花は折りたし梢は高し

とにかくいろいろうまくいかねーなってことを書いていこうと思います。

やなせたかし先生に学ぶ生きるということについて書いてみる

自分のできることなんてたかが知れている。

初めから無理だったんだ、と諦めてしまうことの方がずっと簡単なのかもしれない。

 

本当は諦めてしまうのも簡単なことじゃない。

ヤダヤダと駄々こねながら、本当は分かっているのに

どうしようもできない現実を

受け入れられない事実を

どう心に収めて前に進めばいいのだろうと途方にくれていた。

 

いつも、何かを失う恐怖との戦い。

でも得ずに生きていくことと、どちらが恐怖なんだろうか。

 

なんのために 生まれて

なにをして生きるのか

こたえられないなんて

そんなのは いやだ!

 

やなせたかし先生……!!

 

親には言えないと泣く、姪のいじめの悩みを聞きながら、

この先もずっと続くであろう苦しみを否定できないけれど

先にある優しさや温かさも信じて欲しいと願う。

 

生きることはしんどいこと。

信じることは困難なこと。

 

あの偉大なシッダールタさんも言っているものね。

 

私も心からたいそう、大変だなあと思うし

現実は苦しくて、どうしていいかわからなくて、

実際に3時間に一回くらいは絶望していたとしても。

一番信じられない相手は自分だったとしても。

 

服の中に潜り込んだ変温動物が、ぬくもりが伝えている。

 

愛おしさに嘘はない。

失ったいのちもたくさんある。

でも、確かに今そばにあるいのち。

今はそれでいいと思う。

 

現実と少しずつ綯い交じる過程の中で

生じる苦しみや迷いには、目を背けずにいようと思った。

 

苦しみの元も、幸せの元もきっと同じところにつながっている。

そう思える、深いところにきっとあるもの。

その正体は分からなくても、それに思いをはせるだけでなんだか無性に幸せなのだ。

暖かさが心を軽くしてくれる。

 

そんな当たり前のことを見失ってしまうくらい、距離を近づけすぎて、壊してしまったものがある。

思い込みが激しくて、求めたり、辛かったり、傷ついたり傷つけたり。

加減が分からず、迷いに迷って、全部を叩き壊すことしかできなかった。

きっと気づかないうちに、たくさんの大切なものもそうでないものも

こうして傷つけてきたのだ。それを思うと悲しくて仕方がないけれど。

 

心とは関係なく、断ち切った身体もまた再生する。

変温動物の鼓動に合わせ、私のTシャツが小さく上下するのを眺めながら思う。

 

全ての選択をやむを得ないと言えるのだろうか。それを悩むことも。

 

諦めではなく、流れに逆らうことをやめた。

あがいていた手足を止めて、サラサラと流れに任せてみて、初めて確かに見えたものもある。

 

思い描いていた虚構は、確かにその手にあったものだ。

夢物語でもなんでも、全部それでいいと思う。

私はもうその夢を見られないとしても、それは悲しいことではなく

ひとつの本が閉じたということ。

 

本の中の彼らが、幸せでありますように。

季節が過ぎることが、ただの忘却ではなく

ドロドロとしたものを封じるよう上書きをするのでもなく

もっと温かくて明るい、柔らかいもので包んでくれるように。

 

ただ祈ろう。幸せでありますように。

 

私が叶えられなかった未来、見るのをやめた夢

私の知らない誰かが

今当たり前に叶えようとしているのなら

それに私の期待を乗せるようなことはしないけれど

平凡だけどキラキラしている、そういう幸せなものになりますように。

 

私が今何かに満たされているからこそ、初めてそう思えるのだろう。

その正体や確実性を探れるほど、今は心の元気がないけれど

いつかきっと、どこかで答えが見つかるといいとは思うのです。