花は折りたし梢は高し

とにかくいろいろうまくいかねーなってことを書いていこうと思います。

嘘の上に成り立つ真実なんてあるのかなと思うことについて書いてみる

私は嘘をつくのが苦手だ。

と、この言葉自体が嘘なのかもしれない。

 

容易くついてることも多いのだ。

割と上手かもしれない。

とはいえ、自分が嘘をついた時は、シラを切りとおす時はつらい。

問い詰められている途中、この言い方は不自然かな、とか、

ああ言ったらこう、とか、考えているだけでみずおちのあたりがひんやりとするのと戦わなければいけない。

 

そう、苦手というのは自分に対して心理的に、という意味であって、そんな自分を許せるかどうかであって。

色々な言い訳を自分にして、うん、よしって自分が納得してついた嘘は

場を円滑にしたり、自分を誰かを守ったり、必要なものだったのだとしても

そのうちそれすらも真実がなんなのかはもはや分からなくなってくるから、うんざりする。

 

そうすると、本当の自分のやりたいことは?とか、そういう本質的なものを見失うのだ。

結局私は何のために息をし命を食べて生きてるんだろうとか極端なことを思うようになる。

 

嘘は悪いことだ、とかそういうことが言いたいんじゃなくて。

必要悪だ。それも微妙にちがくて。

なんていうか、しんどいことなのだ。持ち続けることが。

自分がつらくなくても、相手が辛い時もある。

 

楽になりたくてカミングアウトする人たちもたくさんいる。

結局誰かに許されたいのだろう。

 

知らない方がいい真実。知りたくない事実。

心は見えないようにできているから。自分にも見えないけど。

 

 

 

 

 

まあ、とかく

疑心暗鬼はつらい

 

本当は信じたい

だけどそれで自分が信じられているなら、もやもやしない

どこかに信じるための落としどころがある

疑うだけの根拠もある

 

その真実を突き詰めることに意味があるのか、とむしろそれを自問自答する。

 

難しいなあ人を自分を信じ続けることは難しいなあ。

どうしたらいいのかなあ。

100パーセントじゃなくていいから、60パーセントくらいは信じたいなあ。

 

真実を突き詰めるための意味は

些細なものの結晶が、小さなひとつの事象となり、そのものを構成している。

その小さな事象ひとつひとつは、大きなものの分身であって

そのひとつひとつ、そのもの自体を信じられるかどうかに繋がってくるから。

信じたいのだ私をあなたを。

 

多分私も、多分向こうも

分かってるそれは分かってる。

 

真実よりも、大切なものだってきっとあるのだ。

それをきちんと納得できれば、そのもの自体がどんな内容でも、きっと大したことじゃない。

多分大したことじゃない。納得できていれば。

 

だけど納得させる、その術がないから、あるいはその手間や苦労が途方もないから

一般的にとても納得できるようなものじゃなくて、大変なことだから。

そういった理由で人は嘘をつくのだろう。

何かを守るための、それは自分であったり相手であったりする、優しい嘘なのだろう。

それも分かってる。

 

信じることってそれほど重要だろうかと振り返れば。

そもそも私はいつも、誰彼構わず、違うと分かっていてもつい信じたいものを信じてしまう。

次こそは、と期待を持ってしまう。もちろんその期待を裏切られることは多いけれど。

 

信じること自体を諦めたこともある。そうするととても楽にはなる。

けれどその人自体「信じたい人」ではなくなるので、単にどうでもよくもなるだけだ。

 

思い入れがあるほど、心をゆだねたくなるほど

その人を信じたいのだ。

信じられることの安定度は、底知れぬ力をくれる。

強くも優しくもなれる。

その分まさに、ハイリスクハイリターン。

 

覆水盆に返らず

いつの時代もどんな時も繰り返されてきた信頼への裏切り

それこそがやっぱり悪だと思う。それは必要悪なのかどうかは分からない。

 

「ずっと一緒だよ」「ずっと好きだよ」

なんて可愛い嘘じゃない。ロマンだよ。

一生の愛を誓ったカップルですら、3組に1組は破局するのだから

それでもいいのだろう、その時は嘘じゃなかったのだろうし。

それ自体はちっとも悪ではないと思う。

むしろ色々なものを失いながらも、流されずにもがいて勝ち取って得た結果だとすら思う。

 

