花は折りたし梢は高し

とにかくいろいろうまくいかねーなってことを書いていこうと思います。

リア充な友達がオタクになって隠居したことを書いてみる

かれこれ付き合いは7年くらいだろうか。

私の友人である彼は、いわゆるイケメンであった。

家は都内の一等地に代々続く士業。

私立中学から大学までを名門で駆け抜け、遊びも仕事も超充実というリア充

 

出会った当時、私は色々なことに投げやりになっていた。

自分の信念や、軸になる部分が真っ向からひっくり返るようなことが起こり、それは一言でひらたく言えば、いわゆる失恋なのだけれども。

当時経験不足で幼稚だった私には、あまりにショッキングだったため、出家を考えるほど世を憂いていた。(あ、今とあんまり変わらないや)

社交的な自分を装い擬態して、何も考えずただ遊んで仕事して帰って寝てを繰り返して暮らしていた。

 

たまたま知人に連れられて行った、「クラブは尻上がりのアクセントを表す)」の真ん中に彼はいた。

彼の周りにはひっきりなしに人が群がっていた。

 

目があった。

軽くあいさつをした。

 

その後、特に話をすることもなくしばらくクラブに滞在した私は、家までの終電が早かったので、友達に断り先に帰るべく駅に向かって歩き出した。

 

彼に呼び止められた。

驚いたことに、追いかけてきたらしい。

 

確か寒い日で、彼の白い息が、街路樹に溶けていく様を眺めながら、ごく自然に赤外線通信で連絡先を交換し、その日は別れた。

 

イケメンっていうのは、なんでもサラっとやるもんなんだなあ。

と、妙に感心したのを覚えている。

 

それからぽつぽつと連絡を続けているうちに、2人で会うことが増えた。

自然と2人で会うもの、とお互いが思っていた。

彼を知るにつれ、華やかな世界に身を置きながら、たいそう根暗なやつだ、と知ったから。

 

そして、私たちの間に色恋が横たわらないことは容易に想像がついたので、何よりも気楽に付き合えた。

 

何を話したかも覚えていないほど、他愛もない話。

盛り上がることもないし、彼は基本、無口で私の話に頷いたり茶々を入れたりをしているだけ。

 

お互いを欲しがりもしないし、共感もしない。

極端に突き詰めて言えば、好きでも嫌いでもない。

しっかり見せていても、本当はだらしなくて弱い部分も。

人は多かれ少なかれ、ダメな自分を隠して生きているけれど、その隠し方、武装の仕方が似ていたのかもしれない。

 

彼を見ていると自分のダメなところが見るようでイラっとすることもあった。

だから、彼を手に入れたいとは思ったことはない。多分向こうもそうだろう。

 

お互いに別に恋人ができることもあったが、なんとも思わなかった。

自分のような人間と恋仲になることで、この希少性が失われることのほうがありえないことだった。

 

うまく言えないけれど、当時からきっと、彼はどこか壊れていたのだ。

それをお互いの存在をもって、外に向けた自分とのバランスを取っていたのだろう。

 

そんな付き合いも半年を過ぎたある日、土曜日出勤が半日で終わったあと、御茶ノ水あたりのカフェの外に向かったカウンター席に横並びで座りながら、フラペチーノみたいなのをぼんやりしながら舐めていた時、「僕もiPhoneにしようかな」と彼が言い出した。

私は当時すでに使っていたので、「いいんじゃね?」と賛同した。

 

ら、今から行くという。

歩いて万世橋を渡り、その辺にあった携帯屋で、新規契約。

当時iPhoneソフトバンクだけだったが、MNPされることなく彼が持っていた花のドコモは、あっさり解約された。

数名の連絡先だけをやる気なさそうに手入力し、一切の連絡先を引き継がなかった。

LINEもなかったので、華やかなだったクラブ仲間は、奴と連絡が取れないとざわめいていたのが、私の耳にも届いていた。

 

それをきっかけに、外部委託のような在宅勤務に切り替えた。

東急線沿いのコンクリート打ちっ放しのいかにもなデザイナーズ物件も解約し、田舎の河原沿いのファミリータイプのマンションを買った。

その勢いはすごかった。まさに、あれよあれよ、という感じ。

時間にして半月くらいの出来事だったように記憶する。

 

何を考えてるのか分からないけれど、なんだか少し、分かる気もしていた。

 

ちなみに彼以外にも、私の周りはこの諦め組の男が数人いる。

大なり小なりそれなりに活躍した後、もうめんどくさい、と田舎に越して隠居生活。

実行するかどうかは別として、誰にでもある願望であろう。

平安時代からそういう人がいるのだから。

 

その中でも彼は特に徹底していた。

一人で住むには広すぎる彼の新居の、閑散とした感じが妙に落ち着くのと

その閑散とした感じの物悲しさを埋めたくなるような焦燥感。

彼は孤独死対策によろしくと、私に合鍵を渡した。

そんなん他にパートナー作って頼め、と思いつつ、そこまで至ることが彼にとってどれだけめんどくさいかも分かるので、何も言わず受け取った。

それからたまに顔を見にふらっとお邪魔している。

 

あれだけイケイケで華やかだった彼も、今やすっかりメガネとユニクロダウンが板につく立派なおっさんである。

 

最近はテラスで落花生を育てたりしている。

ミドリガメを飼っている。

こそこそカメのブログを書いている。

毎日散歩に神社まで行く。帰りにお気に入りのパン屋で買い物をする。

そして超オタク。

 

このとりたてて楽しくもつまらなくもない時間こそがかけがえのないものであり、今までの自分のリセットなのだと、彼はいう。

何かを諦め、期待されることに疲れた、何かの役割を演じなくていい自由の中で、本当の自分を眺めているらしい。

 

きっかけはなんだったの?

私の問いかけに彼はしばらく考えて、「なんだろうね」と首をかしげた。

決定的な何かというよりは、蓄積されたものがあったらしい。

ただ今の方がずっと自分を感じられるそうだ。

 

恋人とか嫁とか欲しくないの?

「いらない」と即答。

取れない責任を負うくらいなら、寂しい方がマシだと彼はいう。

クラブDJをしていた彼が、二次元の嫁でいい、とアニメばかり見ている。

 

見た目や頭が良かったせいで、期待されたり誤解されたりし続けてきたのだろう。

なまじ出来てしまったが故に、その求められる自分像を演じ続け、オーバーフローしたのかもしれない。

それは恋愛や結婚を「責任」でしかないとブッタ切れるほどの絶望を彼が抱くほどに。

本当はこの人は女に生まれたら、多少は生きやすかったんじゃないかと思った。

 

妙に勘が鋭い彼は、私が誰かとセックスした後になぜか感づいて「毛艶良くない?」と聞いてきた。

私は肯定も否定もせず、へらっと笑った。

愛のあるセックスは良いね。

彼に感心したように言われると、私は褒められたような、認められたような、なんだかいい気分になった。

 

そして彼の中に、柔らかい部分がまだ残っているのだと気がついた。

ひょっとしたら彼も、いずれ自分の片割れになるような存在を見つけるのかもしれないと思った。

 

私と彼はきっと、諦めたか諦めてないかで道が分かれているのだ。

「愛のある」を諦めているかどうか。

 

私が完全に、彼と同様、諸々のものを諦めた時

もしくは彼が、諦めたはずのものに希望を持った時

きっと私たちは何かを知るのだろう。