選択的夫婦別姓制度に見るだったらいっそ全員、鈴木さんになるとかどーよ、ついて書いてみる
今回の最高裁の判決、私は妥当だとは思っている。
憲法的に言えば、とても難しいけれども合憲というならそうなのかなと思う。
私は法律の専門家じゃないから難しいことは分からなくて、判決を読んでみてもちゃんと真意が掴めてるか分からないけれど。
どうやら?
だから変えなくていい、ハイおしまい、じゃないよって言ってるし。
司法だけが決められることじゃないよって言ってるし。
だけど、報道では「合憲!」「棄却!」
「通称が通用する!」「合理性に欠けると判断!」
って言ってる気がする。なんかちょっとニュアンスが違うな。
そして、それを「当たり前」と言う人の多いこと多いこと。
私は初めて、自分がマイノリティであることを知った。
私は別姓支持派。でも判決は妥当だと思ってる。
合憲かもしれないけれど、選択権はあるべき。そういうスタンス。
女は一度は好きな人の姓と自分の名前を組み合わせて、ウフフ、なんてやった経験あるだろう。
私もそういうことを考えること自体が恐れ多い気がして、タブー視していたけれど、やったことないわけではない。
私の姓はちょっと変わっていて、私自身はあんまり好きではなかった。
子供の頃はそれを理由にからかわれたりもしたし、大人になってもそっちのインパクトが強くて名前で呼ばれることがなかった。
私のこだわりは「恋人には名前で呼んでほしい」という子供じみたポリシーである、程度。
だけど姓を戻したいと思う。離婚したい、とは違ったニュアンスで。
結婚する時に、当方は女姉妹だけ、相方は男兄弟だけだったため、姓をこちらにしてくれないかとチラっと持ちかけたことがある。
(その反応を知りたかっただけで、言ってみた。それ以外にも宗教があるとか再婚だとか、いろいろフェイクを吹いた。)
鳩に豆鉄砲な抵抗を受けたのが印象的だった。
「は?なんで?」「いやー…無理でしょ…」みたいな。
そりゃそうだ、と私も納得した。
苗字はまあ、どうでもいいし。
私は末っ子だし。
継ぐような名家もないのに、名前なんて継げないよな、と。
婿養子に来てくれとは思わないが、結果そういうことになるなら、こちらが結納金を払うくらいの気持ちが必要だと思った。
けれどいざ結婚して起こったこと。
こちらが何かを言い出す前に結納をやらない宣言。
結納金的なものもない。
お祝い金もできれば出したくない。
財産あっても継がせる気がない。
相方の借金を私の婚前貯金で返済。
お金ないならせめてと手を出す気もないようだ。それもいい。
ここまでは別にどうでもいい。理解して結婚している。期待もしてない。
が、口だけは出ることに驚いた。
それはどうだろう。
どうだろうというのは、我慢しきれずむしろ良かれと思って口に出す向こうの親に。
御しきれず私にそのまま流してくる相方に対しても。
(親が口を出すこと自体は無理もないことだとも多少は理解している。
ただ、非常に繊細なこと。だからこそうちの親は基本、努めて口を出さない。
お節介焼きなのに、とても気を使っている。それは嫁に出したから、というのもあるのだ。)
だってね、結婚とは家と家のつながりだよ。
親は心配してくれているだけだ。お前は俺の家の者になったんだよ。
せーかいーはーまーるいーせーかいーはひーとつー
確かにそうだ。相方の実家に行くと、私も含めみんな同じ苗字だものね。
でも、なんだか気持ち悪くないかなあ。
学生時代、家紋や女紋について論文を書いたことを思い出した。
西日本の地域では女紋という習慣があって、女性だけが受け継ぐ、自分の実家の紋があるそうだ。
それは娘、孫娘、と継承されていく。男だった場合は途絶えるというものらしい。
法事などの際に女たちの留袖の紋が、純粋な直系は全員同じという絵を想像し、ぞっとしながら書いた。
結婚とは、じゃあなんなんだ。
厳密に本人たちだけのものなのか?