両親の喧嘩に付き合うたびに「めんどくせーな別れるならとっとと早く別れねーかな」と思っていた。

だけどあの人たちはきっと「別れない」ために喧嘩してたんだろうと、今でこそ思う。

 

離婚っていうのはあれくらいガツガツした何かを乗り越えて、勇気ある決断をしたのだろう。

だって、しない方が基本楽だもん。

誰だって生活を変えたり、誰かに何かを思われることなく、できるなら穏やかに現状維持でいたいと思うのだろうし。

 

いつか裏切る可能性のある今の展望と、そのちっぽけな覚悟に基づく安定。

そんな残酷なものを強制的に求めるその結婚という制度自体が受け入れられなかった。

そんなものがあるから、努力しなくなるんじゃないの?

 

とはいえ私も小市民。

もちろん離別を前提にしたものではないけれど、一生を誰にも何にも、明確に誓わないという

小さい抵抗して苗字を変えた。

 

だから許されるとかではないし、誰も傷つけてないとかそんなことは全くないし

迷惑もかけて裏切ってるのだろうとは思うけれども

私は自分に嘘はついてないとは思っている。

 

今まで信じられるかどうかというより、見ないことにしてきた。

その積み重ねは「信じられない」を増幅させている。

きっと相手はどうして信じられないのかさえ、わからないんじゃないかと思う。

何をしたって認められず、信じてもらえないって思うのではないかと。

 

どうやったら手放しに信じられるのかなあ。

私だって信じたいのに。でも多分、それは真実じゃない。

 

いっそ嘘でしたって簡単に認めて謝ってくれて、これからはもう嘘つかないって

信じられるように再構築できたらいい。

それを私はもう色々な人に何度もそれをやってきた。

問題は、「これからはもう嘘つかない」って言葉自体が嘘になってるってことだけど。

 

私はあなたを、その度にあなたはあなたを、許してきたのだ。

守るべき何かを真実と天秤にかけて。

 

私は、反応を見た途端に、ああ嘘だったんだなってなんとなく分かって。

嘘つかれてるって勘違いなんだとしたら。

いつもだったら。

 

まあ、それくらいはね、分かるんだ。悲しいけれども。

 

今までもこうして嘘をさらっとついてきたんだろうね。

上手にやってきたんだろうね。

他の人にもそうやって嘘ついてるのかな。

そうやって安心させてるのかな。

 

分かっても。私はそれでも黙ってたのだから。

きっとそれは同じくらいの罪なのだろうと思う。

 

あなたは自分を許せばいい。

あなたは私に許されるよう、また嘘を重ねればいい。

 

真実なんて残酷なばかりで。

そんなも嘘の上にしか、きっと私たちは存在できない。

そうやって大きな嘘のようなもので包まれた何かで、私たちは成り立っているのだから。

 

そういう現状を打破したくても、結局そんないつかはこないのだろうけれど

なんとなくそれが初めから分かっていても、それを信じようとしている時点で

嘘をつかせるのを分かっていて。気持ちを言葉で欲しいとねだって。

私が本当は一番の嘘つきなのだ。

  

そう、つまり私たちのつながり自体、嘘。だ。

 

そういう私は一体何になれるのだろう。

マフラーに突っ込んだ顔を、見られたくなった話を書いてみる

「僕はね、そもそも何かを誰かと共有出来るとは信じてなかったんだよ。」

「そういうの、カッコイイとは思わないよ。」

「言いたいことは分かる。むしろ、みっともないことだ。」

 

「責任」とやらの話を聞こうと言い出したのは私だった。

乗ろうと思っていた電車の発車時刻は、走れば間に合うかな、というくらい。

諦めて次のにしようと腹を決めて「店を変えよう」と席を立った。

 

居酒屋、カフェ、バー、どこもそういう気分にならない。

何か小さな箱のようなものに入りたい。強いて言えば、カラオケかなあ。

 

それは向こうも同じだったようで、「車」と踵を返した彼に素直に従って着いていく。

「車で来てたんだねえ。」

「今日一旦そっち帰ろうって思ってたし。」

「今どこ住んでるの?」

「ちゃんとは借りてない。ホテルとか職場とかかな。本当は毎日帰りたいけど。」

 

ああ、ハイ。と後部座席から取り出した封筒を私に差し出す。

少し前に私が携わったものだ。

自分からアウトプットされたものが、よそ行きの顔でもう一度現れるのを見るのは気持ちいい。

求められた仕事をこなしている自分の分身に安心してカバンにそれをしまった。

 

