私は今も昔もウロウロしているのだと思うことについて書いてみる
昔、宗教家のような彼と短い間付き合っていた。
まったく世の中に順応できていなくて、アプアプしながら生きているような人。
私より5つばかり年上だったけれど、未だに実家に暮らし、ふわふわフリーターをしていた。
私はその時、生まれて初めて感じるような、言葉で説明できない大きな出会いに翻弄され
それが叶わない、当たり前の「世の中の仕組み」のようなものに対して絶望していた。
分かりやすく言えば、唯一無二な存在を見つけ、勝手に運命を感じあって、一緒に落ちたと思っていた恋のようなものは、単なるひとりよがりなものだった、と知った絶望である。
私はそれまでも感覚で生きているようなところがあり、それを過信していた。
その出来事は直感を含めた私のその感覚を全否定するようなもので、もはや何も信じられないような状態。
毎日セイヨウオトギリソウを鬼のように飲んで、お香をたきまくり、とにかくぼんやりと傷が癒えるのを待っている頃だった。
そんな時に、旧知の仲だったその彼と深い仲になった。
それでも私はあくまで、現実の世界を生きていたけれど、精神世界というか、仮想世界というか…に、生きているような、浮世離れしたこの人の思考は魅力的で、その言葉に救われていた。
彼はいつも、私を肯定し続けた。半ば宗教のように私を愛した。
一時はロクに働いていないこの人の分も稼ごうと、より給料のよい職場に転職までしたのだ。
私の愛情もそれなりにあったのだと思う。
でも、「それなり」だった。
愛されればいい、というものではないことを知った。
転職先で忙しくしているうちに、次第に傷も言えたのだろうか。
徐々に彼との距離が開いた。
最後は「もういらない」とばかりに、私は彼と別れた。
彼は私を引き止めなかった。
間に合わなかった、と悔しそうな顔をした。
彼は現実を生きるために、あれこれ動いていたことを後になって知った。
知ったからといって私の気持ちは変わらなかった。
多分それは彼も分かっていたのだろう。
近々の別れを予感していた頃、彼は二人で訪れた南の島で言った。
今まで世界と自分との境界を感じていた。
けれど、今まで受け入れられず、許せなかった世界の歪みさえも
この世界に君が存在するという理由だけで愛せるようになった。
だから、僕はこの世界を生きることにした。
そして、僕はこの世界の誰よりも、君を一番愛せる、と言い切った。
当時はよく意味が分からなかった。
別れてから数ヶ月経ち、私には別の彼がいた。
その彼とはまあ、まったく性格が合わなかった。あっけらかんとしていて、嘘つきで、見栄っ張り。
けれど、学歴の高い人で話をするのは楽しかったし、そういう分かり合えない性格も当時は気に入っていた。
感覚なんて、もはやあてにならないものだった。
身体の相性もよかった。
宗教家の彼とのセックスがとにかく上手くいかなかったので、余計にそう感じたのかもしれない。
デートすれば必ずベッドに連れ込まれた。隙あらば場所も構わず手を出された。
まあ考えるのもめんどくさい私も、それに身を任せていた。
心は変わらず空虚だった。でもその痛みにも慣れてきていた。
何かを悟るような、暇や余力が怖かったから、デートの予定と仕事をぎゅーぎゅーに詰め込んでいた。
夜に捕まるのが怖かった。
そういう時は、他人の匂いが落ち着いた。
私は彼のお家の匂いが好きだった。
何度も連れて行かれた彼の実家は、ご両親の人柄があふれるような優しい匂いがした。
私は着古した彼のトレーナーを貰い、一人で寝る時は抱き枕のようにして眠った。
しばらくしてその彼とも別れた。
彼が一人暮らしを始めたことがきっかけだったように思う。
私はやっぱり彼が好きじゃない、と気づいてしまったのだ。
私が好きだったのは、彼自身じゃないということ。
すきだったのは、彼の服の匂いであって、彼自身の体臭ではなかったこと。
だから私はハグする時、必ず服に顔を埋めていた。
彼から私のすきな匂いが消えてしまったのは、一人暮らしのせいというよりは、気持ちのせいなのかもしれないけれど。
その頃、宗教家の彼から連絡があった。
うにゃむにゃと要領の得ない話をする彼に、「彼氏ができた」と私は言った。
「世界で一番、君を愛しているのは、僕だよ。」と彼は言った。
「僕の世界で一番君がすき、ではない。君の世界の中でも、一番君を愛しているのが僕。」
とんでもない決め付けだ。でもそうかもしれない。
それを聞いて、私は気づいた。
あの人に対して、そう思っていたことに。
「あなたのお母さんにはかなわないけれど、その次くらいに、私はあなたがすき。」と。
単なる独りよがりだと頭で分かっていても、あの大きな絶望の後でも、ずっと思っていた。
一方的にそれを言われても迷惑だと、宗教家の彼に言われて知っていたし、口に出したら何かの魔法が解けそうで、私は心に秘めていた。
本当の魔法や奇跡なんて私は知らなかった。
ああ、ずっと迷子だったのだ。
野良犬のよう。
警戒して唸りながらも、誰かにかまってもらえるのを浅ましく期待しながら。
人の行き交う道を入った路地で、薄汚れながら、ウロウロとしていた。
お風呂に入れてもらい、全然似合わない首輪をつけてもらって、今はお家の中にいる。
「いい子だね」って撫でてもらって、お布団で眠る。前よりもずっと私は恵まれている。いい子でいるために頑張る。
けれどやっぱり、夜に捕まるのは怖い。考えるのは恐ろしい。
単なるひとりよがりなものだった、と知った絶望を思い出す。
小さい幸せを固めて振り払う。
本当の居場所はここじゃないと知ってしまったら、また何かを求めて路地を彷徨うことになるから。
あまりに冷える、あの場所に戻りたくない。
私は変わらず今も、空虚から逃げ続けている。
ぎゅーぎゅーに詰め込んだりしている。
そういう風にもう何年もやり過ごしてきた。
それが間違ってるよ、と教えてくれる人は、私に空虚の存在を教えてくれた人でもある。
それが真理だなあ、妙にすとんと納得する。
忘れじの 行く末までは かたければ 今日をかぎりの 命ともがな
思わずこれで時を止めてしまいたいとか、死んでしまいたいとか。そう思うほどの幸せ。
ひょっとしたら、私とは違う、深い絶望を見ていたのかもしれない。