花は折りたし梢は高し

とにかくいろいろうまくいかねーなってことを書いていこうと思います。

お台場に行く計画を立てていることについて書いてみる

私が嫌いなもの

それでもあなたがそれを好きならば、

好きにはなれなくても嫌いにもならない気がする

 

私はあなたが好きで

あなたのいる世界が好きだから

 

私が叶えたかったものや、あなたが守りたかったものは

そうやって少しずつ解いていけば

なんとか迎合できるのではないかな

共存できるのではないかな

 

私はあなたがすきだから

それが初めにお互いが思っていた願いと違っていたとしても

きっと大切なものの、かけらは残せる

 

時間が経っても形が変わっても変わらないもの

選べなかったもの言えなかった言葉そういった類の何か

 

知ってるよ。

奇跡とか、そういうものは

一度手に入れてしまえば案外当たり前にも思えるものなんだ。

いつでもしみじみ感傷に浸れるものなのだ。

 

海にでも行きたいな。

海でも見たいな。

海は紐付けられているのだ。いや海だけじゃないな。

トカゲもバイクもガンダムもアニメもゲームもおにぎりも。

あとなにかな、いっぱいあるな。お互い様だな。たぶん。

 

海の近くには、思い出がいっぱいある。

大丈夫、本当ははじめから、なんにも変わっていない。

セックスレスが数年単位になると、もはやレスじゃなく定期的に営みがある方が異常だと感じてしまうことについて書いてみる

自分に子供を作らないという選択を持ち、それをする日がくるとは、少なくとも5年前までは、考えたこともなかった。

 

子供の頃からただぼんやりと、いつか彼氏ができて、いつか結婚をして、子供を産み育てるのだろうと思っていた。

(これって他の多くの人も共通だと思うけれど)

 

当時思ったような彼氏がいる学生生活のある未来は来なかったけれど、無事に(?)処女は卒業し、社会に出てからはいくつかの恋愛を経て、片膝をついた指輪片手のプロポーズをしてもらい、30までには結婚をし、今は駅近の持ち家で暮らしている。

 

当時はその上で、それが当たり前に土台としてある中で。

子供がいて、お母さんとして、どうやって暮らしていこう、と考えていた。

どういうお母さんになろうか。

そういう考えが常に頭にあった。

 

そんな我が家も気がつけばレスは軽く4年を経過。

一番最近のその一回も、その前は1年前とかだったのではなかろうか。

結婚してからの営みの回数なんておそらく両手に足りる。

 

ハイクラスホテルに泊まった結婚式の日も、新婚旅行のメッカの南の島で泊まったヴィラのスイートルームでも営みはなかった。

それどころかちゅーすらしてねーな。

かろうじて手をつないだかどうか

 

そんな我が家も結婚当初は行ってらっしゃいのちゅーだの、それなりに仲良しだったのだ。

手をつないで寝たり、お互いの腕の中で寝たりもしていた。

「セックスしなくてもこうしていれば十分だよね」と言い合っていた。

今だってベッドは別だが仲はいい方だと思う。

というか、今の方が精神的には仲良しではなかろうか。

 

昔持っていた、「匂いが嫌いじゃなければ遺伝子的に大丈夫」というよくわからない根拠の上、「この人が嫌いではない」と思って結婚した。

今も匂いは嫌いじゃない、けど別に好きでもない。

っていうか、子供も作らないのに遺伝子とか関係あったのかな。まあいいや。

 

そうだな、仲が良かったからダメだったのだろう。

良かったから異性から家族へととっととシフトチェンジしてしまった。

異性であり家族であるって、どうやるんだろうな。

二人の時間を大事にするだの、セクシーな格好をするだの、そこまでしないとダメなのか。

そんなの誰にも親にも教えてもらってない。

 

うちの親は本当に「お母さん」だった。多分?晩年まで営みがあった気配はある。

それはつまり、「お父さん」が「お母さん」を雌認識し続けていたから。

一度子供は?と迫る親に「うちはレスだから」と打ち明けた時の、予想以上の親のうろたえる姿に、「レスで悩んだことのない」女の姿を垣間見た。

 