「共有したいもの、ないの?」

赤信号で止まる瞬間に、軽く話題を投げる。

信号待ちの間、ずっと口をつぐんでいた彼は、アクセルを踏み込む瞬間に「なかった、というのが近い。」とつぶやく。

「それでも今までに、意味があるんじゃないの?」

私はそういうものを信じたい。少し語彙が強くなる。

「大事にするものって別だろ。意味がどうのじゃなくて、共有したいビジョンがそこにあるかどうかだと思う。」

ということに気がついた訳だ。と。

それは良く分かるから黙って頷いた。この人はこういうところが頭が良くて感心する。

「でもね、何に対しても責任ってあるからね。」

「何かしたの?」

何かをするにしても、って意味。」

 

私の無言を感じ取って、ちらっと視線をこちらに向ける。

「寝てないよ。」

と私が言うと、ふん、と笑った。

 

「そこ、座ってていいの?」

「え?なんで?」

「ついてくると思わなかった。」

らしくないじゃん。」

はっきりさせようとするなんて。

 

「帰す気なかっただろが。」

車に置きっぱなしだった封筒。

「とくと新しい仕事の依頼を聞いてもらおうと思って。」

「なるほど。」

 

「お前さ、そういう風に先読むのやめてくれる?」

「はは、だって。居場所は変わらないんでしょ。」

「お前は変えたいんだろ?」

今日はやたらと当たりがストレートだな。

こういう人だっただろうか。

 

まあ、自分がどうしたいか、なのかなあそれって。」

「らしくないな。まあ、今に始まったことじゃないけど。」

「私らしさって何よ。」

「自分を曲げないところ。プライド高いところ。情にもろいところ。」

自分がないだけだ。今もう、グズグズだもん。」

 

まゆげを少しだけ上げて、少し面白がるようにニヤけた横顔。

腹立つ。

いつも、私の苦しみを愉快そうに笑う。

 

「マスクしないの?」

「今はしない。」

「あ、そ。」

 

「マスク外さないの?」

「乾燥するから。」

「あ、そ。」

 

いつもと逆だなー、と。歌うような声。

マスクがないと、小さな声でも良く聞き取れる。

 

「指輪、違くない?」

「ああ、別に意味ないよ。Amazonで自分で買ったやつ。」

「買ってもらったんじゃないの?」

「誰にだよ。」

「はは、いやてっきり。お前さ、そこに座ってて。

誰かに悪いと思うとか、嫌がられるのは嫌だからとか。

そういうの、らしくもなく。気にしようかな、と思ったんじゃないの?」

「だからー。そんな…誰かとか、いないよ。」

 

"もう"いないよ。

 

お願いだからこれ以上はもう。

泣いてしまう。

 

マフラーに突っ込んだ顔を、今は見られたくない。

 

「お前はね、グズグズでなくて、ただ疲れてるだけ。」

仕方ないなあ、とため息を含んだ声で、言い聞かせるように言う。

 

これを友情と言わずして、何を言うかと思うほどの圧倒的な友情。

 

ちがうよ、そうじゃなくて。

私じゃダメなんだ。私は自分でいつも叩き壊す。

私じゃ力も魅力もないんだ。私には無理なんだ。

言いたい言葉は、街灯に滲んで声にならなかった。

 

そのあとは、仕事の話をしているうちに、最寄り駅に着いた。

ありがとうと降りてから振り返る。

少し頷いて、彼は家路へとついた。

 

あ、私の話をしてばかりだった。

いい奴だなあ、と申し訳ない気持ちになりながら、冷たい鼻をマスクで隠した。

 

共有したいビジョン。いつか来る雪解け。

 

私にはずっと来ない。

何度も諦めず手を伸ばした想い。

私には届かない場所にあるもの。

 

そんなことは分かっているけれど。

温泉に行こうと言われたことについて書いてみる

「責任だからなぁ。」

 

珍しく分かりやすく疲れた顔をしている彼が、焦点の合わない目で私の肩越しに何かを眺めながら呟いた。

 

私は視線だけで続きを促す。

彼はそれに気づかないふりをして流して、おもむろに鞄をまさぐっている。

 

話題を変えたいのか。

はたまたちゃんと突っ込んで欲しいのか。

 

