花は折りたし梢は高し

とにかくいろいろうまくいかねーなってことを書いていこうと思います。

余計に寂しくなるのはどういう仕組みなのだろうという話を書いてみる

以前、なぜだか分からないけど寂しいんですと言ったことがある。

ずっとそばにいるよという言葉に、余計に寂しくなった。

 

J-POPかよ!!

 

私は寂しがりだけど一人でも平気で

むしろ一人好きなところもあって。

それが自立というものだとも思っていた。

 

泣き虫と言われ続けていた子供の頃、お泊まり保育の肝試しで唯一泣かなかったと褒められた。

怖くなかったのではない。

一緒にいる友達が先に泣いてしまったから、おばけから守らなきゃと思っただけで。

そして強くなるには泣いちゃダメだと思った。

 

一人で眠る部屋、四隅を見てから寝ると呪われるだとか

そんなことを寝付く直前に思い出して、チラっと部屋の隅に目をやってしまい

途端にその闇に背中が寒くなって硬直したり。

 

大人になったら泣き虫は治るんだと思ってた。

大人になったらぬいぐるみや可愛いものに興味がなくなるんだと思っていた。

 

結果あんまり変わらない。

多かれ少なかれ、誰にでもそういう経験はあるのだろう。

子供の頃に憧れていた大人のように、いつか自動的になれるのだと思っていた。

 

出来上がったのはこんなポンコツ。

BBAになっても涙は出る。

ぬいぐるみを抱えながら、携帯片手にそんなことをぼんやりと思い出す。

 

シチューを作りながら、子供の頃夜中こっそりお玉からすくって、

冷めたスープを食べてたな、と思い出す。

「なんか小腹空いた」の一言で、好きな時に好きなものが食べられる大人っていい。

何時まで寝てても怒られない。

欲しいおもちゃも買える。

だけど、欲しいものを欲しいって素直に言えなくなった。

 

責められたこと自体は、変な話だけど嬉しかった。

しかしそれをさせてしまうには、どれだけ追い詰めたのだろうと。

そして、どうやっても傷つける、この気持ちはなんだろうと考えた。

突き抜けた向こう側には空虚があって、それが答えなのかと思った。

分かり合えないことに諦めたくなる。寂しいことだけど、一人でも平気、と。

 

違う、と。

何も変わってない、と。

 

否定の言葉の向こう側に見える表情。

無表情な01の中で、彩りを持つ言葉。

 

傷ついてなお、

苦労するのがわかっていてなお、

這い上がってきたのはお互い様だったのだと。

せざるを得なかったのだと。

真理は多分、変わらないのです。

 

できなかったら、その時また、吐くほど考えればいい。

納得いくまで苦しんで、その時また考える。

 

全部、先回りをして結論を出すことはよいことではない。

一緒に考えたいんです、と私が言い続けていた言葉を、聞くこと、その意味。

 

気持ちは同じなのだろう。

同じだということ、それが強さとなるのだろうか。

 

フロムさんの言う資本主義と孤独の話はいつもチラチラと横切る。

メーデー、聞こえますか。

 

それでもきっと、置かれている状況や、環境は違う。

どちらも容易いことじゃない。

私自身も何もわかっていない。

その上で、なお頑張ると。その覚悟もひっくるめて。全部全部ひっくるめて。

なんていうことも難しいのかな。

 

できる気がしないと弱音を吐いても、諦めることの方が難しい。

不安定であることが不安なのはお互い様。

 

寂しいと言ってみたら、寂しいよねと返って来た。

なんだか少し、寂しくなくなった。

 

そういうことか、と分かった。

そう、そういうこと。

なの。