うちの相方は私をかわいいかわいい言っている割には、可愛くて面倒見のいいお母さんとか、大きい猫くらいにしか思っていない。

そして、私がきっと「……する?」なんてネグリジェ(今時!)でも着たら一発で解決する気もないわけではない。

うちの相方の単純なところは愛らしく御し易いところでもあるのだ。

 

いやいやいやいや、そうじゃないだろう。

その解決っていうのも結構えぐい。

土壇場で逆マグロになった場合、冷静な頭でなぜ私が…という気持ちをねじ伏せてでも相方の僕チンを慰めなくちゃいけない覚悟とか。

一方、ハフハフしている相方に対して、どこまで自分の気持ちを盛り上げられるのか声を出せるのかとか。

まったく濡れそうもない気配の自分の深部に、どう僕チンを招き入れるのかとか。

ともあれなるべく短時間で済ませたい。

とかとか考えているうちにカーネルパニックを起こす私の脳。強制終了。

 

そうして先送りしてきた重要な問題。

夫婦には切り離せない「楽しい家族計画」

分かるけれど。セックスは頭でするものじゃないって。

でも頭で結婚した場合のセックスって、どうやって切り離すの?

 

お付き合いから数ヶ月でチェンジしてしまった。

さらにおぼろげな記憶を辿れば、うちの相方は当初、割と情熱的だった気もする。

会うと毎晩だった気がする。というか毎晩会ってたからかな。やりすぎたのかな。

なんというか割とアレな、サディスティックなプレイ。言葉責めとかな。お胸を窓ガラスに押し付けてバックからとか。なんだそれAVか。

それがどうだ、最終的には逆マグロである。

私に色気が足りなかったんだろうなあ。それだけじゃないだろうけども。

あれ、考えれば考えるほど私のせいかもしれない。

 

なんかで読み聞いたけど、一つのソフトクリームを分け合って食べられなくなったら離婚した方がいいそうだ。

考えてみれば、私の抵抗なんて「お金がもったいない」という理由が勝る程度のものだ。

(二つ買うのはお金がもったいないから、ひとつでいい)

だからうちは、離婚危機ではない。でも、ずっと離婚と子作りの話をしている。

 

なんのために結婚したのかなあ。

こんなに苦しい結婚生活を送るためだったのかなあ。

向こうはどうだか知らないけれど、少なくとも、私は「彼が世界で一番好き」という理由ではなかった。

適齢期に貰ってくれると言ってくれた彼に感謝をしているし、彼は今も、私に既婚者という身分を惜しみなく与えてくれている。

 

ああ、そうそう、私はお嫁さんになりたかった。

誰かの物になりたかった。どこかに属したいという意味で。

お父さんとお母さんが作った家ではなくて、自分が作った家を。

結婚当初から「よい夫」と「よい父」になってくれるよう、私は相方に期待を押し付けすぎていた。

「よい妻」と「いつかよい母」になるよう、私は何から何まで気負いしすぎていた。

数々の失恋を経て、私の前を過ぎ去っていった男たちの分も、私をいらないと言ったあの人たちの分も。

私は今度こそ間違えない。「いい家庭を作る」「今度こそちゃんとする」

 

私の病気で子供ができないかもしれないと分かった時の私の絶望によって、それは終焉を迎える。

かろうじて危ういバランスを保っていた、「あたり前に、子供のいる家庭」を目指す夫婦の均衡の崩壊。

バーンアウトした。

 

私はいいお母さんになりたかった。

誰かにとって。

自分の「旦那さん」や「子供」にとって。

かけがえのない一人になりたかった。

 

問題は、その「旦那さん」は必ずしも相方である必要はないと自分が認識しているにも関わらず、結婚をしたことだ。

「この人にとって良い妻になりたい」と思いきれていなかったことだ。

ただ私と結婚したいと言ってくれていただけで、結婚をして、頑張ってよ!と私の理想を押し付けた。

相方からしたっていい迷惑だ。

 

それでも「俺は離婚したくない。」と常に言い続けている。こんなに私がボロボロにしてもなお。

そして相方は私を縛り続ける。私を「お母さん」にすることも「女」に戻すこともできず、全ての問題を私に押し付けて。

 