まぁ、どっちでもいいや、とホイップの浮いたココアを口に含むと、久しぶりだな、という声。

 

ん?と顔を上げて、ああ会うのがね、と納得しつつも、久々なのにまったく久しぶりな感じがしなかった、昨日会った別の人を思っていた。

 

「そうねぇ、半年は会ってないね。」

「最近どうよ?」

「そっちこそ、ちゃんとやってんの?」

「それこそ、そっちこそ。」

 

言葉だけで上滑りしている近況報告。

お互い分かっているのだ、なんだかんだと落ち着いて来て、上手いことやってんだろうなと。

じゃなきゃ、大した理由でもなく会いに来ないもの。

それに、結局自分の好みがどうであれ、追われる感じに仕事に沈むことは、お互いの性に合っているのだ。

 

こういう様式美、めんどくさい感じ、まぁ嫌いじゃないな、と思う。

強いてすきでもないけども。

 

「顔色悪いな。体調は?」

「んー?貧血かなぁ。別に平気だけど。」

「魚の加工品ばっか食ってないで肉食え肉。」

 

自分が食べていたホットドックをむんずと掴み、一口サイズに千切ると私に差し出す。

はぁどうも、と受け取って、ちゃんとお互いが嫌いな食材が抜かれているところを確認して、平和にやってるよと気の無いトーンで呟いてそれを口に放り込んだ。

 

「煮詰まってんじゃないの?」

突然の言葉に目を見開くと、ニヤッと笑ってメガネを押し上げる指先。

咀嚼しているものを思わず飲み込んだ。

否定や肯定、何を答えたらいいのか。

結局出てきたものは、何とも言えない無表情だけだった。

「お前にそういう顔させてるのは

興味なさそうに言いかけただけで、続きの言葉は紡がれなかった。

 

「猫飼ってんでしょ。」

「うん。超かわいいよ。」

「自分に似てるなあ、とか思わない?」

は、と呆れて笑う。

そんな私を見るあなたの、目をほそめるような表情の方が猫っぽい。

 

「雪でも降りそうだな。あの温泉でも行こうぜ。寒いし。」

「うん、そのうち。」

「触っていい?」

私の返事を待たず、彼は私の髪の毛をつまんで、サラサラと落とした。

「伸ばしてんの?」

「いや?」

「初めて会った頃思い出すな。」

「ああ、エクステつけてたっけ。」

「居場所、ちゃんとあるか?」

あなたの?私の?」

「僕たちの場所は変わらない。」

つまりは、職場か家庭かあるいは。

 

おせっかいは、相変わらずだ。

フワフワとした曖昧さや寝起きに感じた思いについて覚書を書いてみる

一通り私の下らない話を聞いた、親友はどう思ったのだろう。

とりあえず私ともっとじっくり話りたいなあ、とつぶやいてくれたことは分かっている。

救われるような思いがして、それにすがり、それでなんとか強引に眠りの中に落ちた。

 

肝心な、叩いても叩いても響かない、画面の向こう側への淡い期待は、やはり予想通り、見事に虚しく空を切った。

 

1年遅く訪れた、正念場というやつなのだろう。

 

ところがどうだ。

肝心の私ときたら、まったく余裕も余力もない。

強さも優しさもない。愛と勇気もない。(やーさしいきみはー)

 

そうなのだ。

色々と未練がましいことを言いつつも、現実的に粛々と、切り離す準備を進めているものもある。

それは前向きな進展なのか、後ろ向きなものなのかは、私にもまだ判断ができない。

多分、どちらでもあって、どちらでもない、みたいな。

そういうひどく曖昧なものなのだろう。

 

考えてみれば、ずっと曖昧の中にいた。

はっきりさせないことが、なんとか存在できる方法だった。

それもひとつの真理でもあるんだと思う。

 

そもそも、しぶしぶだったのだ。

いつも試しているようなことを言いながら、実は試されている気がする。

やせ我慢して飲み込んだつもりで、結局我慢できず、ぺっと吐き出した。

 

全力で肯定したかった。自分の決断や行動を。

それすら気を配ってもらえなかった。

 

目覚めは悪くなかった。

最近は目覚ましアラームの1時間前に眼が覚める。

先に起きている同居人が、洗濯機をまわす音。

 