そう思った時点で、すでに私は結婚しちゃいけなかったのだろうと悟った。
日本の婚姻制度はとても歪んだ土台の上に立っているのだから。
相方の姓を名乗ることを、新婚の時から嬉しいと思ったことはない。
めんどくせーな、と思っていたので、私は仕事で旧姓を通称を使っているが、本名の姓が変わったせいであらゆるところに弊害があった。
(あっさりと口座などの名義を変えてしまえばよかったのだが……いつか変えようと思っているうちに変えたくなくなったのも。)
子供でも生まれたら変えるか、と思っていた口座名義は今もそのまま。
本籍地もどちらの実家にもしていないし、家にもしていない。
「私はあなたの家に入るというつもりで結婚はしません」という意思表示だった。
(=あなたの家に守ってもらうつもりもありません、という意味でもある)
自立した二人が、お互いの家の干渉なく家を築くというのであれば、継いだという形式の、「姓」の意味とは。
これが本当に「対等」なのだろうか。
どちらかを選ぶ時点で、どちらかを選ぶことを(法によって定められ)「強要」される時点で、平等とは何か。
なら結婚しなきゃいいとか、事実婚でいいじゃんとか、それは話の性質が違うこと。
(事実婚の不便さ、よくわかる。実際の優遇があるから。自分にじゃなくて、相方に。)
また、子供がかわいそう、とか家族の絆が、とかの意見も鼻で笑ってしまう。
(それは子供にとって失礼だと思うし、そもそもそんな凝り固まった裏付けもない価値観を持った親に育てられるほうがかわいそうだ。)
実際嫁の姓を名乗ってる男が1割しかいないのに、自分は変える気もリベラルさもないちっせえ男が、凡庸な嫁、ないしは理解のある嫁を捕まえただけで「結婚する時選べるので平等」という気持ち悪さ。
その嫁が心の底から自分の生まれながらの姓に未練がなかったと言い切れるのか。
それだけのモノ(=魅力?)を俺が、この俺が、提供してるぜ、と勘違いしているのか。
それはー嫁が偉いのであってー
その嫁を捕まえた俺が偉いんじゃないんだぜー
なんだそのドヤ顔。パーヤパーヤ。
同じ姓こそ家族の絆!そう思うならそれでいい。
否定はしないし軽蔑もしない。いいですね、ふーんって思う。
だけど、別姓にできる選択権まで否定するのはいかがなものか。
今回の判決を男女平等を履き違えた権利の主張と決め付けている気持ち悪さ。
同じ姓こそ家族の絆!そう思うならそれでいい。
そんな大事な姓を、当たり前に愛する女に捨てさせて平気でいるパラドックス。
まあ、それもそうか。
「なんでもかんでも同じじゃなきゃ嫌!」
「だから同姓にするのも当たり前!」
「だから別姓なんて選択があっちゃダメ!」
っていうね、はは。
だったらいっそさ、国民全員、鈴木さんになるとかどーよ。
もしくは5種類くらいから好きなのが選べるの。
結婚の時。戸籍制度みたいに。
実は密かに期待していた。
いや、密かじゃない、堂々と周りに公言していた。
「私の姓を取り戻せるかもしれない」と。
その日は遠くなったけれど、何も考えてないような相方が私のガッカリした姿に「いずれ日本もそうなるよ」と慰めたことだけが、救われる思い。
だけどね、本当はこんなこと考えないでいられるくらい「結婚とは何か」なんて考える必要がないことが、一番幸せなのだと思うんよ。
ごめんよこんな嫁で。
夫の姓を名乗ることに胸の高鳴りなどまったく覚えられない可愛げのない嫁で。
私は突き詰めればどっちの姓もどっちでもいい。
不便じゃないほうがいい。
別に前の姓に固執しない。
だけど変えたこと、その不便さを、当たり前と思うな、という、子供じみた変な意地ですがね。
うまいこと書けなかったな。また今度書き直すかもしれない。