結局なんとか子供は作れると分かり、「子作りするなら1日でも早く」と私を急かした医者の言葉に焦りながらも、結局何年も悩んで悩んで。

私の生き方、私の望むもの、どこかで確かに何かを間違えたこと、切り離して新しく獲得するためにもがきあがいた時間。

何度も強引にセックスしようとした。お胸にほやほや精子の試験管を入れて病院へ運ぶアレもした。他の人とセックスや子供をとも思った。

体の中に別の生命がある神秘、自分で命を育む充実感、待って望んで会える小さな命。

そういうものを味わってみたかった。

 

子供がいる家庭を欲しくないわけではない。

病気が分かった時は、私は仮に死んでもいいから、命よりも子供を産み育てたいと泣いたのだ。

今でこそ落ち着いたが、過去には妊婦さんを見たり、友達や芸能人の妊娠が分かるたびに素直に喜べない自分もいた。

 

他の人から見たら馬鹿馬鹿しいのだろう。

どうしてまだ取れる解決法があるのに、悩みを晴らす一歩を踏み出さないのか。

ある人はどれだけ子供がいる人生が素晴らしいかを説くのかもしれないし

ある人は自分たちが脈々と受け継いできた遺伝子を絶やすことに対し、親不孝と非難するのかもしれない。

ある人は今の私たちの関係を見て、アロマやお酒の力を借りてと言うのかもしれない。

(全部実際に言われた経験がある)

 

でもそれは、どれも何も解決していないのだ。私にとって。私たちにとって。

 

私たちは無数に話し合いにならない話し合いをした結果、今はただ未来を考えず、今を楽しく頑張って生きて、今は二人で暮らそうと思っている。

今はただ、自分たちのためにできることを。そういう贅沢な時間を過ごして、大事にしようと。

私の年齢を考えればもう、何を選ぶにしても何もかも遅すぎるのも分かっている。

ただ、こうするしかできなかったよね、いっぱい時間をかけてきたけど、結局結論出なかったものね、と自分たちに言い聞かせるだけで、少しだけ私たちは楽になるのだ。

 

世間の「子供が欲しいから結婚したい」という声に思う。

その主張自体はとてもよくわかる。私もそうだった。

子供は宝、そして自分の遺伝子を残し育むという生き物としての最低限の役割を果たせる。

それをしなきゃ一人前じゃない、みたいな風潮も分からなくもない。

 

それに途中でつまずいた時のビジョンの持ち方。

妻であり母であること、夫であり父であること。

三組は一組は離婚する時代、結婚自体がまずとても難しい。子育ては自分の命を分け与え一生をかけるほどの一大事業。

そういう途方もなく大変なものを、若さや好きだ惚れたの勢いでバーンとするのではなく、感情だけではない考えと熟慮を経て選び取る大人の選択である場合。

そんな恐ろしいもの、根拠や後ろ盾がどれだけあっても不安しかないのではないかと。

 

あの人へ前に私が言った、あの言葉にだけは、誠実でいたいと思う。

 

正しい正しくないではなく、そこにただ事実があるだけだ。

変えられるものも、選べるものも、未来だけ。

それもひどく不自由なものではあるけれど。

サーカディアンリズムを取り戻したいことについて書いてみる

私は何のためにここにいるのかなーと春からもやもやして

一度はその場から出て行こうとして

でも次の席が用意されたのでとりあえず留まって

でも結局不本意な残留を続けることになったものの

思いがけぬ私の居場所を必死に守ってくれる人がいて

それのためになら頑張ってもいいかなって

そういう風に応援してくれる人のためにも私はもっと勉強しなくちゃ、とか

ふんふん!となったりして

 

そうこうして一ヶ月くらいになる。

ものの。

 

一度折れた気持ちはそう簡単には戻らない。

それでも少しずつ自分の立ち位置も見えてきている。

見えなかったものが見えただけ、ここにいる意味はあったのかなあ。

いやないか。

 

ともあれ、今はただ目の前にあるものをこなしたり、一つずつ積み上げるだけだ。

もくもく。

 