抱き枕がわりのぬいぐるみを片手にリビングのソファで、壁に向かってごろんとする。

ぬいぐるみを抱えて丸くなると、同居人は私を背中からハグしたり、頭をつっついたりしている。

ねむいねむいと私は呪文のようにつぶやく。

 

シェーバーの音や、テレビの音、洗濯機の音がうるさくて、また寝室へ戻る。

隣の部屋に洗濯を干しに来た気配を背中に感じながら、またうとうとと眠りに落ちる。

その瞬間、憎悪にも似た空虚を覚える。

 

ちょっと前まで、そこにいる感情は、ただ圧倒的な愛おしさだったのだ。

どこに置いてきたのだろう。今は同じかそれ以上の、虚しい諦めが心を埋めている。

 

ありがとう、愛おしい曖昧。

さよなら。

女が過去の話を持ち出してネチネチ責める心理について書いてみる

最近人間関係の衝突についてよく話をきく機会がある。

 

私自身も、よく怒り続けているので良く分かる。

よく女性にありがちな、ネチネチ前のことを延々と言い続けるアレである。

 

私は女なので、100%女寄りの意見となることをお許しいただきたい。

 

脳の仕組みの違いなんだろうか。

男はさぞ「いつまで言ってんだよ、クソが」と舌打ちしたくなることだろう。

 

しかしながら、怒ることはとても体力がいる。

怒るだけの熱意も必要になる。

その表面上の言葉だけを捉えていては、いつまで経っても枝葉から幹へはたどり着けない。

 

女だって、ああ、もういっかなあって思うことも多々ある。

だけど、そう言っちゃったらそこまでだよなあ、と。

 

怒る以外の自己主張の方法だってあるだろう、と他人事なら私も言う。

 

イラっとしたら、黙り込んでしばらく貝のように閉じこもるか、気がすむまで距離を置けばいい。

ただ、もともと飲み込めるほどの、キャパシティに収まるような怒りだけで済んでいるなら、ネチネチは言われないのだ。

あまりにも大きな痛み。もしくはささいな痛みの積み重ね。

飲み込んだつもりの怒りが逆流し、んんん、どうしても腹がおさまらん!となっているのだ。

そうなるとアレだ。ドカンと爆発をして、( д)、ペッと吐き出す。

 

そのあと情熱自体がスッと冷めてしまう。もうどうでもいいわ。となる。

こうなってしまうと自分でもどうしようもない。

「この人はダメだ」と見切りをつける。待っているのは離別のみ。

 

離別を切り出した女性に言うのだ。「え?なんでいきなり?」

よく聞くよねーコレ。

 

家族だから友人だから恋人だからと甘えていい範囲とそうでない範囲がある。

傷つけたことに対して「そんなことで傷つくなよ」と言うほど相手に寛容を求める人ならば、間違っても逆ギレなどしない菩薩のような精神の持ち主なのでしょう。

アハハ。

 

仕事のクライアントかなんかだと思えばいい。

例えば一度の請求書のミスを、今までの付き合いに免じて許してもらえたからといって、二度三度は許してもらえるかといったらどうだろう。

今まで許してくれてたじゃん。大した間違いじゃないじゃん。

仕方ないじゃん確認する時間なかったんだから。

分かってるならいちいち指摘すんなよ。

 

そんなのはいつまでも通用しない。

 

相手はいい加減にしろ!あなたの会社は信頼できない、取引停止だ!とご立腹。

と、怒ってくれているうちはまだいいのだけどもね。謝る余地があるから。

ただ粛々と、取り付く島もなく取引が打ち切られる方がキツイ。

 

もしくはお気に入りのお店や企業から、とんでもない接客や対応をされたとしよう。

気に入っていた分、悲しくて悔しくて、思わずクレームをつけた。

その時ろくに聞かずいい加減にとあしらわれて、そのクレームが流されたらどう思うだろう。

 

「いや、聞けって。まず聞けって。どんだけひどかったか……」

(話を遮って)「あーハイハイ、サーセン。っていうか、いつまで言ってんすか。」

「は?本当分かってる?」

「や、悪かったのは分かってるんで。もういいでしょ?謝ってるんだから。」

ちょ、責任者呼べや、となるか、もうええわ…となるかのどちらかだろう。

 

どうにかしてほしい、と。分かってよ、と。

今プンプンしているのは、実際はそこまで怒っていない。

いきなり?と言われないように、奮い立たせて怒っている。

そこにあるのは愛である。

 

結局ずいぶんと昔の出来事をほじくりかえして、ネチネチ言いたくもないのに言っているのは

思い出すだけでキツイのに起こり続けているのは、結局不満や不信が収まってないからだ。

 

相手からすれば、うわ、なんか急に怒り出した!となり。

何で今更?何を突然?何をきっかけに?

