなたは気づいていたのかもしれない。

同じように頑固で、同じように脆くて弱い何かを抱えて。

でも、あくまで何かの代わりとして。

 

何があるとかないとかじゃなく、理屈でもない、そういうものがあるのだろうとは思う。

 

そもそも私、あまり英語が得意じゃないよ。

そのあたり、読み取ってほしいのか、それとも読み取られたくないのか。

素直じゃないあたりとかもね、笑ってしまうほど分かる。

そして、そういうところ、あなたの人としての柔らかい部分なのだろう。

 

私が誰かに気持ちを深めるたび、その相手は追い詰められたように、具合が悪くなっていくんだよ。

なんでだろうねえ。

 

大抵はそういう人は何かと何かの狭間にいるのから

私は天秤のような、シーソーのようなものに乗っけられた感覚で

そういう様子を見るたびに、私はもうアカンって、疫病神だと思う。

優しくしてもらったたくさんのものも、すっかり見えなくなって

やっぱり嫌われ者だもんな、いじめられたしな、とか、子供じみたことすら本気で思ったりする。

 

「そりゃ、お前、呪いだよ。」

トラウマに襲われそうな時、深いことなんて何も聞かずにそう笑い飛ばす。

あなたのそれにいつも救われた。

 

そして言う。

グタグタ言っても、結局、お前はお前にしかなれないよ、と。

 

受け止めないといけないんだろう。

ダメな自分ごと、自信ない自分ごと。

 

でもなんのために?

 

考えていくとなんだか暗くなるから

もう少しだけ。あと少しだけ。

いつか終わると、言い聞かせて

とりあえず静観していようと思うんだ。