と、やってるうちにいつもの季節の変わり目不眠がやってきた。

私は本当に寝るのが下手くそなのだ。特に暑くなるころ。

つまり今。

 

ももともと眠れなくてもあんまり気にしない。

そのうち眠れるでしょ、と思っている。すぐ睡眠のリズムが夜に倒れてしまうから。

と、軽く考えていた。ものの。

 

いや、結構しんどくなってきた。

今回は結構重たい。心当たりはある。

心が重たくなる出来事が立て続けにあったから。

あと寝る前に勉強とかしてるから。

そして、ここ数年の心の拠り所も失っている。

 

どんなに眠くて倒れそうでもベッドに入ると寝付けない。

諦めてソファやら廊下やらに転がってみてもダメ。

連日減っていく睡眠時間。濃くなるクマ。

眠れず寝返りを繰り返し正常な判断ができない日中。

夢遊病のように出勤。

こりゃあかん。

サーカディアンリズムが崩れている!

(サーカディアンと言いたかっただけ。サージャリム!)

 

試してみるか、と買ってみたドリエル(代わりのレスタミン)。

えーっと、ドリエルは市販の睡眠改善薬のことで、アレルギーの薬飲んで眠くなるあの副作用を利用したお薬で、今はいろんな種類が出ております。

(ですが、成分としては変わらず割安なレスタミンで代用しました。)

 

ところが、せっかく飲んでも全然効かない。

こりゃ、やっぱアレルギーの薬だわね、と思っていたところ。

次の日ドーンとキマってしまった。

頭にずっと霞がかかっていて、気を抜いたらただただぼんやりと静止しているような状態。

ふらっとよろめくこと数回。

トイレで気を失うこと数回。

いかん。

それこそいろいろいかん。

 

涙が出てきたり、無意識に何かをもぐもぐと食べていたり。

不眠怖い。

 

そろそろやはり眠剤を、と心が傾いてきた。

眠剤飲んでる人は日常的に周りにいる環境なので、多少のお薬の知識はあるのでありますが、だからこそ分かる、自分に合うか合わないかの難しさ。

もともと慢性的に眠りが浅く、とにかく子供の頃から寝るのが下手くそで、無駄にダラダラと何時間も寝てしまうのに

ここでベンゾジアゼピンとかにハマったら、一時的に済ませられるはずがなく、抜け出せない自信しかない。

 

眠りの質なんかはもう諦めてる。

サーカディアンリズム(言いたいだけ)を取り戻せれば!!

 

と、そこでふと思い立つ、全く効かないと非難轟々の噂の。

メラトニンと同じ働きをするという新薬(といっても認可からもう7年経ってたんだ)ロゼレム。

バラ色の睡眠を。ロゼレム。

 

メラトニンなるものは、眠りを誘導する脳内物質。

朝起きたら太陽を浴びよう!といわれるのは、太陽を浴びたらメラトニンなるものの分泌が減り、セロトニンなるものが増えるから。

このセロトニンってやつもうつ病とか関係する大事なやつ。

アメリカじゃメラトニンはサプリであるくらいなのだけども、日本ではサプリも薬もない。

ロゼレムはラメルなんとかっていう、メラトニンと同じ働きをする薬らしい。

従来の眠剤に比べても副作用は格段に少なく、依存性もない。

 

とはいえ、「この薬が欲しい」と病院の医師に伝えても、あっさりもらえない可能性が高いことも存じあげております。

諸事情で知り合いの精神科に行くわけにはいかず。

とりあえず初見のメンタルクリニックの扉を叩く。

 

努めてうつでSSRIなんかを貰うことにならぬよう、慎重に話を進め

(何度も体内時計が!とか、悩みは特になくて休日は楽しく過ごしてます☆とか連呼するのがポイントです。)

処方箋をゲット。「効かないかもしれないから、また来てください」と言われつつ。

 

だがしかし、プラセボ効果なのかなんなのか。日に日に効きすぎている気も。

ロゼレム飲んで丸一日経ってたし今日は飲まなきゃいいだろうとお酒を数口飲んだところものすごいグルグルしたりだとか。

自分でもまだロゼレムさんを乗りこなせておりませぬが

取り戻せサーカディアンリズム!(戻すも何ももともとあまりなかった気もするけど)