「許してくれてたんじゃなかったのか」「受け入れてくれたんじゃないのか」という辺りが本音だろうと思う。

 

世の男性陣に言いたい。

確かに女性の言い方は論理的じゃないかもしれない。

ただ、男性こそ論理的になるべきなのだ。

あなたのやってきたことが「ふわっとしたなにか」で許されるわけじゃないんだと。

論理的に謝罪すべきなのだということに気がついていただきたい。

コレコレこういう事情があって、コレコレこうなった。

でも今はコレコレこういう風にして再発防止に努める。と。企業の謝罪会見のように。

心から納得してもらえるように。

 

どんな理由であれ、あなたが深く傷つけたその出来事は、あなた自身にとっては通過点であって、終わったこととなっていたとしても。

実際許されているわけでも、受け入れているわけでもないのだ。

終わっていないですよ。溜飲を下げられてはいないですよ。流せてもいないですよ。

ただ結論や判断を保留しただけですよ。

あなたへの大いなる愛をもって。力づくで。痛みを伴いながら、心に収めたのだ。

 

直視を避けて逃げ続けられる限り、その傷は癒えることなく膿んでいく。

 

すっかり終わったことのようになっている、忘れきった様子を見て、下手すると同じことを繰り返す様子を見て。

いずれ愛だけでは支えきれず、爆発する。

 

その本質は怒りではない。ただただ、悲しいのだ。

愛を持って棚上げしたその痛みすら、気付かれていないという事実に。

当たり前と思われているその扱いに。

 

高まったフラストレーションの正体とは、結局のところ、信じてたものが裏切られたと感じているからだ。

共感が得られると思っていた相手から、自分の、当たり前と思っていた価値観を否定されたような気がするからだ。

 

そしてそれでもなお怒り続けている理由は、これ以上相手に失望したくないからだ。

分かってくれる人だと信じたいのだ。

 

そこから逃げ続けたところで、許される日はこないのだから。

ただ失望されるだけなのだから。

怒られているうちに、相手の気がすむまで向き合っていくしかない。

やっちまったもんは仕方ない。

それがうっとおしいめんどくさいと思うなら、向き合うことを放棄するならば、その関係性ごと捨ててしまえばいい。

居心地の良いその場所はキープしながらも、めんどくさいことには向き合わない。

そういういいとこ取りをしようとしないで、まるっと放棄して逃げて、相手ごと失うという選択権もある。

 

「もうお前なんていいわ」と放棄されたら方は辛いだろう、泣くだろう。

けれど、心のどこかで理解もする。

そんなギリギリの部分をかけて自己主張をするリスクが分かってもいる。

嫌われるかもしれない。捨てられるかもしれない。こんなめんどくさいこと。

 

そういうリスクが分かっていても、ギリギリの所でネチネチを続けるのは。

「そんなに信頼をしてくれていたのに裏切ってしまって」と、「俺が悪かった、なんてことしたんだ」と。

「全然分かってなかった、これからは大事にするから、もう一度信頼してほしい」と。

いつか共感してもらえるんじゃないかという儚い望みにすがって、この期に及んでもまだ信じているから。

そして、もし自分ごと放棄されたとすれば「そんな程度の相手を自分が大きな痛みを伴って、愛していたこと」が情けなくて泣くのだ。

自分の見極めの甘さを、自分の魅力のなさを責めるのだ。

 

結局怒らせてしまったら、共感して謝り倒して二度としないと信じてもらえるまで何度も誓ったり謙虚な姿勢を示して

がむしゃらに取り戻すしかないのだ。失った信頼を。

そのプロセスを経て、「もういいよ」と相手が音を上げるまで、何度も何度も。

 

間違っても「いつまで言ってんだよ」「俺にだって都合があったんだよ」と逆ギレ的な自己正当化をしてはいけない。

気持ちは分かる。とかく女はめんどくさい生き物だ、と私自身も思う。

しかし相手は大事なあなたを信頼して取引を続け、ささいなミスも笑って見逃してくれていたクライアントだと思っていただきたい。

裏切りたくない、取り戻したいという切実な気持ちと緊張感を持って、信頼を取り戻しに行っていただきたい。

 

「もうどうだっていいよ」と見捨てられていたら、それはかなり難しいことだが。

怒っていてくれていればいるほど、思ったほど、手こずらないはずだ。

むしろ、見直してもらえるかもしれない。「やっぱり信頼できる人だ」と思うかもしれない。

 

お気に入りのお店や企業にガッカリしながらクレームをつけた時、予想以上の共感と対応をしてもらったら、更にその企業を好きになるだろう。

好きでよかった、やっぱりここはいい!と好感度が上がるのと同じく。

固形物を食べない生活を数日だけして感じたことを書いてみる

生まれて初めてゆるく断食的なことをした。

 

この時期に熱中症と合わさってぶっ倒れても迷惑だし、日頃から乱れ気味の腸内環境も心配なので、1日1回~2回程度、豆乳を飲んだり、ヨーグルトなどを食べてたりをしているので、厳密に断食とは言えないかもしれない。

サプリメントと常用薬以外の固形物を口にしていない。

毎日飲んでたコーヒーも控えているし、お茶も飲んでいない。

 

1日目はお腹が鳴って仕方なかったが、時間の経過とともに空腹感は和らいだ。

お腹はたまに思い出したように鳴る。

頭がなんとなく重いとかはあるけれど、むしろお腹が重くない感じが軽やかで心地よい。

必ず健康診断でひっかかる、胃のためにもいいのかもしれない。

 

ちなみに、同居人には隠しているわけではないが、あえて言ってもいない。

そもそも気付かれてもいない。

 

ああ、お互いの食に対する興味ってそんなものよね。と思う。

 

そして日頃、どれだけ自分がいいかげんな食生活を送っていたかが分かる。

食べ物に失礼だ。もっと敬意を払おう、と考える。

 

私は食べることが子供の頃から大好きで、それはもう妄執と言っていいほど好きすぎて、肥満児だった。

親の目を盗んでどれだけお菓子やらおかずやらを食べたことか。

食べるものが見当たらなければ、自分で冷蔵庫にある食材を料理して食べた。

今思うと、ちょっと異常なまでに食べ物を求めていた。

 

初めてダイエットをしたのは高校生の時。

どうやったのかは忘れたけど、とにかくなんかやみくもに歩いたり、ひたすらにこんにゃくを食べたり。

かなりキツかったことを覚えている。

 

そのあとも幾度となくダイエットしてみたり戻ってみたり。

 

私は大人になり、基本体重計に乗らなくなった。

心が欲するものを欲するように食べるようにした。

例えば本当はお米が好きじゃない。だからお米を食べなくなった。

その分卵やお肉や豆という私の好物を食べたいように食べた。

 

次第に、異常な食への執着は薄らいだ。

◯◯せねば、という抑圧が余計によくなかったのかもしれない。

 

気づけばなんとなく、体はすっきりしたし、それをキープできるようになっていた。

肥満とかまでは言われなくなったし、人よりは太ましいとしても、まあそれはいいや、と思った。

モデルさんのようになりたいわけではない。(なりたくないわけでもないけど)

 

それが最近、どうも体が重い。顔も丸い。

心当たりはある。

加齢による基礎代謝の低下やらはもちろん、服薬の影響も。

 

ダイエットしようとは思わなかった。

ただ純粋に、食生活を変えていないのに不思議だなあ、いやだなあ、と思っていた。

 

鏡を見るたび、丸い顔にげんなりしていた。

 

そして必要に迫られた。2年前にイージーオーダーで作ったタイトなドレスがキツくてファスナーが上がらない。

ぐぬぬ。服が縮んだなんて訳はないのはわかっていた。

 

ラインを絞るために入っている、ダーツを外せばいけるけども。

いや、それも何かに負けたみたいでやだな。

いっそ違う服…いや、それはダメだ。周りとの兼ね合いもある。

 

そこで食べ物と距離を置いてみようかな、とふと思った。

痩せたかった、というよりは、純粋な執着の放棄。

 

断食は感覚が冴えて超体験ができる、ともよく聞くし。

中途半端に「これだけ食べていい」みたいなのもやめて、固形物は食べない。

それでとりあえずしばらく過ごすことを決めた。

 