行き止まりと思いつつぶつかってみるとそこにも空間があったことを書いてみる

目を閉じないと見えないもの

 

本当は打算だけではなく心で接してもらえること

そういう居場所を作るのには時間がかかること

 

重なる薄い布のような光

重なって様々な色を映し出す光

 

頑張る場所があるなら、頑張りたいと思う

頑張るものを作りたいと思う

 

離さないでと伸ばされた手と

傷つくリスクを負ってでも伸ばされた手と

必死に自分を守ろうと縮こまっているだけで

そういうものに守られていることに気づかなかった自分と

 

私はもっと勉強して、頭にいっぱい色々なものを詰め込んで

引き出しをもっと持ちたい

多くのものを 自分の心を 沈んでもがいているもの

もっと深くまで潜って掬い上げる力を身に付けたい

 

守ってくれた人たちが 少しでも誇れるような自分に

あなたたちは私の光

 

そう あなたは私の光

 

本当に抱きしめたいものは 

自分なのか それとも

嘘の上に成り立つ真実なんてあるのかなと思うことについて書いてみる

私は嘘をつくのが苦手だ。

と、この言葉自体が嘘なのかもしれない。

 

容易くついてることも多いのだ。

割と上手かもしれない。

とはいえ、自分が嘘をついた時は、シラを切りとおす時はつらい。

問い詰められている途中、この言い方は不自然かな、とか、

ああ言ったらこう、とか、考えているだけでみずおちのあたりがひんやりとするのと戦わなければいけない。

 

そう、苦手というのは自分に対して心理的に、という意味であって、そんな自分を許せるかどうかであって。

色々な言い訳を自分にして、うん、よしって自分が納得してついた嘘は

場を円滑にしたり、自分を誰かを守ったり、必要なものだったのだとしても

そのうちそれすらも真実がなんなのかはもはや分からなくなってくるから、うんざりする。

 

そうすると、本当の自分のやりたいことは?とか、そういう本質的なものを見失うのだ。

結局私は何のために息をし命を食べて生きてるんだろうとか極端なことを思うようになる。

 

嘘は悪いことだ、とかそういうことが言いたいんじゃなくて。

必要悪だ。それも微妙にちがくて。

なんていうか、しんどいことなのだ。持ち続けることが。

自分がつらくなくても、相手が辛い時もある。

 

楽になりたくてカミングアウトする人たちもたくさんいる。

結局誰かに許されたいのだろう。

 

知らない方がいい真実。知りたくない事実。

心は見えないようにできているから。自分にも見えないけど。

 

 

 

 

 

まあ、とかく

疑心暗鬼はつらい

 

本当は信じたい

だけどそれで自分が信じられているなら、もやもやしない

どこかに信じるための落としどころがある

疑うだけの根拠もある

 

その真実を突き詰めることに意味があるのか、とむしろそれを自問自答する。

 

難しいなあ人を自分を信じ続けることは難しいなあ。

どうしたらいいのかなあ。

100パーセントじゃなくていいから、60パーセントくらいは信じたいなあ。

 

真実を突き詰めるための意味は

些細なものの結晶が、小さなひとつの事象となり、そのものを構成している。

その小さな事象ひとつひとつは、大きなものの分身であって

そのひとつひとつ、そのもの自体を信じられるかどうかに繋がってくるから。

信じたいのだ私をあなたを。

 

多分私も、多分向こうも

分かってるそれは分かってる。

 

真実よりも、大切なものだってきっとあるのだ。

それをきちんと納得できれば、そのもの自体がどんな内容でも、きっと大したことじゃない。

多分大したことじゃない。納得できていれば。

 

だけど納得させる、その術がないから、あるいはその手間や苦労が途方もないから

一般的にとても納得できるようなものじゃなくて、大変なことだから。

そういった理由で人は嘘をつくのだろう。

何かを守るための、それは自分であったり相手であったりする、優しい嘘なのだろう。

それも分かってる。

 

信じることってそれほど重要だろうかと振り返れば。

そもそも私はいつも、誰彼構わず、違うと分かっていてもつい信じたいものを信じてしまう。

次こそは、と期待を持ってしまう。もちろんその期待を裏切られることは多いけれど。

 

信じること自体を諦めたこともある。そうするととても楽にはなる。

けれどその人自体「信じたい人」ではなくなるので、単にどうでもよくもなるだけだ。

 

思い入れがあるほど、心をゆだねたくなるほど

その人を信じたいのだ。

信じられることの安定度は、底知れぬ力をくれる。

強くも優しくもなれる。

その分まさに、ハイリスクハイリターン。

 

覆水盆に返らず

いつの時代もどんな時も繰り返されてきた信頼への裏切り

それこそがやっぱり悪だと思う。それは必要悪なのかどうかは分からない。

 

「ずっと一緒だよ」「ずっと好きだよ」

なんて可愛い嘘じゃない。ロマンだよ。

一生の愛を誓ったカップルですら、3組に1組は破局するのだから

それでもいいのだろう、その時は嘘じゃなかったのだろうし。

それ自体はちっとも悪ではないと思う。

むしろ色々なものを失いながらも、流されずにもがいて勝ち取って得た結果だとすら思う。

 

両親の喧嘩に付き合うたびに「めんどくせーな別れるならとっとと早く別れねーかな」と思っていた。

だけどあの人たちはきっと「別れない」ために喧嘩してたんだろうと、今でこそ思う。

 

離婚っていうのはあれくらいガツガツした何かを乗り越えて、勇気ある決断をしたのだろう。

だって、しない方が基本楽だもん。

誰だって生活を変えたり、誰かに何かを思われることなく、できるなら穏やかに現状維持でいたいと思うのだろうし。

 

いつか裏切る可能性のある今の展望と、そのちっぽけな覚悟に基づく安定。

そんな残酷なものを強制的に求めるその結婚という制度自体が受け入れられなかった。

そんなものがあるから、努力しなくなるんじゃないの?

 

とはいえ私も小市民。

もちろん離別を前提にしたものではないけれど、一生を誰にも何にも、明確に誓わないという

小さい抵抗して苗字を変えた。

 

だから許されるとかではないし、誰も傷つけてないとかそんなことは全くないし

迷惑もかけて裏切ってるのだろうとは思うけれども

私は自分に嘘はついてないとは思っている。

 

今まで信じられるかどうかというより、見ないことにしてきた。

その積み重ねは「信じられない」を増幅させている。

きっと相手はどうして信じられないのかさえ、わからないんじゃないかと思う。

何をしたって認められず、信じてもらえないって思うのではないかと。

 

どうやったら手放しに信じられるのかなあ。

私だって信じたいのに。でも多分、それは真実じゃない。

 

いっそ嘘でしたって簡単に認めて謝ってくれて、これからはもう嘘つかないって

信じられるように再構築できたらいい。

それを私はもう色々な人に何度もそれをやってきた。

問題は、「これからはもう嘘つかない」って言葉自体が嘘になってるってことだけど。

 

私はあなたを、その度にあなたはあなたを、許してきたのだ。

守るべき何かを真実と天秤にかけて。

 

私は、反応を見た途端に、ああ嘘だったんだなってなんとなく分かって。

嘘つかれてるって勘違いなんだとしたら。

いつもだったら。

 

まあ、それくらいはね、分かるんだ。悲しいけれども。

 

今までもこうして嘘をさらっとついてきたんだろうね。

上手にやってきたんだろうね。

他の人にもそうやって嘘ついてるのかな。

そうやって安心させてるのかな。

 

分かっても。私はそれでも黙ってたのだから。

きっとそれは同じくらいの罪なのだろうと思う。

 

あなたは自分を許せばいい。

あなたは私に許されるよう、また嘘を重ねればいい。

 

真実なんて残酷なばかりで。

そんなも嘘の上にしか、きっと私たちは存在できない。

そうやって大きな嘘のようなもので包まれた何かで、私たちは成り立っているのだから。

 

そういう現状を打破したくても、結局そんないつかはこないのだろうけれど

なんとなくそれが初めから分かっていても、それを信じようとしている時点で

嘘をつかせるのを分かっていて。気持ちを言葉で欲しいとねだって。

私が本当は一番の嘘つきなのだ。

  