普通に仕事もしているし、普通に習い事の運動もした。

毎日こだわっていた飢餓感へ応じることや、食への執着がどれだけ生活に関係がなかったかを感じる。

 

呼吸ひとつで、血が巡るのを感じる。

体をいたわる気持ちになる。

 

考えてみればうちの小さな家族たちも、とてつもない食の執着を持っていながらも、種としては1.2週間程度食べなくても全然平気らしい。

私はあの子達よりよっぽど生命力も強いし、蓄えだってある。

そりゃあ多少食べなくても平気だわ。

それを何をあんなに食べたい食べたいなってたのだか…食への執着からの解放は、こんなに楽になるものなのか。

 

なんだか食べるということに対して、もっとラフに楽しんで付き合いたいなあと思う。

例えば、一人で美味しいものを食べるんじゃなくて、大事な人と食べるから美味しいってこととか。

どんなに些細なものでも、もっと「味わって」「丁寧に」食べられるようになりたいなあ。

 

得るものが思ったよりも多かった。

断食、いいな。かっこよく言うと、ファスティング

苦行でしかないと思ってたけど、そんなことは全然なくて。

楽しいものではないけれど、たまにあるといいかもしれない。

 

仕事にさえ行かないでいいなら、水だけで過ごしてみたいとすら思う。

そして読書をしたり、のんびりしたり、瞑想したりして一人で過ごすのだ。

 

そして無事、ドレスのファスナーは上がり、ことなきを得たのだった。

痩せたという感覚はまったくなくて、ただ浮腫みや老廃物が流れたような、すっきりした感覚はあった。

肌の調子も心なしかいいような気がする。

 

問題はここからである。

気づけば6日間固形物を食べていない。からの復食。

何から食べていいのかよく分からない。ネットを調べれば重湯だのと出てくる。

なんかなあ、なんとなく、お米や麺は心が乗らないなあ。

もっとこう、違うものがいいなあ。

 

やっぱり心に聞いてみよう。

 

味覚は鋭くなっている気がする。

そこから、残り物の野菜をたくさん煮て作ったスープを食べた。

水切りヨーグルトが蜂蜜入りに昇格した。

市販の冷製ポタージュやプリンも食べてみた。豆乳はお昼に飲む。

一番今の所しっくり来ているのは茶碗蒸し。

これなら冷たくても温かくても美味しいし、お腹も痛くならない。

 

そうして慣らしているうちに、日に日に食べられるものが増えていっている。

感覚が戻っていくその感覚も楽しんでいきたいと思う。

 

明日は人並みなランチを食べる予定。

はてさてどうなることか。

遠いところにいるあなたのことを考えてした、ひとつの大丈夫を書いてみる

あの愛想のない仏頂面の写真しか残ってないよ。

もっともっと笑っていた気がするのに。

それは単に、私には笑顔を見せてくれてたってことなのかしら。

 

今の私の話を聞いたら、あなたはなんて言うだろう?

 

バカだなあって言うかなあ

黙って苦笑い

それとも

 

でもね、多分私は言わないんだろうね。

 

今だからこそ、心で、頭で、話掛けるけれど。

 

私は上手にできてるかな。

もっともっと話がしたかったよ。

いろんなことを教えて欲しかった。

私もいろんなことを教えたかった。

きっとね、私の方が詳しいことも、今はいっぱいあると思うんだ。

 

たばことたたみのにおい

静かなテレビの音

忘れてしまった声や仕草

 

引き戸はいつも開いていた

 

あなたが不器用に紡いだ

糸に繋がる私

 

私はね、そういうのを残していきたいと思うよ

やっぱりそう思うよ

私だけでなく、次へ、その次へ

 

あなたもきっと、異国の空の下で夢中になったことがあるのだろう

だけどそれを諦めて、帰ってきて、そうして私が今ここにいる

 

私も糸を紡いでいかなくちゃと思うの

もう止まっていてはいけないのだと

どう糸を紡ぐかが問題なのではなくて、とにかく一心につなぐことが大切なのだと

 

あなたもきっと迷ったり悩んだりしたのでしょう

でも確かに、あなたは迷いなく私をまっすぐに愛してくれた

言葉はなかったけれど、私には良く分かっていました

だからこそ

 

それは嘘じゃなかった

絶対に偽物ではなかった

だから大丈夫だとやっと思える

 

少なくとも紡げる機会があるならば、私はそれを全うしなくちゃいけないね。