そう、つまり私たちのつながり自体、嘘。だ。

 

そういう私は一体何になれるのだろう。

マフラーに突っ込んだ顔を、見られたくなった話を書いてみる

「僕はね、そもそも何かを誰かと共有出来るとは信じてなかったんだよ。」

「そういうの、カッコイイとは思わないよ。」

「言いたいことは分かる。むしろ、みっともないことだ。」

 

「責任」とやらの話を聞こうと言い出したのは私だった。

乗ろうと思っていた電車の発車時刻は、走れば間に合うかな、というくらい。

諦めて次のにしようと腹を決めて「店を変えよう」と席を立った。

 

居酒屋、カフェ、バー、どこもそういう気分にならない。

何か小さな箱のようなものに入りたい。強いて言えば、カラオケかなあ。

 

それは向こうも同じだったようで、「車」と踵を返した彼に素直に従って着いていく。

「車で来てたんだねえ。」

「今日一旦そっち帰ろうって思ってたし。」

「今どこ住んでるの?」

「ちゃんとは借りてない。ホテルとか職場とかかな。本当は毎日帰りたいけど。」

 

ああ、ハイ。と後部座席から取り出した封筒を私に差し出す。

少し前に私が携わったものだ。

自分からアウトプットされたものが、よそ行きの顔でもう一度現れるのを見るのは気持ちいい。

求められた仕事をこなしている自分の分身に安心してカバンにそれをしまった。

 

「共有したいもの、ないの?」

赤信号で止まる瞬間に、軽く話題を投げる。

信号待ちの間、ずっと口をつぐんでいた彼は、アクセルを踏み込む瞬間に「なかった、というのが近い。」とつぶやく。

「それでも今までに、意味があるんじゃないの?」

私はそういうものを信じたい。少し語彙が強くなる。

「大事にするものって別だろ。意味がどうのじゃなくて、共有したいビジョンがそこにあるかどうかだと思う。」

ということに気がついた訳だ。と。

それは良く分かるから黙って頷いた。この人はこういうところが頭が良くて感心する。

「でもね、何に対しても責任ってあるからね。」

「何かしたの?」

何かをするにしても、って意味。」

 

私の無言を感じ取って、ちらっと視線をこちらに向ける。

「寝てないよ。」

と私が言うと、ふん、と笑った。

 

「そこ、座ってていいの?」

「え?なんで?」

「ついてくると思わなかった。」

らしくないじゃん。」

はっきりさせようとするなんて。

 

「帰す気なかっただろが。」

車に置きっぱなしだった封筒。

「とくと新しい仕事の依頼を聞いてもらおうと思って。」

「なるほど。」

 

「お前さ、そういう風に先読むのやめてくれる?」

「はは、だって。居場所は変わらないんでしょ。」

「お前は変えたいんだろ?」

今日はやたらと当たりがストレートだな。

こういう人だっただろうか。

 

まあ、自分がどうしたいか、なのかなあそれって。」

「らしくないな。まあ、今に始まったことじゃないけど。」

「私らしさって何よ。」

「自分を曲げないところ。プライド高いところ。情にもろいところ。」

自分がないだけだ。今もう、グズグズだもん。」

 

まゆげを少しだけ上げて、少し面白がるようにニヤけた横顔。

腹立つ。

いつも、私の苦しみを愉快そうに笑う。

 

「マスクしないの?」

「今はしない。」

「あ、そ。」

 

「マスク外さないの?」

「乾燥するから。」

「あ、そ。」

 

いつもと逆だなー、と。歌うような声。

マスクがないと、小さな声でも良く聞き取れる。

 

「指輪、違くない?」

「ああ、別に意味ないよ。Amazonで自分で買ったやつ。」

「買ってもらったんじゃないの?」

「誰にだよ。」

「はは、いやてっきり。お前さ、そこに座ってて。

誰かに悪いと思うとか、嫌がられるのは嫌だからとか。

そういうの、らしくもなく。気にしようかな、と思ったんじゃないの?」

「だからー。そんな…誰かとか、いないよ。」

 

"もう"いないよ。

 

お願いだからこれ以上はもう。

泣いてしまう。

 

マフラーに突っ込んだ顔を、今は見られたくない。

 

「お前はね、グズグズでなくて、ただ疲れてるだけ。」

仕方ないなあ、とため息を含んだ声で、言い聞かせるように言う。

 

これを友情と言わずして、何を言うかと思うほどの圧倒的な友情。

 

ちがうよ、そうじゃなくて。

私じゃダメなんだ。私は自分でいつも叩き壊す。

私じゃ力も魅力もないんだ。私には無理なんだ。

言いたい言葉は、街灯に滲んで声にならなかった。

 

そのあとは、仕事の話をしているうちに、最寄り駅に着いた。

ありがとうと降りてから振り返る。

少し頷いて、彼は家路へとついた。

 

あ、私の話をしてばかりだった。

いい奴だなあ、と申し訳ない気持ちになりながら、冷たい鼻をマスクで隠した。

 

共有したいビジョン。いつか来る雪解け。

 

私にはずっと来ない。

何度も諦めず手を伸ばした想い。

私には届かない場所にあるもの。

 

そんなことは分かっているけれど。

温泉に行こうと言われたことについて書いてみる

「責任だからなぁ。」

 

珍しく分かりやすく疲れた顔をしている彼が、焦点の合わない目で私の肩越しに何かを眺めながら呟いた。

 

私は視線だけで続きを促す。

彼はそれに気づかないふりをして流して、おもむろに鞄をまさぐっている。

 

話題を変えたいのか。

はたまたちゃんと突っ込んで欲しいのか。

 

まぁ、どっちでもいいや、とホイップの浮いたココアを口に含むと、久しぶりだな、という声。

 

ん?と顔を上げて、ああ会うのがね、と納得しつつも、久々なのにまったく久しぶりな感じがしなかった、昨日会った別の人を思っていた。

 

「そうねぇ、半年は会ってないね。」

「最近どうよ?」

「そっちこそ、ちゃんとやってんの?」

「それこそ、そっちこそ。」

 

言葉だけで上滑りしている近況報告。

お互い分かっているのだ、なんだかんだと落ち着いて来て、上手いことやってんだろうなと。

じゃなきゃ、大した理由でもなく会いに来ないもの。

それに、結局自分の好みがどうであれ、追われる感じに仕事に沈むことは、お互いの性に合っているのだ。

 

こういう様式美、めんどくさい感じ、まぁ嫌いじゃないな、と思う。

強いてすきでもないけども。

 

「顔色悪いな。体調は?」

「んー?貧血かなぁ。別に平気だけど。」

「魚の加工品ばっか食ってないで肉食え肉。」

 

自分が食べていたホットドックをむんずと掴み、一口サイズに千切ると私に差し出す。

はぁどうも、と受け取って、ちゃんとお互いが嫌いな食材が抜かれているところを確認して、平和にやってるよと気の無いトーンで呟いてそれを口に放り込んだ。

 

「煮詰まってんじゃないの?」

突然の言葉に目を見開くと、ニヤッと笑ってメガネを押し上げる指先。

咀嚼しているものを思わず飲み込んだ。

否定や肯定、何を答えたらいいのか。

結局出てきたものは、何とも言えない無表情だけだった。

「お前にそういう顔させてるのは

興味なさそうに言いかけただけで、続きの言葉は紡がれなかった。

 

「猫飼ってんでしょ。」

「うん。超かわいいよ。」

「自分に似てるなあ、とか思わない?」

は、と呆れて笑う。

そんな私を見るあなたの、目をほそめるような表情の方が猫っぽい。

 

「雪でも降りそうだな。あの温泉でも行こうぜ。寒いし。」

「うん、そのうち。」

「触っていい?」

私の返事を待たず、彼は私の髪の毛をつまんで、サラサラと落とした。

「伸ばしてんの?」

「いや?」

「初めて会った頃思い出すな。」

「ああ、エクステつけてたっけ。」

「居場所、ちゃんとあるか?」

あなたの?私の?」

「僕たちの場所は変わらない。」

つまりは、職場か家庭かあるいは。

 

おせっかいは、相変わらずだ。